随談第297回 このごろ都に流行るもの

蒙古襲来騒ぎみたいなインフルエンザ水際作戦の素人の常識でもわかるアホラシさについて、「戒厳令のススメ」というパロディを書こうと思っていたら、『週刊文春』に戒厳令という言葉を先に使われてしまった。小手先の水際作戦などよしにして、やるならいっそ戒厳令を出して、まず隗より始めよで上は国会から各銀行や企業から、コンビニや飲み屋に至るまで、はたまたプロ野球だろうと大相撲だろうとJリーグだろうと、とにかく世を動かし人が集まるものはすべて中止、空港も閉鎖して一時鎖国状態にしてしまったらどうだ、というススメである。

蒙古軍は船団でやってきたので神風の加護もあって水際で何とか防げたが、目に見えないウィールス軍は水際を楽々と越えていたわけだ。アタリマエの話だと思うのだが、専門家というものはそういう常識を働かせるということをしないのだろうか。こうしたときに何より必要なのは、なまじな専門知識より、コモンセンスなのだ。渡航歴にこだわって患者を見逃した、などというウソみたいなホントの話は、専門家というもののアホラシさの見本のようなものだ。もちろん、見逃したお医者さんはむしろ被害者で、罪はそういうガイドラインを打ち出した厚生省だの何だのの方にある。

昔は風が吹けば桶屋が儲かったそうだが、当世は風邪が流行るとマスク屋が儲かるらしい。蒙古襲来ならぬ敵機B29来襲に竹槍で立ち向かえと督戦された昔を思い出す。みんなそろってマスクをして、あれで鉄兜をかぶれば70年代の全共闘隆盛時代のゲバ学生の集団の光景にも似てくるが、B29のころは、防空頭巾というのをかぶったものだ。むかしの山賊がかぶっていた山岡頭巾というのと同じ形で、各家庭で手製でこしらえた。綿入れだから防寒にはいいが、火がついたら大変だろうに、みんな、空襲警報が鳴ると大真面目でかぶったものだ。そのうち、目だけ出して鼻と口を覆うようになっている改良型が推奨され、わが家でも母親が改良型を子供たちにこしらえてくれたのをかぶるようになった。これなら安全だ、と子供心に思ったのを覚えている。まだ小学校にも入らない幼時の記憶だが、こういう記憶は確かなものである。マスクも、この改良型防空頭巾に負けずに役に立つといいですね。

それにしても、休校措置を取った関西の高校で、親が勤務先から出社を止められたとか、休校が解除になってからも、制服を着ているとどこの学校か分ってしまうから私服での登校を認めた、などというニュースを聞くとつくづく溜息が出る。どうしてそういうことになるのだろうか。とかく日本人は・・・といったたぐいの俗流日本人論は嫌なものだが、日本人だろと何人だろうと、こういうときの世人の心の狭さというものは、なんともやり切れない。

こうしたニュースを伝える若手のアナウンサーや報道記者も、若いから気負うのも無理はないともいえるが、妙に物々しい態度・口調なのも気になる。あれでは北朝鮮の例の女性報道官を笑えなくなってしまう。本当はみんなワカッテイルのかもしれないが、建て前上、また立場上、マジメな顔をしていなければならないということもあるだろう。しかし、自分は今、こんな重大ニュースを報道しているのだぞ、という自負があの物々しさにつながるのに違いない。それをスタジオにいて受けるキャスターだのゲスト発言者だのなかにも、物々しいしたり顔でコメントをする人が、たいがい一人ふたり混じっている。こうして、狼ならぬウィールスは、実際の何倍もの巨大怪物に変貌してしまうのである。

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