随談第413回 11月ア・ラ・カルト

先月の訃報は談志でおしまいかと思っていたら、西本の訃報がその後から伝えられた。かつてのヒールがいつの間にか国民的ヒーローにすり替わっていたかのような談志の場合と違い、こちらは評価はすでに確立しており、私としてもそれにつけ加えたり、異説を唱えたりする必要はまったくない。(もっとも談志の場合は、談志自身が変ったというより、異質分子の受容に関する世間の感覚が、時代とともに変ったということなのだろう。)

個人的印象をいうなら、壮年期でも、あるいはもっと齢を取ってからでも、西本ほどユニフォーム姿に精悍さが失われることなく、闘う男、という感じを漂わせていた監督はまたとなかった、ということだろう。強いて言えば、仰木がやや匹敵するぐらいか。落合が、この頃のように僧侶みたいになってしまわない、まだ現役引退して間もない頃、野球のユニフォームなんていい大人のする格好じゃないよと言っているのを聞いたことがあるが、たしかに一理はあるのであって、一旦先入観を取り払って考えてごらん、あの格好は他のスポーツに比べてもかなり異様なスタイルであることに気がつくはずだ。(あの下半身はニッカボッカーから変形したものであろう。つまりたっつけ袴だ。)野村でも、長嶋といえども、現役時代に比べると、監督末期のころのユニフォーム姿は、正直なところ、あまり感心したものではなかった。だが、西本に限っては、大毎の監督時代よりも阪急時代の方が、阪急時代よりも近鉄時代の方が、闘う男の精悍さを増して行った。何を格好いいと思うかは、もちろん人さまざまな思い方があっていいには違いないが、西本ほど、野球に徹していることが、そのまま、絵になっている老監督の美しさを感じさせた人はない。

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監督としての落合という存在を、好きか嫌いかと問えば、これほど見解の分かれる存在もないだろうが、(私も決して好きとは思わないが)、しかしこれほど「興味深い」存在もまたといない、という意味でなら、私は現在のプロ野球の監督中、抜群の興味を抱いている。いや、いた、というべきか。先週だったか、長嶋一茂のインタビュウに答えていたのを見たが、紫色の上着がまるで法衣のようなくせに、ズボンが(はっきりとは見えなかったが)色合いから言ってジーンズのように見えるという、珍妙といえば珍妙な格好をしていた。監督をつとめるようになってから、見る見る僧侶のような風貌になりまさっていったのは、監督としての徹し方に、他の監督たちとは質の上で違うものがあるからに違いない。「俺流」の表れでもあろうが、インタビュウを聞いていても、答えの中に「凡」ということがひとつもないのは、大変なことである。

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大相撲では、稀勢の里が、先場所辺りから、いわゆる一皮むけた感じになってきたのが相撲振りにもはっきりわかる。目安の3場所合計33勝などという数字に審判部がこだわらず見識を示したのは、近頃の相撲協会としてはヒットというべきである。(マスコミが相も変らず、あと一敗しか出来ませんだの何だのとしきりに言っていたのは、今更ながら笑止だった。)人相も俄然よくなった。大関昇進をを伝える使者に妙な四文字熟語などを言わなかったのも、近頃天晴れというべきである。

そういえば、テレビのワイドショーで女性のキャスターが、四文字熟語を言わなかったというので、大相撲の伝統から見てどうなんですか、と言っていたのが面白かった。この手の、いちど流行りだすと「流行」がたちまち「伝統の型」と化してしまうのは、面白いといえば面白いし、オソロシイといえばオソロシイ。優勝力士に天皇杯を渡す時、ヘンデル作曲の一節を演奏するのは、いつから始まった「伝統」だろう? まさか双葉山がヘンデルの曲の流れる中で優勝杯を受け取りはしなかったろう。まあ、表彰式のはじまりに「君が代」を歌うので楽隊に来てもらっているので、ついでに、ヘンデルも演奏することになったのだろうが、私の睨むところ、柏鵬時代辺りからではあるまいか?

そういえば、先日相撲博物館で、初代若乃花のことを展示していたのを見に行ったら、横綱昇進のときの伝達式の模様のフィルムが放映されていた。見ると、緋毛氈もなく、何と手あぶり火鉢がひとつ、使者と若乃花の間に置かれているばかりである。つまり、当時はまだ、「伝達式」という儀式ではなく、番付編成に関わるひとつの慣例に過ぎなかったのではあるまいか?

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