随談第429回 空さだめなき花曇り-花形忠臣蔵のこと-(その1)

新橋演舞場の『仮名手本忠臣蔵』を見た日は、前線が通過して、春の嵐どころではない大荒れの日だった。前夜から天気予報がしきりに警告を発していたから、出足に響いたのも無理はない。だから、染五郎の大星をエースとする花形一座による『仮名手本』の通し上演に、たまたま空席が目立ったからといって、落胆するには当らない(と、思おう)。

とはいえ、今度の「花形忠臣蔵」が、事前からもうひとつ話題に上らないようなのを、もどかしくも、不審にも思っていたのも事実だ。いまの若手花形連が、個々には、大一座の一員として何らかの役を勤めた経験はあるにしても、若手花形だけの一座で『仮名手本』を通し上演するというのは、今度がはじめてだというのに。

すぐに思い出すのは、昭和55年の春(嗚呼、もう三十二年の昔だ!)歌舞伎座でいまの第一線クラスが結集した『仮名手本』の通しである。当然、役が競合するから日替わりのダブルキャストということになる。今の團十郎の海老蔵・吉右衛門組が判官と勘平と定九郎、今の仁左衛門の孝夫と幸四郎の染五郎組が大星と石堂と平右衛門を替わるのだ。菊五郎・辰之助が出ていないのは、当時菊五郎劇団は三月は国立劇場が定席だったからで、女方は玉三郎がおかる、澤村藤十郎が顔世で通した。ベテラン組からは、富十郎が師直、宗十郎がお才と戸無瀬をやっている。(吉右衛門の勘平とは、エッと思うようだが、どうしてこれが、播磨屋若き日のあまり知られざる傑作であったりとか、いろいろミソがあったのだった。)

この時点でこういう企画が生れたのは、つい三年前の五十二年秋に、歌舞伎座と中座に東西のほぼ全俳優が結集しての大忠臣蔵が評判を取った記憶がまだ生々しいというタイミングにあったかもしれない。つまり当時の第一線世代が、円熟からさらにある者は爛熟へと向かう、こと芸に関しては戦後歌舞伎の栄華のきわみにあったわけで、そこへぶつけたこの「花形忠臣蔵」の成功が、次代の彼らを決定的にしたのだったと私は考えている。

その二年後に今度は、勘三郎の勘九郎が判官と勘平、福助の児太郎がおかる、三津五郎の八十助が若狭助と平右衛門という中で、海老蔵が大星をつとめるという「花形忠臣蔵」があったりしたが、要するに私は、今度の花形一座の『忠臣蔵』に、こうした思い出と、翻って期待とを重ね合わせたのだった。いま、なのだ。いま、染五郎以下の面々がどれだけの『仮名手本忠臣蔵』を見せることが出来るか? 縁起でもないことを言う気はないが、歳月が人を待たない以上、個々にはともかく、集団として見るなら、現在の第一線級は、いま現在をもって頂点と見るべきなのだ。

もっとも今回の顔ぶれは、海老蔵も出ていないし、勘九郎・七之助兄弟は中村座出演中だし、という具合で、花形総結集というにはちと駒が揃っていない。いまひとつ、ワッとした感じにならないのはそのせいかもしれない。これが、たとえば染五郎と海老蔵が大星と判官を、菊之助と亀治郎がおかると勘平を日替わりにする、などということだったなら、前評判は三層倍ぐらいにはなっていたかも知れない。ないものねだりをしても始まらないが、たとえば平成中村座の活気に比べても、こちらは何となく大人しやかな感は否めない。まあ今回は取り合えず、ということにして、さて肝心の舞台はといえば、外の嵐のような大荒れではないが、花見酒に浮かれるというわけにも行かない。おかると勘平が道行く戸塚の坂辺りの気象のように、空定めなき花曇り、というところのようだ。

さて大序の幕が開いて(口上人形が役人替名を読上げるのが、開演前でなく、上演時間の中にカウントされるようになったのは何時からだっけ。いずれにせよ、20世紀の頃には見なかった光景であることは間違いない)、亀寿の直義が第一声を発する。この人はもうひと役は千崎だが、彼と、兄の亀三郎が石堂と不破をつとめるのが、今回私の密かな楽しみであった。彼らの父親の彦三郎は、病気のために志を縮小しなければならなかった気の毒な人だが、今の菊五郎、前の辰之助とともに、薪水を襲名して花形として躍り出た頃は、地味ではあってもその爽やかさにおいて、先の二人に充分拮抗する若きエースだった。この兄弟、とりわけ亀三郎を見ていると、あの頃の薪水を思い出す。この機会を掴んで、どうかアッと言わせてほしいと願っていたのである。で? 今度に限って言うなら弟の方が好成績だった。二役ともシングルヒット、兄貴の方は石堂で三塁打ぐらい打ってくれないかと期待していたのだったが、一歩一歩、着実に歩むのがお祖父さん以来の橘屋の家風なのかも知れない。(それにしてもこの人、随分口が小さいのが、特に不破のような役だと気になった。化粧にもうひと工夫あって然るべきだろう。)

松緑の師直を、祈るような思いで見つめる。懸命の努力・工夫はよくわかる。手強さも存外ある。人形身から返るところはもっとキッパリしてほしいと思ったが、「大序」はまあ無難として、三段目になるといわばストレートプレイで地芸になるから、どうしても若さが出る。顔のつくりが歌舞伎離れをしたリアルさで、『仮名手本』の師直というより映画の吉良上野みたいになる。(ときどき、白目を剥いて横目で睨むと、むかし時代劇映画でよく見た薄田研二という人を思い出した。子供だった当時の私は知らなかったが、新劇界では草創期以来の大物なのだと後に知ったものだった。)正月の『妹背山』の鱶七ではアッと言わせたが、少なくとも三段目の師直は、型物のようで型物でないような、なかなか手に負えない役であるに違いない。

獅童の若狭助も、大序だと、延若ばりの男ぶりが物を言ってまずまずだが、やはり三段目になると、どうも時代劇に近くなってしまう。大小を投げ出して這いつくばう師直と、切るに切りかねる若狭の居どころが、細かいことを言うようだが、どうも落ち着かない。若狭助が舞台の中心に寄っているような気がする。これは、この後の菊之助の判官もそうだったから、意図したことであったのかもしれないが。

と、菊之助が出たところで、大分長くなったからまず今回はこれ切り。この続きは次回ということにしよう。(続く)

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