随談第527回 W杯なるもの

前にも書いたことがあるが、私はサッカーというものに概して冷淡である。しかしJリーグというものが出来て以来、20年この方の「サッカー」という社会的存在については関心を持っている。

競技としてのサッカーというものは、今度に限らずW杯などで外国選手の凄いプレーを見ればなるほど大したものだと思うけれども、大相撲やプロ野球のように毎日毎日の戦績にまで目を配るというほどの熱意も関心も持ち合わせていない。Jリーグが出来た時に、この機会にサッカーにも興味を持てるようになるかと思った(みずから期待した)こともあるが、結局は、サポーターという人たちのあのハイテンションのノリノリぶりを見るにつけ、別の星から来た異種を見るようで、サッカーそのものより、それを取り巻くものの方に気が行くことになった。あれはしかし、時代の潮目の変わる、紛れもなくひとつの象徴だったのだ。

明治生まれの私の父などは、戦前以来のラグビーファンだったが、サッカーに対しては、五体満足でありながら手を使ってはいけないなんて××だ、などと今なら差別発言と取られかねないことを嘯いていたもので、べつにその影響を受けたわけでもないが、随分まどろっこしい競技だと思っていたことは確かだ。事実、以前の日本のサッカーというのはパス回しばかりにかまけていて、たまに思い出したようにシュートをする、といった感じに、少なくとも素人目には見えたものだ。それから見れば、当今のW杯代表クラスの進化ぶりというものは大変なものだが、全体から見ると、日本サッカーの宿亜ともいえる昔の後遺症は完治したとは言えないような気がする。ザック・ジャパンが攻めに行くチームを目指したところで、そう簡単に変わるものではなかったことは、私程度の目にも見て取れた。いやむしろ、なまじいろいろな新情報を知らない素人の方が、本質はちっとも変っていないことがわかったのかも知れない。

さて、そうした「冷淡な」目から見ると、四年ごとのW杯のたびに繰り広げられる大騒動というものは、何かと物思う種にならざるを得ない。前々回だったか、やはり一勝も出来ずに敗退したことがあったが(中田が7分間、仰のけになって寝たときのあれだ)、わが蹴鞠山(けまりやま)関はようやく前頭5枚目ぐらいに上ったところ、とこのブログに書いたことがある。つまり、辛うじて上位と対戦のチャンスがある地位になったがまず歯が立たない程度のぽっと出、イヤサ新進力士、と見たわけだ。それから八年経って、番付はもう少し上がったようだが、もしかすると小結ぐらいには届いたか、などというのは所詮、身びいきのお手盛り番付で、やっぱりまだ平幕だったとわかった、というのが今度突きつけられた現実というものだろう。(もっとも、常に上位にいて番付を落とさないというだけでも大変なことで、そうした地位に居続けて大物食いといわれたり名人芸を披歴したりした名だたる名力士のあれこれが思い浮かぶ。むしろそうした中にさまざまな味わいを見出すのが愉しみを豊かにするのだ。今度日本が対戦した3チームにしても、おそらくそうしたレベルなのではないだろうか。)

私などよりもっと真っ当なファンだって、今度の結果を、残念だがまあ、こんなものだろうと受け止めた人は実は少なくない筈だ。ひいき目も含めて想定内の「中」か「下」、下というと悪いが松竹梅なら「梅」である。出場できるだけだって、昔を思えば、大したことではないか。前頭5枚目力士でもよほど諸条件そろえば白鵬に勝つこともあり得るが、この一番と締めてかかられればまず勝つことは難しい。そんな実情の中で優勝を目指すなどと発言するビッグマウスは、前頭5枚目の相撲取りが優勝宣言するようなもので嗤われても仕方がないが、しかし本田選手のあの発言については、実は私は必ずしもそうとばかりは思っていない。敗退が決まった後の本田のインタビューというものは、なかなかの見ものであった。今までしてきたことを全否定してやり直すというあの発言もまた、裏返したビッグマウスなわけだが、(それまではギョロ目が気になるだけだった)本田のあの折の人相・人品骨柄から、コノオトコハオモシロイ、と思(ってしま)ったのである。

それより問題は、十に一つあるかどうかという勝ち目の中から、自分に都合のいい要素だけを取り上げて並べ立て、さも勝てそうに言い立てる、マスコミや専門家やサッカー通の論法である。この前のオリンピックのときに比べれば、NHKなどは大分控えめだったようにも見えたが、大風呂敷を広げるようだが、あの手の論法を敷衍していくと、オイドンが立てば全国の不平士族が立ちあがると読んだ西南戦争の西郷軍の戦略も、初戦の奇襲で得た勝利から次々と戦線拡大しようとした「大東亜戦争」の日本軍部の作戦も、みな同じ図式に見えてくるのが気になろうというものだ。まあ、あれを真に受けた××もそう多くはいないであろうけれど。

ザッケローニ監督は、敗戦は自分の責任といって辞任を申し出たという。これは潔い態度だろうが、後任を、今度もやはり外人監督に求めるらしいという。ということは、日本のサッカーはまだ発展途上にあって外国に学ぶことが多い、とサッカー連盟(というのかな?)が考えているということだろう。そうとも言えるが、いつまでも「御雇い外国人」に頼って、4年ごとにやれ「ザックジャパン」だ「誰それジャパン」だと、シェフが変るたびに調理法が変る店というのもどういうものか、という気もする。(ま、日本のプロ野球だってそうだけどね。)

それにつけてもつくづく思うのは、社会的な観点から見る限り、今や日本はサッカー国になったのだなあということである。大相撲よりも、野球よりも、いまや「国技」とは言うまいが、最も支持されたスポーツであることは間違いない。Jリーグが出来て20年、それがそこにあるのを当然と思って育った世代がそれだけ存在するということだが、翻って思えば、巨人=西鉄の対決が始まった昭和31年というのが、ちょうどプロ野球発祥20年だったと思えば、フームと唸らざるを得ない。つまり、長嶋も王もまだプロ選手になっていないのだ。しかし当時の貧弱な中学校の校庭にゴールポストが立てられるようになり(体育館などという「贅沢な」ものを備えている学校は例外に過ぎなかったから、バレーボールもバスケットボールも校庭の隅っこにコートを白線で画いて、つまり土の上でやっていたのだ)、マッチョな志向の男子生徒が大喜びでサッカー好きになったのが下地のひとつ。もう一つの下地は、折から普及し始めたテレビが、連日ごろ寝でビールを飲みながらナイター観戦の亭主族にうんざりする主婦層を量産したこと、この二つが下地となって(たぶん二世代以上にわたるだろう)、Jリーグ開始とともに、新しい風を求めてサッカーに雪崩れ打ったのだ、というのが私の見立てである。

サッカー連盟も、先発・先行する野球連盟の犯した失敗や運営の拙さ等々、要するにダサさを、自分たちはあゝはやるまいという反面教師として観察し研究した上で出発したから、万事につけ野球よりもすることがスマートである。時代の風に乗ったのも無理はないのだ。サポーターも、負け勝負にもめげずゴミを集めて帰ったり、負けて帰国した選手たちを温かく出迎えたり(もちろんどちらもいいことに違いない)、異なる星から来た人たちの如くに清潔で寛大なのである。だとすれば、不思議なのは何故、テレビのサッカー番組(の多く)は、あんなにダサい解説をするのだろう? 何故、W杯を見ぬ奴ァ非国民、などという声が聞こえてくるのだろう?

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