随談第63回 野球・相撲噺(その6)

城島のメジャー入りが正式に決まったらしい。城島はまあいいとして、このほかにも、そういっては何だが、え、この人が、と思うようなメジャー希望の選手たちが大勢いるようだ。やれやれ、と正直なところ思う。

前にも書いたが、メジャー入りした選手の中で私が一番偉いと思うのは野茂である。当時まだメジャーに行くすべのなかった野茂がかなり強引にメジャーに行ったのは、これも前に書いたが吉田松陰がペリーの黒船に密航しようとして夜陰に紛れて小舟で乗りつけたようなものだ。蛮行には違いないが勇気がなければできることではない。そこには、冷静な第三者の批判を超えうるだけのものがある。

野茂は、インテリの松蔭よりもむしろジョン万次郎の方に似たところが多いが、ともかく、こういう大袈裟なたとえをしたくなるだけの気概が感じられる。ともあれ野茂以降にメジャーに行った選手たちは、野茂の爪の垢を煎じて飲むべきである。

やはり、松井以後だろう。あの慎重居士の松井が行ったのが、雪崩現象のきっかけと私は見ている。松井はともかくもあれだけの選手だから、まあ別として、そろそろ「洋行帰り」にもいろいろあらあな、という事態がはじまるに違いない。パンドラの箱の蓋が開いてしまった以上、行くなといったって行く者は行くだろう。むかし「東京へ行こうよ東京へ、東京へ行けば何とかなるさ」という歌がちょい流行って物議をかもしたことがあったが、(しかし考えて見れば『桜の園』の幕切れの有名なセリフとよく似ているね)、とにかく、行くなら大活躍してもらいたい。何のために行ったのだ、というような例が、すでにもう出始めているのでなければ幸いだ。もっとも、玉も石も行ったり来たりするようになって国際化も始めて空気のようなものになるのだといえば、そうかもしれないが。

柔道はすでに明治時代から普及活動を始めていて(石黒敬七などというディレッタントの達人みたいな柔道家あがりのオモロイ文化人がいたっけ)、その結果が現在の姿だが、相撲は対照的にこちらから売り込みはしないで(常陸山という明治の大横綱が世界漫遊をやってアメリカの大統領に会ったりしている筈だが、売り込み活動はしなかったのかしらん)入門は許すというやり方をしていまの姿になった。柔道は柔道でいいが、相撲の取ったやり方も国際化のひとつの方法だろう。つまりアメリカのメジャーリーグと同じ態度である。

アメリカ野球も昔はホワイトだけしか認めないで、ニグロリーグというのが別にあったらしいが、第二次大戦後に黒人も加入を認めてから、年を経ていまの形に落ち着いたのだ。大相撲は、まだ観客の方が馴れていないから、今日の朝青龍の表彰式も途中からばたばた帰りだす客がかなり目立ったが(魁皇を応援する「おらが村さ」意識も一面としては大切なのだが、魁皇だけ、というのはいかにも田舎臭い)、蒙古襲来があってはじめて神風も吹くのであって、彼らがいなかったら随分と低いレベルでやっていることになるのだ、ということを思うべきなのだ。つまり朝青龍などは、大相撲のレベルを下がらないように引き上げてくれている恩人とも言えるのだ。琴欧州も、気はやさしくて力持ちというハンサムぶりがいかにもお相撲さんらしくて、なかなかいいね。

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