随談第99回 観劇偶談(その44)菊之助小論

この月の歌舞伎座で菊之助が極め付きの富十郎を向こうに回して『二人椀久』の松山を踊っている。向こうに回して、という言い方はもうひとつふさわしくないかもしれない。新聞には、胸を借りて、と書いたが、こちらは、あまりにも建前的すぎて、じつはもうひとつ面白くない。たしかに胸を借りているのだが、しかしそれだけには終わらない何かを感じさせる。その「何か」こそが菊之助の生命である。

言うまでもないが『二人椀久』は富十郎が雀右衛門とともに文字通り半世紀余り踊り続けてきた、既に新古典である。ふたりが元気一杯の頃は、「お茶の口切」に始まる早間の件りの壮絶なほどのテンポは、雀右衛門の松山がすっと手紙を椀久の腕に投げかける一瞬の間などと、むしろスポーツに近いスリルがあった。むしろそれ故に批判的な目を向ける人もないではなかったが、戦後歌舞伎のひとつのシンボルであったことは間違いない。

それを、菊之助の側から望んで実現した今度の舞台であるらしい。菊之助の踊り振りは、至極正攻法の真っ当なものである。何かもっと目覚しいものを期待した人がもしあったとすれば、むしろ拍子抜けがしたかもしれない。その意味では、先月玉三郎と再演した『京鹿子娘二人道成寺』の方が、はるかにスリリングだった。あそこでは、菊之助は玉三郎を「向こうに回して」踊っていた。そこでも菊之助の踊り振りは正攻法で、玉三郎の「美のための技巧」の限りを尽くした踊り振りと、みごとな対照をつくっており、それゆえの気迫の渡り合いが、踊り自体の面白さともうひとつ、当代の立女形と当代の若女形の一騎打ちの面白さをも生み出していた。

もっとも、それを言うなら、二年前の初演のときの方が、さらにスリリングでショッキングですらあった。そこでは、菊之助は玉三郎に果敢に挑んでいるかのようだった。驚くことに、菊之助はしばしば玉三郎を斬りさえした。しかし呆れたことに、玉三郎はそうして斬らせておきながら、結局は平然と菊之助を絡めとってしまうのである。そういう「勝負」が、幾度となく繰り返される。

こんどの松山は、そういう感じとは違う。相手が女形同士の玉三郎でなく、立役で、しかもはるかに大先輩の富十郎であったからでもあるし、それに第一、ふたりの白拍子花子がもつれ合うのと違い、こちらは恋人同士である。富十郎自身も、長老といわれる年配に至って、かつての鋭さ激しさよりも、踊りのエッセンスをまろやかに踊るという風になっている。

それよりも私が何より心づいたのは、菊之助が踊ることによって、『二人椀久』というこの踊りは、紛れもない平成歌舞伎の古典になるのだろうということだった。かつてのアズマカブキが初演のこの踊りは、長老となった富十郎と雀右衛門の芸様の立派さゆえに気づかなくなってはいたが、じつは、昭和三十年代という「戦後」という時代を色濃く反映していたのだった。それを、菊之助が踊ることによって、踊りの色が変わって、平成の古典を予感させたのである。菊之助のオーソドクシイということを前に言ったが、いま改めて、そのことを思わずにはいられない。

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