随談第132回 観劇偶談(その64) 今月の一押し(その3)

ヒデだのジダンだのにかまけて「今月の一押し」を書くのがつい後回しになった。

さて今月は、歌舞伎座の鏡花シリーズで段治郎、春猿、笑三郎、猿弥、右近といった猿之助チルドレンの面々がそれぞれに持てる力を発揮、というより潜在力を開発してみせた。かれらの健闘はおおいに讃えられて然るべきである。

この中では、『山吹』の心揺れながら、いや、仕事があると自分に言い聞かせて傍観者としてふみとどまる画家島津正を、てらいなく、ある説得力をもって演じ、『夜叉ケ池』の萩原晃でも、これもてらいのない演じ方で、ふたつの世界を往来する男を実感させた段治郎と、『夜叉ケ池』の百合で、鏡花のセリフをかなりの巧みさで言ってのけた春猿とが一頭地を抜いている。遠目で見ると玉三郎かと間違いそうだった。

笑三郎の『山吹』の縫子も悪くないが、どこにもすべて均等に力をこめて熱演したために、やや単調に陥りメリハリがなくなったのが惜しい。藤次に心を向けていくところを、もっと印象づけるべきだった。猿弥の『天守物語』の桃六は、無難という以上にやったのは確かだが、一押しというにはもうひと息。右近は『夜叉ケ池』の文学士山沢学円の方がよかった。『天守物語』の朱の盤坊は魔界の人間にしては健康的過ぎる。

と、いうわけで、春猿か段治郎かというところか。相討ちというのもかわいそうだから、今月は二人いっしょに殊勲・敢闘両賞ということにしよう。

歌六が、『山吹』で人形使い辺栗藤次という難役をやってのけて「性格俳優」ぶりを見せる。が、これは別格。それにしても、こういう芝居をすると、中村嘉嵂雄にじつによく似ている。

水際立った演技ということなら、『天守物語』の老女操で、天守の下で人間どもが右往左往するさまを「鏡花語」で鮮やかに実況中継してのけた上村吉弥だろう。吉之丞と間違った人さえいる。吉之丞と間違えられだけでも名誉だが、しかし吉弥はじつはこの役、再演であることも承知の上で、これを今月の一押しとする。

もうひとつ、国立劇場の『毛谷村』を初日間もなくと中日過ぎてからと二度見る機会があったが、近年七月鑑賞教室の後半は学校関係より家族連れを対象にしている。再見した日も、親に連れられた小学生が大勢来ていたが、かれらの観劇態度のすばらしいこと。単にお行儀よく見ていた、いい子いい子、というのではない。興味津々、身を乗り出して舞台を見つめているのだ。なまじ高校生・大学生になって知恵=邪念がつくと素直に見られなくなる。この小学生たちも数年後にはどうなるか知れないが、彼らを一押し番外編としよう。

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