随談随筆(その3) 親切な寺だ

昭和の黙阿弥といわれた劇作家の宇野信夫さんは、若いころ六代目尾上菊五郎のために多くの戯曲を書いたが、菊五郎のことは随筆にも倦まずに書いているので、舞台を見たことのないわれわれでも、そのひととなりを知ることができる。

宇野さんが菊五郎に気に入られて旺盛に作品を書きはじめたのは、戦前の、昭和十年代のことで、菊五郎が名優の名をほしいままにしていた盛りのころだが、ある秋、京都の南座に出演することになった菊五郎に同行して生まれてはじめて京都へ行った。若いころの宇野さんは旅行嫌いで、修学旅行すら行かなかったらしい。

京都ははじめてだと聞くと、菊五郎はびっくりして、暇があるとほうぼうへ連れていってくれた。醍醐寺に行ったとき、この寺は時雨がいいんだ、などと話をしているうちに、さあっと、ひと雨やってきて過ぎていった。菊五郎がにっこりして、

「親切な寺だ」

と言ったという話を、宇野さんは何度語っても飽きないという風に繰り返し書いている。闊達な菊五郎の笑顔が、白い歯まで目に浮かぶようだ。

ところで今年、わたしは二度までも、京都で親切な寺に行き合わせた。

あるときからわたしは、金閣寺というものを、もういちどしっかりと見直してみたいと思うようになった。学生時代に見たきりで、そのころは、金閣寺なんて観光名所の定番絵葉書みたいで、金ぴか趣味で銀閣の方が趣きが深い、などと俗流侘び寂び論みたいなことをうそぶいて、あまり熱心に見なかったのだ。

そうではあるまい、と思うようになったのは、金色(こんじき)というもののふしぎな深さに心を惹かれるようになったからだが、そう思いつつもなかなか折がなかった。この一月、仁左衛門と玉三郎が勘平とお輕をやる『忠臣蔵』五・六段目を見に大阪の松竹座に行ったついでに、一泊して翌日、金閣を見に行った。寒中の平日なので、閑散としている。わずかな観光客が交わしている言葉のほとんどは、中国語でなければ韓国語だった。

バスを降りたころからぽつぽつ来ていたのが、やがてちょっとした降りとなった。村雨に煙る金閣はひと際うつくしかった。村雨は、ちょうど見終わって帰るころには上がって、もう晴れ間が見えている。幽玄とか寂びとかいうものは、こういう移ろいのなかにこそあるのではないのか、という気がした。何にしても、親切な雨であり、寺である。

もうひとつはこの夏である。これも芝居を見に来たついでだが、永観堂の見返り観音をまだ見たことがなかったので見に行ったのを機会に、つい隣りの南禅寺の方丈を拝観しているとき、雷が鳴って激しい夕立が来た。その日の京都は梅雨明けの、後で聞けば三十六度という猛暑である。夕立は、しかし京都の雨らしく、ほどなく上がった。

南禅寺といえば山門だが、あのボリューム感の見事さはいつ見ても感服するが、しかし、真夏の午後四時過ぎ、雨上がりの山門の美しさに、わたしはしばし見惚れた。石川五右衛門が絶景と言ったのは春の夕暮れの南禅寺だが、夏の夕暮れは知らなかったのか。

いずれにしても、金閣寺といい南禅寺といい、なんとも親切な寺であった。

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