随談第179回 ‘50年代列伝(その13)昭和30年の死

*今回から「昭和20年代列伝」を表記のように改題します。

思いつくままに、まず青島幸男、船越英二、高松英郎、根上淳、丹波哲郎、それから植木等・・・。まだいたはずだ。このところ、昭和三十年前後に映画・テレビで売り出した面々の死が目立つ。大正末から昭和初年の生まれだから、ざっと八十年配、まあ歳に不足はないわけだが、いかにも時代の終りを感じさせる。月並みな言い方だが仕方がない。

社会的には「もはや戦後ではない」という言葉が流行した時代であり、個人的には中学・高校時代の「もはや子供では」なくなろうとしていた季節だった。思えば、この「季節」に目に飛び込んできたものが、その後の自分の世界を形づくる一番の基盤になっているような気がする。(いまに於いてさえ、なお。)

上に挙げたような名前とともに甦るのは、リーゼント・スタイルという安ポマードと安チックで前髪を盛り上げ、左右の髪を後ろに撫でつけたヘアスタイルで、これがいかにも「戦後的」な匂いを発散する。丹頂ポマードと丹頂チックの、スターではあったがまだ大家ではない三船敏郎を使った広告を雑誌の裏表紙などでよく見かけた。(石原慎太郎・裕次郎兄弟が出現して慎太郎刈という短髪のヘアスタイルを流行させたのもこの時期だが、あれは、なんとなく軟派っぽいリーゼント・スタイル文化に対する批評だったような気がする。一方返す刀で、坊主頭の古めかしさに対しては逆に軟派っぽく見せるという、明治の散切り頭以来の男のヘアスタイル史上、画期的な出来事だというのが私の解釈である。)

歌舞伎畑でいうと、大川橋蔵、先代門之助、岩井半四郎、今の富十郎の坂東鶴之助、今の坂田藤十郎の中村扇雀、そして誰より今の雀右衛門の大谷友右衛門という人たちの、雑誌のグラビア頁で見た素顔の写真が目に浮かぶ。リーゼント・スタイルで二十代・三十代を生きた人たちの独特の匂いである。雀右衛門も富十郎も、植木等も船越英二も、大家になった後の姿しか知らない世代の人には、おそらくわからないかもしれない共通の匂いだ。

ひと言でいうと、「安っぽい」のである。誤解されると困るからすぐに言い添えておくと、それは「若さ」ということとほとんど同義であり、もっともらしい円熟や貫禄といった、前時代の価値観を拒むものを秘めている。いまにして断言できるのだが、それこそが、この「季節」を短いがそれ独自の意味と価値をもつひとつの「時代」であったことを示すメルクマールなのだ。植木等が死んでその無責任男を高度成長期の逆説的シンボルという論評が方々で聞かれたが、あの軽々と飛び回る植木等演じる無責任男の身の軽さが、じつはこの括弧つきの「安っぽさ」から生まれ、培われていることを、実は言い落としてはいけないのだ。戦前派や戦中派から見ていかにも「軽薄」で「安っぽく」見えるがゆえに、それは新しい価値でありえたのだ。そうしてその「軽薄さ」「安っぽさ」が、それを批判し軽視した前代の人々の知らない批評性を秘めていたことは、いま思えばあきらかだろう。

雀右衛門にせよ、富十郎にせよ、歌舞伎の芸ということを離れて私が彼らに感じるのは、瞬時に消えてゆくようなはかなさであり、それゆえの哀切さである。それは私にとって、父よりも若く兄よりも年嵩の、この世代の人たちに共通して感じる、涙ぐむほどに懐かしい何ものかなのだ。

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