吉井だの小宮山だの少し渋いところから話が始まったが、メジャーから帰ってきた選手たちの中で、何といっても面白いのは新庄である。あのキャラクターは、たしかにプロ野球選手の中でとび抜けている。もともと特異な存在ではあったが、「アメリカ」という体験がなかったなら、いまのあのキャラクターはなかったに違いない。キャラクターもまた成長する。体験を成長に結びつけたところに、端倪すべからざる聡明さを、私は新庄に感じている。もしかするとそれは、世の人たちの見ている「新庄」とすこし違うかもしれない。... 続きを読む
随談第7回 上村以和於野球噺(その1)続きの続き
よく覚えているのは、巨人の攻撃で走者一塁のとき、誰だったか痛烈なゴロを一、二塁間に放った。一塁手が横っ飛びに取って二塁へ投げてホースアウト、二塁手がすぐ矢のような送球を一塁へ。誰もがハッとしたが、ワール投手という、おなじみのシールズから大リーガーとなったピッチャーが、いつの間にか一塁塁上にいてパチンと球を受けて(という表現は、そのころ愛読していた『おもしろブック』に載ったルポ風観戦記の一節の記憶による再現である)ダブルプレイが成立した。... 続きを読む
随談第7回 上村以和於野球噺(その1)つづき
小学生のころ、サンフランシスコ・シールズというのがやって来た。メルトン投手とか、スタインハウアー選手とかいう名前を覚えている。格好いいというより、名前からして凄味があるような感じだった。オドール監督というのはヤンキースのディマジオの師匠で、ディマジオの弟弟子のミッキー・マントルというのもついこないだまでシールズにいたのだが、今度は来ないらしいという話だった。... 続きを読む
随談第7回 上村以和於野球噺(その1)
しばらく野球の話をしよう。... 続きを読む
随談第6回 ここらでちょっとひと理屈
随談を書き始めて一週間。これが6回目だから、開店の売り出しのように短い間に詰めて書いて店先を賑わしたが、第1回にも書いたように、そろそろ週一回程度にペースを定め、連載のコラムでも書くようなつもりで書いていくことにしよう。それも、これまでのように、雑然と日記のように書くよりも、月替わりか何かでテーマを立てて書いた方が、バラエティが出来て面白そうだ。もちろん、テーマを決めるといっても、そこは随談だから融通無碍、話はどうワープし、飛躍するかわからない。... 続きを読む
随談第5回 私家版 問題な日本語 「は?」の巻
何かを言われる、あるいは命じられるか頼まれるかして、「は?」と問い返す。若い世代に始まって、近頃はかなり年配の女性にも聞くようになった。不満、不同意、ノーの婉曲表現、おとぼけ等等等。... 続きを読む
随談第4回 ときにはこういうものも
上演日わずか8日間。9日で終わってしまうようだから、いまさら奨めても遅いかも知れない。だからせめて書いておくだけで満足しなければならない。... 続きを読む
随談第3回 勘三郎の『籠釣瓶』(続き)
まもなく勘三郎ご本人から「怒るわけないじゃありませんか」という手紙をもらった。やがて京都の南座で『籠釣瓶』を再演したが、私は見に行けなかった。すると今度は浅草公会堂のロビーで会った。わざわざ向こうから近づいてきて、今度はうまくいった、という話だった。しかしそれからしばらく、上演はなかった。... 続きを読む
随談第2回 勘三郎の『籠釣瓶』
この欄では劇評はしないつもりである。しかし劇評からはみ出してしまうようなこともいろいろある。... 続きを読む
随談第1回 「エイリアン感覚」
4月2日... 続きを読む