随談第33回 上村以和於相撲噺(その6)

しばらく間があいたが、相撲噺の締めくくりをつけておきたい。前の野球噺もそうだが、ただの思い出話を昔語りにしているつもりはないのであって、それぞれのいま現在を、暗に論じているつもりである。歌舞伎の話をちっともしないという声もあるようだが、それについても、野球や相撲の話をしながら、ひるがえって歌舞伎の話にも通じることを、話しているつもりなのだ。... 続きを読む

随談第31回 俳優偶論(その4 中村時蔵)

『十二夜』の話をもう少し続けたい。菊之助がヴァイオラ=シザーリオとセヴァスチャンをひとりで兼ねたのが、シェイクスピアの設定した趣向を歌舞伎の手法ではじめて実現して見せた好例とすれば、オリヴィアを赤姫として造形して時蔵に配したのは、シェイクスピアを歌舞伎の意匠で装って歌舞伎ならではの効果を挙げた好例といえる。... 続きを読む

随談第30回 観劇偶談(その11)

松竹座を見てきた。勘三郎襲名の興行を真夏の大阪でやるというのは、大阪という街にも、勘三郎という役者にも、どちらにもふさわしい。まだ梅雨が明けきらない、真夏というには多少気が早いが、しかし二日滞在した内の一日は、昼頃から晴れ上がって抜けるような夏空だった。松竹座のキャパ、ひと月という興行日数のせいもあり、歌舞伎座の三ヵ月にもまして切符の手に入らない連日であるらしい。... 続きを読む

随談第29回 俳優偶論(その3 尾上菊之助)

『十二夜』を初日に見た。劇評は例によって他に書くから、ここでは菊之助について書くことにしよう。実を言うと、菊之助は私にとっては論じにくい役者に属する。これは好き嫌いとか興味のあるなしの問題ではない。好きな役者が論じいいとは限らない。菊之助の場合、事はこの人の備えているオーソドクシイの問題と関わっている。だが『十二夜』の菊之助を見て、ひとつの手がかりを見つけたような気がする。... 続きを読む