随談第5回 私家版 問題な日本語 「は?」の巻

何かを言われる、あるいは命じられるか頼まれるかして、「は?」と問い返す。若い世代に始まって、近頃はかなり年配の女性にも聞くようになった。不満、不同意、ノーの婉曲表現、おとぼけ等等等。

「はア?」と半拍ほど長くなると、その分「不」の意思が露骨になる。つまりノーの直接表現に限りなく近くなる。

せいぜいここ十年か、よく耳にするようになったのは。二十年とはさかのぼらないだろう。

かつても「は?」はあった。多くは男性、上司に対して「は?」と問い返す。返答を考えるための時間稼ぎ。ときには本当に聞きなおすため。いずれにしても、うやうやしい態度であることに変わりはない。

つまり文字で書けば同じだが、昔からの「は?」と、近年になってはびこりだした「は?」とは別物と考えるべきである。にもかかわらず、昔ながらの「は?」と同じ表現を採用している。おそらくそのふたつの「は?」の間に、どこかで連動しつつ、ここ十年かそこらの間に生じ、あっという間に広まってしまった意識の変動があるに違いない。

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随談第4回 ときにはこういうものも

上演日わずか8日間。9日で終わってしまうようだから、いまさら奨めても遅いかも知れない。だからせめて書いておくだけで満足しなければならない。

昨日、吉祥寺の前進座劇場で小山内薫作『息子』、真山青果『玄朴と長英』の二本立てを見た。「本近代劇名作選」というタイトルがついているが、それぞれ大正12年と13年の作である。登場人物は前者が三人、後者が二人。音楽もない。ほんのわずかな効果音があるばかり、あとはひたすらセリフ、セリフだ。もちろん仕草はあるがごく普通のリアリズムで象徴的な意味などはない。あるのは対話、言葉の応酬だけだ。

演技評はいまはしない。嵐圭史とか藤川矢之輔など、座の実力派で締めているから、まず相当の出来だったとだけ言っておこう。

見ながらつくづく思ったのは、こういう言葉のやりとりだけで成り立っている舞台が、いま改めて、懐かしいほど新鮮に感じられたということである。観客がじっと聞き入っている芝居。ああ、芝居ってこういうんだったよな、という感じ。懐かしいと言ったのは、それだ。近頃よくいうデジャヴィ、というのは既視感と訳すように視覚に関する言葉だが、それの聴覚版は何というのだろう。

テレビよりもラジオで育った世代だから、子供のころはラジオドラマが全盛時代で、シリアスなのから茶の間向き、子供向き、いろいろあったが(ラジオドラマの話は、いずれまた改めてしよう)、いま思うと、ラジオの作者というのは新劇の作者とかなり重なり合っていた。『息子』の小山内薫調がなつかしく響くのもひとつにはそれだ。しかしそういう個人的な回顧とは別に、改めて思うのは、こういうセリフまたセリフという芝居こそ、やはり舞台の基本なのだということである。

もちろん、歌舞伎から「歌」と「舞」を引いて「伎」だけになってしまった新歌舞伎への反逆からスーパー歌舞伎が発想されたように、パフォーマンス隆盛にはそれ相応の理由があるのはいうまでもないが、時にそれへの反省があってしかるべきである。少なくとも、吉祥寺での二時間は、きわめてすがすがしい二時間であったことは間違いない。

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随談第3回 勘三郎の『籠釣瓶』(続き)

まもなく勘三郎ご本人から「怒るわけないじゃありませんか」という手紙をもらった。やがて京都の南座で『籠釣瓶』を再演したが、私は見に行けなかった。すると今度は浅草公会堂のロビーで会った。わざわざ向こうから近づいてきて、今度はうまくいった、という話だった。しかしそれからしばらく、上演はなかった。

心に期するところがあったのだ、と知ったのは,襲名披露の演目の中に入っているのを見たときだっだ。正直、三分の不安があった。だがその不安は、序幕を見て消えた。芝居が進んでからも、不安や疑問は入り込む余地がなかった。

問題は笑うのがいいか悪いかではない。次郎左衛門の心情がいかに得心できるかだ。

勘三郎は理解していたのだ。また市蔵たちの演じる同郷の絹商人たちにも、にがりが出来てこの前とは格段の違いである。

私の書いた劇評がどのぐらい役に立ったかはわからない。しかし間違いないのは、勘三郎がこの前の不発の理由をきちんと捕らえ、解決すべきは解決して、襲名の座に上ったということである。勘三郎にその意図があるかどうかは別として、私としては、あちらのコートに打ち込んだボールが、逆にこちらのコートへ打ち返されてきたような気持ちである。

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随談第2回 勘三郎の『籠釣瓶』

この欄では劇評はしないつもりである。しかし劇評からはみ出してしまうようなこともいろいろある。

18代目勘三郎襲名披露公演が2ヶ月目に入ったその4日目を見た。いまここで書こうと思うのは、夜の部の『籠釣瓶』のことである。佐野次郎左衛門を初役でやったのは、1999年の12月だから五年半前になる。いいだろうなと思って見に行って、「序幕」の吉原仲ノ町の見初めのところで、はやくも私は首をかしげてしまった。

なにかが変だ。玉三郎の八ツ橋が花道を入るのを呆然と見送って、ニヤリ、というか、なんとも表現のしにくい感じで笑いを見せる。私の知っている次郎左衛門といえば、先代つまり17代目勘三郎か先代幸四郎、つまり白鸚より後だけだが、ここで笑う次郎左衛門ははじめて見た。なんでも初代吉右衛門が若いときにやったのを勘三郎(ややこしいが、もちろん当時は勘九郎だ)が調べたかしての、試みだったらしい。笑うこと自体がいけないのではもちろんない。だが舞台を見ている限り、ここで笑う次郎左衛門の心象をわたしは掴み兼ねた。

もうひとつは、勘九郎だけでなく、後の「縁切り」の場に出てくる同郷の同業者たちにしても、うまい下手ではなく役が持っている灰汁がない。八ツ橋を身請けしようというまでになった次郎左衛門が、自分のモテモテぶりを見せようと、仲間を連れてくる。しかし思いがけない愛想尽かしにあって面目丸つぶれになる。アテがはずれて仲間たちが不機嫌になる。一皮むけば酷薄な人間関係の上にわれわれも生きているわけで、『籠釣瓶』という芝居の面白さというか怖ろしさはこういうところにもあるわけだが、ここで肝心な先代たちにあった役者の灰汁がない。つるっとしていて、コクがないということになる。

そういうことを、私は当時の『演劇界』の劇評に書いた。ついでによせばいいのに、勘九郎よ怒るな、と書いた。よけいなことを書かない方がいいのに、と心配した友人もいた。だが、その一言のせいかどうかは知らないが、この劇評が、私と新勘三郎のつながる縁の端となったのは事実だった。(つづく)

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随談第1回 「エイリアン感覚」

4月2日

きょうから書き始めることにしよう。ちょうど区切りのいい日にめぐり合わせた。形式上は昨日からだが、16年間の学校勤めにケリをつけて、また元のフリーの身となった。もちろん隠居でもなければ、これからはのんびりやります、というのでもない。現役はたぶん脳ミソがぼけて使いものにならなくなるまでは続けるだろうから、この区切りは、ボーナスというものを貰う専任職というものからフリーになったという意味が一番強い。

もちろん年収はがた減りだから、暢気な話では全然ないのだけれど、まあそのことはちょっと措いておくことにすると、なんともきれいさっぱりとして爽快だというのが、いちばん率直な感想である。このあたりが、企業にせよ学校にせよ、組織というものにずっと身を置き続けた人と、ちょっと感覚の違うところかも知れない。

思えばこの16年間というものは、私にとっては稀有な体験をさせてもらった日々だった。私のいたような小さなところでも、組織であることに変わりはない以上、組織の論理で物事は動き、人もそれに従って仲良くしたり反発し合ったりする。自分もその中で蠢きながら、同時にそれは、「私流人類学」の生きた教科書であり、実習教材でもあった。早い話が、この16年の体験がなかったら、私はいまほど芝居が分からないままだったのではないだろうか。「私流」とは、中日ドラゴンズの落合監督の「俺流」みたいなものと思ってくださればいい。

ちょっぴり白状すれば、私は、エイリアンとしてこの16年を過ごしたのかもしれない。もちろんそれは、ちゃらんぽらんに働いたという意味ではない。考えてみれば、私はごく若いときから、自分はいまここにいていいのだろうか、という思いを、いつも伴奏者のように連れて歩いているような気がする。いつもどこでもエイリアン。それはいまでも変わりがない。よそ目には、大きな面をしているように見えたとしても。

ところでこの『隋談』だが、これを第1回として、この欄に書いていくことにする。随想、というとモンテーニュを連想して固くなりそうだし、随筆というとまた独特のニュアンスがつきまとう。随談という言葉は、林家彦六になって亡くなった八代目の正蔵が、自分の会などで時間が自由になるときに、噺のマクラに心にうつりゆくよしなしごとを語ったのを、随談と呼んだのが最初らしい。「ブログ」とルビを振ろう。とかく締まりがなくなりやすいのがブログの欠陥らしいから、分量も決め、相成るべくは定期的に、新聞か雑誌のコラムでも書くつもりで、つまり自分にタガをはめて書き続けることにしよう。

と、まず本日はこれきり。

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上村以和於、自著を語る・2005年

(1)『歌舞伎の情景』 *クリックするとamazonの詳細ページへ飛びます。

歌舞伎に関しての本としては最初の本。(共著は別として。)それまでに「演劇界」に書いたいろんな文章からアレンジした上に書き足してまとめた。解説風あり、ミニミニ歌舞伎論あり、随筆風あり。まったくの偶然だけれど、このとき「演劇界」に書くようになってちょうど20年たっていた。ボクにとってのひとつのけじめ、同時に出発点。
「演劇界」についていろいろ言うけれども、少なくとも我々世代にとっては、あそこに書けるようになるのはアコガレだった。詳しくは「まえがき」と「あとがき」を見てください。

 

(2)『演劇の季節』 お薦め!!

たまたまひと月遅れというタイミングで出した。「関西文学」という雑誌に1年間連載したもの。版元の関西書院というところで主催していた関西文学賞の評論部門で受賞したあと、連載の話があって書いた。第1回の原稿をFAXで送ったたしか翌日があの阪神大震災だった。もっとも出版社は大阪だから無事だったけど。
本当はもっと文学随想風に書くつもりだったのだけど、同じ頃、のちに『時のなかの歌舞伎』になる「近代かぶき批評家論」を学会誌に書き始めていたので、ゆっくり書いている暇がなくなってしまい、題材もダブるところもあるので、書き分けるのに苦労しました。
当時『歌舞伎の情景』の第1章の作品論も3ヶ月のズレで連載していたから、まあ3本かかえていたわけです。もう一回、もっと文学文学したのを買いてみたいね。そうそう、新聞に劇評を書き出したのも同じ頃だったんだ。

 

(3)『21世紀の歌舞伎俳優たち』

ちょっととんで3年後の出版です。前の二冊を出した翌年、これも「演劇界」に連載したのです。第1回が仁左衛門なのはちょうど襲名に宛てて連載が始まったから。という風に、どの本にもその時々の時代の反映がある。
「演劇界」の連載は、仁左衛門の襲名を機に、現在第1線バリバリの12人(ただし人選は編集部の立案を了承)について、1号一人づつ俳優論を書くというもの。1998年3月号から1年の予定で、事情で1年半かかりましたが、編集部としても、取り上げた人をその号の表紙にする(もちろん売れ行きに関わります)という張り切りようで、楽しい仕事でした。
連載が終わって、できれば本にしたいとは思っていましたが、何人もの未知の読者から、本にはならないのかという声を聞き、「有難い」という言葉の文字通りの意味をつくづくと感じました。やがて三月書房の吉川志都子さんの姿が目の前に現れました。企業としては超ミニ出版社だけれど、出版目録を見ればすごい名前の著者がならんでいる。忘れもしない1999年の12月30日でした。吉川さんと初対面のその場で、出しましょう、と決断してくれました。4人加えて16人とすることにして、その4人の分は明けて正月の三が日に書いて送りました。
さてそれからが大変なことになった。出版記念会をやろう、それも、16人の俳優たちに発起人になってもらって、というのです。そうはいったって、今をときめくそうそうたる16人が、しかもそろって引き受けてくれるとはちょっと考えられない。
ところが、みな引き受けてくれたのです。その前に、本にするについて、ひとりひとりに手紙を書き、承諾をもとめました。これもみなOKをくれましたが、そのくれかたが、それぞれ個性があって面白い。自ら直接電話をくれた人、奥さんから電話という人、手紙をくれた人、その手紙も、自身か奥さんか、また長短さまざま、OKのくれ方もさまざまでした。
さて出版記念会はぶじ開きました。当日の模様は、「演劇界」にちいさな記事になりましたから、興味のある方はご覧ください。本もお陰で好評で、完売しました。まあ、とにかく、私の本としてはいろいろ目立った本でした。

 

(4)『新世紀の歌舞伎俳優たち』

(3)の好評の勢いに乗っての姉妹編。ただし今度は書き下ろしです。人選も当然ですが自分で決めました。若手花形と、前作に入れられなかった第1線の人たち、合わせて22人。
ただし、執筆中に亡くなった澤村宗十郎については、「演劇界」に書いた追悼文を転載させてもらいました。それと、難病に倒れ、リハビリに励んでいる澤村藤十郎から、話をしたいからという電話を貰い、闘病から現在に至る心境などいろいろな話を聞けたのと、この二つがとりわけての思い出です。
若手について書くのがいかに難しいか。たとえば、ここに書いた新之助と、現在の海老蔵とでは、もうずいぶん違ってしまっている。しかしだからこそ、その時その時のことを書いておく意味があるのであって、もう過去のことだから読んでも仕様がない、ということではない筈だと思います。

 

(5)『歌舞伎―Kabuki Today』

順番からいうと(3)の次になります。出版社からのお名指しで書きました。もっとも、売りは大倉舜二氏の写真、箔付けはドナルド・キーン氏の序文ですが、ともあれこの著名なお二人と並んで名前が出ました。なるほど、写真はすばらしい。本来、海外向けの本ですので、英語版がメインですが、国内向けにバイリンガル版も作りました。
私が英文で書いたと早合点した人もいるようですが、「そこの角を右に曲がるとポストがあります」なんていう英作文ならともかく、まさかまさか・・・。私が日本文を書き、あちらの人が英訳したのです。なまじに歌舞伎を知らなくてもいいから、質のいい英語を書ける人を、と注文をつけたのですが、果たして、ちょっと難しいけれど、品格のあるいい英語ですね。たしかオーストラリア人の女性と聞きましたが、歌舞伎もきちんとわかっている上に、何よりもセンスがいい。
ところでアメリカ版の売り出し予定が2001年9月、すなわちあの同時多発テロと重なりました。売れ行きに響いたかどうか。

 

(6)『時代(とき)のなかの歌舞伎―近代歌舞伎批評家論』

歌舞伎学会の機関誌「歌舞伎ー研究と批評」に約10年にわたって連載したものに、書き足したり、書き直したりした。ざっとこの100年間の批評のあとをたどれば、近代という激動の時代に、日本人が歌舞伎をどう受けとめ(愛し、反発し、あるいは無視し)てきたかが判る。それはそのまま、近代日本の知の振幅を反映している。だから私としては、いままで書いたどの本よりも一般性、普遍性がある(やさしいか難しいかは別として)、つまり、歌舞伎は知らなくとも、知的な幅広い関心を持った読書人といわれるような人にも読んでもらえる本だと思っているのだが、どうやら、歌舞伎という特殊な分野のそのまた批評という二重に特殊な分野の本という風に受け止められてしまったらしい、と目下少しヒガンデいる。(分類という思考法にどっぷり浸った現代人の抜きがたいセクショナリズム!早い話が、表紙に歌舞伎と書いてあるだけで、書店では演劇書コーナーに押し込められてしまうノダ。)もちろん中には、数学者の森毅さんが溜飲の下がるような書評をしてくれたり、きちんと受け止めてくれた人もあるけれど。

 


共著

 

『カブキ・ハンドブック (ハンドブック・シリーズ)』

 

『カブキ101物語 (ハンドブック・シリーズ)』

 

どちらも1993 新書館

 


翻訳(代表作)

 

1. 『悪霊に魅入られた女』 1974 平安書店 ホラー映画流行にのった際物。わりに売れました。

2. 『青い空カレンは走った』 1976 主婦の友社 脳性マヒの少女の愛と感動の実話。点字版や吹き込み版もあるはずです。

3. 『ホイッスラー』 1977 ライフ巨匠の世界 タイトル、版元を見ればお分りと思います。

4. 『中国・インド・ビルマ戦線』 1979 ライフ第2次世界大戦

5. 『ヨーロッパ第2戦線』 1979 同上

6. 『キテイホークへの道』 1981 ライフ大空への挑戦

7. 『エアライン草分時代』 同上

8. 『800号を打ったもう一人の男、黒いベーブルース ジョシュ・ギブソン』 1979 講談社 アフリカ系アメリカ人がメジャーリーグから締め出されていた時代の大選手。王選手の800号に引っ掛けて出した。一番話題になり、一番面白かった仕事。

9. 『裸のローレンス、アラビアのローレンスの虚像と実像』 1980 講談社文庫 一番売れ、ほかの著者の引用や参考文献などにも載った。

10. 『サタンタッチ』 文春サスペンスシリーズの最初の5冊の1冊。5万部も出したがさっぱり。シリーズのちの隆盛の人柱といわれた。

11. 『100億ドルのスキャット」 同上

12. 『地中海戦争勃発す』 創元ノヴェルズの1冊。このシリ-ズにはまだあったはずですが、手元に見当たらない。

13. 『クロスファイヤ』 サントリイ・ミステリー大賞海外応募作。佳作入賞で本になった。このほかにも、訳したけど(お金ももらったけど)落選したので日の目を見なかったのもありましたっけ。

まだあるはずです。ハーレクイン・ノベルズに女性名前で(名前だけの女形?)何冊かだしたこともあります。名前は企業秘密かも知れないから内緒。一応、当時の人名事典に名前が載っていました。

・・・というわけで、なんでもありの専門なしの翻訳家でした。でも長いのは1000枚を超えるのもあり、よい文章修行にはなりました。

 

 

上村以和於 平成17年3月

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From Iwao

上村以和於です。ホームページを開くことにしました。内容は、

(1)仕事についての広報。(現在・近未来・未来・ゆくゆくは過去も)

(2)随談のページ。(新聞・雑誌などの枠の中では言い尽くせないこと、劇評や評論以外の形で訴えたり語ったりしたいことを発信する場として。)

(3)時にはCMも。

(4)その他その他(よきご提案があればどうぞ)

まずは、思い立ったが吉日式に発進。アイデアは後から沸いてくる、という以和於方式で開幕します。

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