随談第661回 嗚呼!自己責任

自己責任という妙にガチガチした言葉が日常に入ってきたのが今世紀になってからなのは確かだろう。中東などの戦闘地域に入るのは自己責任においてなすべきである、というようなことがしきりに言われたのがかれこれ20年の「昔」だから、自己責任なる語が日常語となったのもむべなるかなとも言えるわけだが、われわれ旧弊人には異物が混入したような感がいつまでもつきまとう。

マスクをするしないは自己責任に置いておこなってください、と政府が言う。

車外に出るのは自己責任に置いてお願いします、と大雪で立ち往生した電車の車掌が車内アナウンスで言う。

あーあ。

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近ごろ、テレビ(に限らないが)でコメンテーターやインタビューその他取材に応じて何かを喋っている人が、識者・一般普通人を問わず、また男女年齢を問わず、たとえば「経験値」とか「スピード感」とか「部分」とか「より何々である」とか、その他その他、私などからするとひどく硬質で大仰に感じられる言葉を使ってものを言う人が多くなっているような気がする。「私の経験では」ですむところを「私の経験値からすると」というたぐいの例がよく耳に入る。したり顔でもっともらしがっているようで気になるが、もっともご本人にそのつもりはないのかもしれない。「オレの経験値からするとA店のラーメンよりB軒のラーメンの方が、より美味いっすね」とか、「ハルミよりナツミの方がより俺の好みだっていう部分があるっすね」などという具合である。

「スピード感」というのは政治家や官僚が好んで使うようだが、これが一般人にも感染して、その度合いはコロナ感染どころの比ではない。むかしは蕎麦屋さんに「さっき出前を頼んだ天ぷらソバ三つ、まだ来ないぞ」と催促すると「すみません。ただ今出たところです」と返すのが常で、これを「蕎麦屋の只今」といったものだが、当世語に翻訳すると「すみません、スピード感を持ってデリバリー中です」ということになるわけだろう。

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反対に、固くていいものを柔らかい言葉で言うのも耳につく。大相撲の放送を聞いていたら、アナウンサーが「貴景勝は突き押しが持ち味です」などと言っている。「突き押し」は貴景勝関にとっては最大の「得意手」であって、あれを「持ち味と言うのだろうか? もっとも、突き押しが上手くいかないとすぐに引き技を使って墓穴を掘るのがこの力士の悪い癖だが、まさかこれは「持ち味」ではあるまい。

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隠岐の海が引退した。「サンデー・モーニング」で司会の関口宏氏が、私は大ファンでしたと語っているのを聞いてヘーエと、(失礼ながら)ちょいとばかり見直す思いだった。私も、大ファンというほどでもないが、本場所が始まると気にかけている力士の一人であったことは間違いない。昔ながらのケレン味のない四つ相撲、型にはまったときは大関相撲ともいうべき格のある取り口で、相当の強みを見せた。昨今主流の取り口ではない分正直すぎたとも言えるが、そこが伝統美ともいうべき風格があった。何よりも、その風格を支えていたのが立派な風貌で、隠岐で薨じたという後鳥羽上皇の血を引いているのではないかしら、と言った人すらある。「隠岐の海」という四股名もよかった。こういう、格調のあるオーソドックスな四股名が少なくなって、漢字三文字をすべて音読みする四股名が大勢を占める昨今、呼出しや行司がその名を呼ぶのを聞くだけでGOOD OLD DAYSの大相撲の雰囲気が甦る感があった。

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ついでにもう一つ大相撲に関する話。テレビ中継で「行司デー」と称して登場する行司についての逸事等を紹介していたが、まあそれもいいが、普段もっと、行司に限らず呼出しや検査役(とは今は言わなくなったのだった。審判員か)の名前を普段からテロップでもっとマメに出してもらいたい。以前は、行司や呼び出しが土俵に上がるごと、検査役が交替や、物言いがつきそうな時等々、ごく自然な形で半身がアップになり、名前が表示されたものだった。(大相撲放送担当のアナウンサー諸氏に申し上げる。昭和30~40年代ごろの映像をご検討ください。ひと目で成程とお分かりの筈である。)行司デーだの呼び出しデーだのと、特別なことをしなくとも、視聴者は自然に彼らの顔と名前を覚え特徴や個性を知り、親しみを持ったものだった。審判員は元関取だが、歳月と共にかつてとは風貌風采も変わり、土俵下に座っている姿が写っても、「あれ誰だっけ?」と思うことがよくあるが、端然と座っている姿のショットに名前もテロップで出してくれれば、顔と名前がおのずとおぼわって古いファンには懐かしく、新しいファンには親しみも増して、よろしいと思うのだが。

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訃報二、三件

(1)門田博光 打撃三部門いずれも王・野村に次ぐ生涯記録を残しながら、知名度がこの二人に比べるべくもないところに、この(偉大なる)野球人の存在の在り様のすべてがある。「最後の野球バカ」と野村が評したそうだが、「以て瞑すべし」とはこういう場合のためにある言葉かも知れない。
 野村には、監督としてのもう一つの人生に加え、独特の弁舌の徒としての生き様(という言葉はこういう場合にこそ使うべきであろう)がある意味で王以上の存在感をもつことになったが、愛弟子ともいえる門田にはそれがまるでなかった。

(2)鈴木邦男・渡辺京二 人さまの語る以上のことを書くだけの知識がなければ書かないのが原則だから、この二人の場合もそれに違いないのだが、ここに名前だけでも記しておこうと思ってのこと。つまり、それだけの関心を持たざるを得ない存在であったということになる。もっとも、渡辺氏の文章の読みにくいことと言ったら・・・

(3)三谷昇 久しく念頭から消えていた人だが、小さな記事にその名を見つけて、あるひと頃の記憶が蘇った。日生劇場が出来、文学座から中堅どころがごっそり抜けて、「雲」という劇団を結成してここの舞台に出るという一時があった。その劇団「雲」と「四季」の俳優たちと一緒に、17代目勘三郎が出来たばかりの日生劇場で『リチャード三世』をやったりした。そうした中でこの人を見たというのが、ある懐旧の念を喚起させらた。あれがもう、ざっと60年の昔のことである。

(4)清水可子 この方の訃は、新聞ではなく日本演劇協会の会報で知った。知る人ぞ知る演劇人だが、表に出ない形での功績は計り知れない。「ベクコさん」と親しい方々は呼んでいた。88歳だったとの由。

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その日生劇場が、現在東京最古の劇場となったのは前の歌舞伎座が取り壊された時点でのことだったが、その現在の歌舞伎座がこの4月で10周年になるのだそうだ。東横本店が今日(1月31日)で終了というニュースが話題となっているが、国立劇場も10月限りとか、その他その他の同様のニュースをこのところしきりに聞くにつけ、NHKホールも小田急デパートも、みな昭和40年代前後の誕生であったことに気が付く。してみると鉄筋コンクリート製の「ビルヂング」(と、かつては表記したものだった)というものの寿命は、せいぜい60年程度であるらしい。渋谷ヒカリエ、なんてのも、いまの小学生が高齢者になるころには取り壊される運命にあるわけで、まこと盛者必衰、風の前の塵のごとしというわけだ。

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歌舞伎座の『十六夜清心』その他、国立の『遠山桜天保日記』については『劇評』第11号をご覧ください。