お詫び 水野久美さんについてのこと

今月2日付の随談第655回に、水野久美さんについて訃報を聞いたという趣旨の一文を載せましたが、お読みになった方からの指摘を受け、調べたところ、私の思い違いであったと認めざるを得ないようです。水野さんには大変失礼なことを致しました。また、お読み下さった方々にも申し訳ないことでありました。ここに訂正・抹消の上、お詫び申し上げます。

随談第655回 だいなし

今回も、オッと目を引かれる訃報を見つけた。順不同で、

まず石浜朗。兄世代である。ということは、こちらは小6、中1ぐらいの年頃になっていろいろ世の中のことが眼中に入ってくるようになった頃に、あちらは高校生から大学生といった年齢でスターとして売り出したところ、という世代差になる。健全な環境、と言っても、一般人から見てそう手の届かない(というほどでもない)ところで生まれ育った、大人から見ても、同世代から見ても、(私のように)やや年下の者から見ても、ほどほどの距離感をもって見ることのできるスター、と受け止められていた。手の届かないところにいるスターではなく、見る側の世代年配によって、感じのいい息子の友人であったり、同輩だったり、知り合いのお兄さんであったり、といった距離感がミソで、いつも詰襟の学生服を着てスクリーンにも雑誌のグラビアにも登場した(ような気がする)。(これが、現代の高校生大学生のタレントと決定的に異なるところで、このことの持つ意味の大きさと多様さは、ちょっと考えるよりはるかに大きいに違いない。)

でまあ、この件についての難しい分析解析はいまは兎も角として、いつも詰襟の学生服を着ているような役をして、当時の青年の喜びや悩みや・・・を演じるのが彼、石浜朗の役柄であり役割だった。実際に彼は、たしか立教大学の正真の学生だった。(と書いて、気が付いてみれば、たぶん、長嶋茂雄選手や杉浦忠投手や本屋敷錦吾選手などと同じころに在籍していたことになる筈である。)沖縄戦の「健児の塔」とか、美空ひばりと共演した『伊豆の踊子』(これを見たある若い国文学徒が、この石浜朗を見て若き日の川端康成そっくりだと驚いていたことがあった。またこの美空ひばりを見ると、彼女へのイメージが変わる人も出るだろう。余計なお世話だが、ついでに一言)とか、昭和20年代の後半から30年代へかけての、戦後の空気を最大公約数的に担い、伝えつつ、いまでいう青春ドラマ(などという言葉はもちろんなく、実態も天地ほど異なるものだったが)を演じた俳優、ということになる。だが、その死を伝える記事を読むと、代表作として『切腹』その他を挙げるのはいいとして(演技者としては、まあたしかに、『切腹』を以って代表作ということになるのだろう)、より若き日の、ということは、スターとして最も輝かしかったころの、それから、その存在が「時代」を語ってはるかに雄弁であった「学生服」を着て演じたもろもろの作品に触れた文章にはお目にかからない(ということに、私などはいまさらながら、軽い、しかし結構深い、衝撃を覚える)。書いた記者が往時を知らず、何かを調べて書いているからであろう。よく政治家などが、後世の史家に俟つ、などと聞いた風なことを言うが、後世の史家というのも案外、頼りにならないものかもしれない。

数年前、同じく松竹映画のスターだった有馬稲子と共演した『白い魔魚』というのを(原作は舟橋聖一が朝日に連載した新聞小説で、中学生だった私はちょいと背伸びをしながら愛読していた)、なつかしさに惹かれて池袋の文芸坐に見に行ったら、何と当の石浜氏ご本人がゲストとして上映後に登場、アフタートークをするという「幸運」に巡り合った。そのときすでに80歳ということだったが、歳は取っても、印象としては、詰襟の学生服を着ていた昔のイメージを損なうことはなかった。むしろ、あまりにも変わらなかったとも言え、そこが、やっぱり石浜朗は石浜朗だ、という感じだった。きっと、いつ会っても、いい人だったに違いない。

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島田陽子、となるとこっちはもう、それなりの年齢になってからの人だから、同じ「懐かしい」と言ってもその度合いは全然違う。この人の場合も、訃を伝える新聞やテレビの報道はなにやらお定まりのことを伝えて終わったようだが、何と言ったってこの人は、一介の素人娘が、朝日新聞が莫大な懸賞金を投じて新聞連載小説を募集して大きな関心を集めた入選作、三浦綾子作の『氷点』の映画化に当ってヒロイン役として発見され、演じ、一躍スターとして売り出した、あのことを語らなければ、このスターの全貌を、ごく簡潔になりと、語ったことにならないのではあるまいか。少なくとも一言も触れないという法はないだろう。そのうえで、他に数々の名演技があるなら語ればよいではないか。既成のスターには求められないものを求めての,新人発掘に選ばれたところに、往時を、往時のこの人の有り様の意味を、雄弁に語ることになるのだ。

それから数年後、安定したスターとなりおおせた彼女と、劇場の椅子で隣り合わせたことがあった。後の坂田藤十郎、当時の先代中村扇雀が、歌舞伎から全く離れた形で武智鉄二演出の『四谷怪談』に田宮伊右衛門役で出演、かなり大きな話題と注目を集めた公演が岩波ホールであった時のことだった。といっても、ただそれだけの話である。(つまり、そういうことを言いたくさせるだけの存在であったというわけである。)

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コロナにもマスクにもうんざりしながら、でも出かけるときには几帳面にマスクをかける。何やら、人間のいとなみや、人生そのものの、いやもっと大風呂敷を広げて、人間存在そのものの戯画のように見えなくもない。こんな勉強、何のためにするのかと勉強塾に通う小学生は思い、何のためにこんなことをしなければならないのだと、パパもママも,月給鳥と一緒くたに括られる人たちも、センセイと呼ばれる稼業の人も、それぞれの業務にいそしみながら、でもともかくも、マスクをかける。何十年かのちに、こうした光景を映した画像を、後世の人達が見ることがあったなら、笑うだろうか。それとも、気味悪がるだろうか、それとも・・・

プロ野球では、監督・コーチ・球団スタッフから、有名無名の選手まで、大ぜいがコロナに罹って試合が出来なくなったチームが出来た。大相撲の終盤、幕内の取り組みの半分近くが、東方西方、どちらか一方の力士がコロナにかかって休場、相手力士の不戦勝を告げる取組みが次々と続いて、あれが相撲ファンの集まりだから場内溜息の連続、というニュースで済んだが、街中の何かだったら、何かが起きていても不思議はない。運転手が皆コロナにかかってしまい路線バスが休業というニュースがあったが、審判や行司がコロナで休場,試合や取組みが出来ないということもあり得るわけだ。やれやれ、である。

・・・・というところで、今月はお終い。お暑うございます、お体お気をつけなすって・・・。