随談第619回 令和最初の愚挙

早くも月末である。畏き辺りの代替わりに倣ったわけではあるまいが、偶々新元号最初の月に巡り合わせた團菊祭は、やがて来る代替わりを睨んだかのようなプログラムである。「令和慶祝」と謳った『鶴寿千歳』と丑之助初舞台の『絵本牛若丸』が夜の部冒頭に並ぶのはお祝いの盃に続けてお祝いのお汁粉が出たようなもので、ま、何も言うことはないが、それにしても『鶴寿千歳』に出る梅枝以下花形四人の役名が「宮中の男」というのは如何にも散文的で、曲がないにも程があろうというもの、新作物のその他大ぜいの役みたいだ。

御大菊五郎が出る額面通りの大歌舞伎は『め組の喧嘩』だけで、その他は、やがて来る歌舞伎界「改元」へ向けた中堅・花形歌舞伎。もっともこれは必ずしも冷評ではない。4狂言それぞれに、規矩を守ってきちんとした好感の持てる舞台であったから、一日見終わって決して不満足は覚えなかった。

海老蔵・松緑・菊之助三人そろい踏みの『勧進帳』と菊之助の踊る『京鹿子娘道成寺』は、ちょうど20年前の1999年に(まだ前世紀だったのだ!)浅草歌舞伎で出して以来の「再現」だそうで、思い出した、海老蔵はこれがきっかけで新橋演舞場に進出、大ブレークということになったのだった。『勧進帳』は、三人それぞれに神妙につとめ、規矩正しく端正に仕上がっているところを採るが、半面(海老蔵の弁慶が「にらみ」を利かせるのが少々過剰なのが気になるのを除けば)、おとなしやかにまとめたという感があるのが、評価の分かれ目になるかもしれない。突兀とした北アルプスより、まろやかな南アルプスか八ヶ岳、いやむしろ若草山か。

『道成寺』についても同じことは言えば言えるが(事実、圧倒的な迫力が不足との評も見かけたが)、しかし私個人としては、これはこれで結構堪能した。そもそも『京鹿子娘道成寺』全曲をこんなにゆったりと楽しんだのは何年ぶりだろう? このところ、『奴道成寺』『男女道成寺』『二人道成寺』などのパロディ版「道成寺」はちょくちょく見るが、同じ曲でありながら、「道行」から「鐘入り」までの全曲を耳と目と、両々相俟ってうっとりと愉しむという快感は『娘道成寺』でなければ味わえない法悦境であり、全曲を一人で踊り抜く『京鹿子娘道成寺』には格別なものある。曲自体が、同じ長唄の名曲とは言っても『勧進帳』のますらをぶりや『鏡獅子』の明治趣味では味わえない、江戸伝来の長唄曲ならではの味と遊びに満ちている。

妄執から蛇(じゃ)と化して男を鐘ごと焼き尽くしたという「道成寺」伝説は、いわば額縁であり、中に納まった「絵」は若い女の恋の模様のさまざまを繰り出して見せる、つまりは長編の「組曲」であり、曲と踊りが渾然とした陶酔感に妙趣がある。かつて歌右衛門と梅幸が好対照の踊り振りを見せてくれたのが、もしかすると、「わが歌舞伎暦」のもっともおいしいところであったかもしれない。歌右衛門のは、「道成寺伝説」の妖気が全編を覆いつくし、くねくねと身をくねらせ、曲げた指の一本一本を伸ばすのにも数秒はかかろうかと思うほどの「執念」を感じさせる迫力に満場圧倒されたものだが、梅幸のは渓流を小舟で下るような快適さが心地よく、まだ一介のアアマチュア批評家だった若き頃、時に歌舞伎に倦むこともあったりしたとき、梅幸の踊る『娘道成寺』を心の救いのように思いながら見た日々があったのを、今も懐かしく思い出す。

今度の菊之助の花子が、それと同様の高みにあったというのではない。しかし、その踊りぶりを見ながら、そんな古い記憶を呼び起こされ、快い陶酔を覚えたのは確かである。向こうからは何も押し付けてこない、癖のない端正な踊りぶり。言葉にしてしまえばそれだけのことなのだが、そんな言葉の陰に、芳醇な銘酒の香りがほのかに漂っていたのも間違いない。願わくば、そのほのかな香りが、やがて、もっと芳醇な酔い心地へと誘ってくれる日を楽しみにすることにしよう。

松緑が、梅枝・萬太郎の十郎五郎、右近・米吉の虎・少将という(ついこの間まで浅草で見たような配役の)『対面』で工藤をする。なるほど、ちゃんと立派に「工藤」である。松緑もこういうポジションに座るような存在になったのであり、おそらく令和の歌舞伎の終わる頃まで、このままの配役で『対面』を見続けることになるかもしれないと思わせる。歌昇の朝比奈も、令和の終わるころにはおそらく「名物」になっているだろう。亀蔵の鬼王がちゃんと袴の股立ちを取った姿であったのも気持ちがよかった。あの人物は、兄弟がまだ幼かった、父の河津の三郎の代からの、忠義な郎党なのだ。(かつて寿海の工藤、一七代勘三郎に二世松緑の十郎五郎、歌右衛門の虎に我童の少将、八代目三津五郎の朝比奈という大顔合わせの時、十三代目仁左衛門が鬼王だったが、まるでいずれかの御家老のようだった。もちろん、そういう時はそれでよろしいのである。)

『対面』で虎をつとめた尾上右近が、『御所五郎蔵』では逢州をつとめる。梅枝の皐月と傾城姿で二枚揃ったところの古典美は、掛け値なしに「21世紀歌舞伎」の奇蹟と呼んで差し支えあるまい。あんな、草履みたいな(失礼!しかしこれは誉め言葉なのです!)長い顔をした女方が二人そろって、しかも傾城姿で並んだところは、三代目左團次と三代目時蔵以来かと思わせる。(そもそも『御所五郎蔵』などという芝居は、そういう美学の上に成り立っているものなのだ。)
 彦三郎の土右衛門は、予期にたがわず、これからはこの人のものと思わせた。何と言っても、あの調子の整ったセリフがいい。そもそも『御所五郎蔵』などという芝居は(と、敢えて繰り返す)、調子の整ったセリフの言える役者が揃って初めて、快く愉しむことができるのであって、そうでなければ、如何に黙阿弥の名文句名セリフといっても、あんなに美辞と麗句が散りばめられただけのものが延々と続くのには、なかなか耐えられるものではない。松也の五郎蔵の熱演は、与えられたこの機会を逃すまい、この期待に応えたいとの思いが伝わってきて感動させたが、それは今回限り、次の機会には、彦三郎の土右衛門と二人、セリフで私たちを酔わせてもらいたい。

        *

天王洲アイルの寺田倉庫というところで、獅童が『油地獄』をやるという案内があったので見に行った。寺田倉庫は、まあ、何とか探し当てることができたが、入り口がどこにあるのか分からずにまごまごしたために、事前の記者会見と、本番にも5分ほど遅刻をしてしまった。四階の倉庫の中央に張出し舞台を作って、正面奥(どうやらここに竹本がいるらしい)と、客席(椅子を置いただけ)の間の通路から人物が出入りする。まあ比較的似た形態のものに例えるなら、三方から見る能舞台、もしくは高めの土俵を見上げる地方巡業の相撲場というところか。配役は獅童の与兵衛に、壱太郎がお吉と小菊の二役、脇も橘三郎の徳兵衛に上村吉弥のおさわその他、相当なところがつとめるちゃんとしたものだ。荒川良々、赤堀雅秋など、一部に現代劇の俳優も使うが、コクーン歌舞伎などでもそうだがこういう配役にどれだけの意味があるのか、私にはいまだにあまりピンと来ない。がまあ、やっただけのことはあった、というのが第一の感想。原作を忠実に追って、大詰めの捕物まで、物語の全貌を見せようという演出の意図は正解であり、むしろ『油地獄』のような芝居は歌舞伎座などで偉い役者がやるよりこういう方が向いているとも言える。獅童は、ああいう扮装をすると、今更ながら延若によく似ているのが一得、いや二得、三得ぐらいはあるか。壱太郎がよくやって、功労賞をもらっていい。それにしても獅童は、つい二週間前には幕張メッセで初音ミクと共演の狐忠信で大奮闘をしたばかりだが、三年前にあれの初演を見て以来、私は獅童という人に一種畏敬の念(というと大袈裟のようだが、他に適当な言葉が見つからない)を抱くようになった。だってそうではないか。歌舞伎座の何倍もの幾千という人数を収容した会場に、おそらく九割方は歌舞伎座はおろか、浅草歌舞伎の敷居だってまたいだことはあるまいと思われる、学生が主体と思われる若い観衆の前で、初音ミクを相手役に、あんなに獅子粉塵の大奮闘をする歌舞伎俳優が他にいるだろうか? 文字通り、体を張っての舞台だった。あんなことは、よほどの覚悟と決意がなければ出来ることではない。

        *

一昨年の『仮名手本忠臣蔵』、昨年の『本朝廿四孝』、今年の『妹背山婦女庭訓』と、このところの文楽は、それこそ大河ドラマならぬ「大河文楽」の趣きだが、もはやかつてのような「名人」たちの「芸」を愉しむという時代は過去のものとなり、よく学び・研究した好技芸者たちの務める「作品鑑賞」をする時代となった今、名作全集を読むようなこうしたプログラムを組むのは、時宜にかなった結構なことに違いない。序段から二段目を昼の部、三・四段目を夜の部と、真っ正直に第一章から順に繙いていくような今度のような並べ方だと、どうしたって人気は夜の部に集中することになるが、しかし「芝六住家」「山の段」「道行」「入鹿御殿」と順を追って繰り広げられて行くのを見ていくと、なるほど、とこの壮大な戯曲の世界を眺望することになる。偉大なるかな近松半二、である。私は昔から、同じ近松さんでも門左衛門より半二の方がずーっと好きだが、研究者の方々はさておいて、映画や演劇など他ジャンルに携わる方々が、油屋の女房と滑った転んだする不良青年にばかり目を向けていないで、どうして半二の作に関心を持とうとしないのか、不思議で仕方がない。

        ***

清の盛といってもパッとわかる人は、相撲ファンの中でも少なくとも白鵬時代前期より前から知っている高齢の人に限られるだろう。上位で取っていた記憶はほとんどない。というより、幕の内よりほぼ十両で取っていた力士である。昭和36年の夏場所、後の横綱で協会理事長にまでなった佐田の山が幕内下位で平幕優勝した時、下位だから十両の上位力士との取り組みも何番かあった中で、十両の清の盛との取り組みがあって清の盛の勝ちとなった。初日間もない頃だったので、まさかそのあと佐田の山が勝ち進み、平幕優勝までするとは思っていなかった上に、その清の森も勝ち進んで十両優勝をするという事態となって、某新聞に「清の盛、二階級制覇」という見出しが躍ったという笑い話が生まれた、その主人公となったのが生涯のハイライトという人である。もっとも引退後は、いまを時めく木瀬部屋をまだほんの小部屋だった時代に継承、いわばその中興の祖となったのだから、相撲人生を通してみれば決して凡庸の人ではなかったことになる。昭和36年夏場所と言えば、ちょうど一年前に栃錦が引退して、当分はひとり天下かと思われた初代若乃花が意外にも急速に衰えを見せ始め、と言って、次代を担うのが目前の大鵬と柏戸がまだ若さゆえの脆さを脱却できていなかった、いうなら「代替わり」の端境期だったので、こうした事態もあり得たのだった。世代交代の代替わり、朝の山の平幕優勝と、なにやらイメージが重なるときに逝ったのも、清の盛という人、只の鼠でなかったと見える。

        ***

夏場所といえば、米大統領が千秋楽に相撲観戦という事態を巡るドタバタほど、相撲ファンから見て不愉快なことはなかった。見に来るなら来るで然るべき場所で(貴賓席という、そのための場所がある)、然るべき配慮の上でするべきで(昭和天皇だって平成上皇だって、近年では幕の内の取り組みの前半と後半の間の小休止のとき、かつては幕の内の全取組を土俵入りからご覧になった。取り組み途中に長々と中断させて入場、着席などということは、貴人としての礼節の問題であろう。もちろん、遠つ国の人の不明・不案内ということもあるから、この責任は当然、得々としてこの事態を承知で招いた「かの人」の側にある。もっとも、土俵そっちのけでスマホをかざして大統領を画中に収めようとはしゃぎ立てた観客のさまを見れば、国民も喜んで大歓迎だった、と「かの人」にぬけぬけと自画自賛されても文句は言えないわけか? おかげで我々は「令和最初の愚挙にして暴挙」を見させられる羽目となった。嫌なら見るな? こちらは相撲放送を尋常に見たかっただけである。(それにしても、「あの席」のチケットを苦労して手に入れた人たちは、そこのけそこのけと言われて唯々諾々と払戻金を受け取ったのだろうか? もしその中に「まつろわぬ民」がいたら、どうなっていただろう?)

        *

もうひとつ相撲のお噂。かの仁が一般社団法人「貴乃花道場」を開設というニュースが、中ぐらいの大きさの記事になった。「やはり参院選に出馬」などという大ニュースにならなかったのは幸いだった。(それほどバカでなかった、ということか?)前にもこの欄に書いたことがあるが、この人が自分の考え通りの「相撲」を組織化しようと思うなら、これしかないと私は前から思っていた。以前、協会内に多数いた支持者が行を共にしてくれたなら、かつての春秋園事件の天竜一派のように、別の相撲協会を作って独立、自分たちの理想とする相撲興行を行うのが一番よかったろうが、残念ながら孤立の道を採ってしまったのだから「道場」ぐらいで辛抱するしかないのは仕方がない。

        ***

今月の訃報。京マチ子、ドリス・デイと華麗な名前が続いた中に、杉葉子の名前があった。『青い山脈』が記事になるのは常識から言ってそうだろうし、私も異論はないが、昭和20年代後半ともし限るなら、あの時代を最も輝かしく体現していたという意味で、杉葉子こそ最も時代を代表する女優と言えるに違いない。それにつけても、彼女が体現していたような「新しい時代の感覚」は、半分は実現して今日に至ったとして、後の、そしてそれこそが独特の輝きを放っていた「もう半分」は、どこへ行ってしまったのだろう?

決して彼女の代表作というわけではないが、逸せぬ珍品がある。昭和28年8月19日封切りの東宝映画、若き日の市川崑監督作品『青春銭形平次・天晴れ一番手柄』である。まだアマチュア目明しでヘマばかりしている青春時代の平次の役が大谷友右衛門、つまりかの名優先代中村雀右衛門の若き日で、わが杉葉子はもちろん、やがて女房になるお静、ガラッパチの八五郎が伊藤雄之助という配役、市川監督らしく冒頭、銀座通りを疾走してくる乗用車がビルに激突、という場面から始まる。どこかの新聞の映画評に、杉葉子のお静は男みたいだ、というのがあったが、いまならハラスメントの対象になるかもしれない。

このエントリーを Google ブックマーク に追加
Pocket