随談第608回 菊吉の目の玉

今月の歌舞伎座では、菊五郎が『野晒悟助』を出したのが秀逸である。凡庸なホームランより、技ありのシングルヒットの方がプロフェッショナルの仕事として評価されて然るべきと私は考えるが、これはまさにそういう代物である。菊五郎としては20年ぶりとのことだが、じつはこれは、僚友だった故・辰之助が健在でいたならば、菊五郎のところへお鉢が回ってくることもなかったであろう演目である。菊五郎としては、だから(菊之助にもだが、たぶん菊之助以上に)松緑に、よく見ておけよと、骨法伝授する心づもりで20年の埃を払って出したものと、これは私の勝手な推測(いや忖度か?)である。

もともとこれは、亡き先代権十郎の出し物だったという珍重すべき作であって、黙阿弥の作でありながら大歌舞伎ではかなり早くから上演が絶え、中芝居・小芝居で伝えられてきたという、マイナーでユニークな佳作なのだ。その中芝居・小芝居が隆盛を極めていた大正期、十五代目羽左衛門張りの役者ぶりで「浅草の羽左衛門」と呼ばれて人気者だった二代目河原崎権十郎が当たり役としていた。時流れて戦後、いまは大歌舞伎の人となって菊五郎劇団の脇役の重鎮となっていた権十郎は、折から渋谷の東急百貨店九階に開場した東横ホールで花形歌舞伎の公演が始まり菊五郎劇団としては中堅・若手をユニット出演させる方針を打ち立て、倅の権三郎がその座頭格として出演するようになったのを機に、かつて自身が浅草の公園劇場の座頭であった当時の当たり役『野晒悟助』を伝授、蘇らせたのだった。かくして、かつて「浅草の羽左衛門」たりし父から、「渋谷の海老様」たる倅へと遷された、という来歴を持つこの狂言は、れっきとした黙阿弥の作ながら、いわば「B級名作」「B面の名曲」として、大歌舞伎の演目リストの一隅に載ることになったのだった。権三郎は、東横ホールの花形歌舞伎が始まると間なしに父を失い、権三郎として一度、三代目権十郎として一度、計二度、『野晒悟助』を東横の舞台に上せている。私が見たのはその二度目、昭和40年6月の舞台だった。敵役提婆仁三郎は今度と同じ左團次の若き日だった。(先々月のこのブログに書いた、菊之助襲名の翌月、現・菊五郎の弁天小僧初役と同じ月の同じ公演である。現在の長老級が花形として売り出した初穂の頃だった。権十郎はそうした中での兄貴格、というよりむしろ伯父貴格として、前年10月、すなわち東京オリンピック開催中の真っ只中に上演した花形連による『仮名手本忠臣蔵』の通しでは、丑之助の判官とおかる、左近の勘平、亀三郎の若狭助に平右衛門、男女蔵の師直に石堂に定九郎、玉太郎の顔世、加賀屋福之助と橋之助兄弟の道行の勘平におかるという中で、堂々、由良之助を演じたのだった。(それぞれ、現在の誰々であるか、ご存知ない向きは調べてみてください。ベンキョウになると思いますよ。ここに挙げた名前は権十郎と左近を除いて全員、現在も活躍しています。ついでにクイズを一問:このとき道行の伴内をつとめたのは誰でしょう?正解を知れば、往時と現在を思い合わせ、感慨半ばを過ぎるものがあることでありましょう。)

閑話休題、『野晒悟助』のことをもう少し書きたい。権十郎は東横での二度の上演以後、自ら脇役の提婆仁三郎と六字南無右衛門にまわって、旧・新橋演舞場で初代辰之助に伝えたのだったが辰之助は再演しないまま急逝、三転して菊五郎にお鉢が回るという経緯を辿って、この狂言は命脈を保ってきた。(菊五郎初役の折は国立劇場が「伝授場」となった。菊五郎は5年後に旧・歌舞伎座で再演、今度が三演目となる。大詰の四天王寺山門の立回りなど、ご苦労様なのを厭わず、よくぞ出してくれたものだと思う。)

と、縷々述べてきたのは他でもない。この狂言が、このまま立ち消えさせるには忍びない貴重な演目であることを訴えたいがためで、先に「B級名作」「B面の名曲」と言ったが、黒沢だの小津だのの大作ばかりが名画ではないように、楽聖だの天才だのの大曲だけが名曲ではないように、文豪の名作だけが名作ではないように、ごく普通に作られた普通の作品にも愛すべき佳品、賞翫されて然るべき佳作がさまざまある。そうした佳作たちを愛好する人々がどれだけあるか、それが、そのジャンルの成熟度を物語る何にもまさるバロメーターであり、懐の深さを示す尺度となるのだ。巨匠黙阿弥の作ながら、『野晒悟助』は決して、世に言われる「名作」ではないかもしれないが、これほど、黙阿弥らしい趣向に満ちた味な作もあるまいかと思われる、愛すべく捨てがたい佳品である。今回の菊五郎所演には、こうしたさまざまな意味合いや思いが汲み取れる。

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それはそれとして、悟助と敵対する提婆の仁三郎の子分役で新蔵・左升・荒五郎・升三郎といった面々が出てくると、ご苦労様と声を掛けたくなる。この人たち、朝から『妹背山』、続いて『文屋』といじめの官女で登場し、中には出ずっぱりの顔も見受ける。仁三郎の子分になっていつもの彼らの顔になるとようやくほっとしたのは、むしろ見物するわれわれの方かもしれない。ともあれ、いじめの官女の連続出演というのは、私もこの齢になって初めて見る「奇観」であった。きのうアリゾナ辺りから成田に着いて今日はじめて歌舞伎座を見たような外人客が、『妹背山』を同じ芝居の第一幕、『文屋』をその続きの第二幕と思ったとしても不思議はない。

さてそうしてみると、今月の各演目を通して、ナントカつなぎみたいに重なり合う趣向があるわあるわ。『野晒悟助』も『夏祭浪花鑑』も住吉鳥居前の達引から始まる。数珠を爪繰り念仏三昧の男伊達が登場する。悟助の家業が葬儀屋で早桶が飾ってあれば、『巷談宵宮雨』の虎鰒の太十の隣家も早桶屋だ・・・という具合。余儀ないケースもあるが、これほど、趣向のつく芝居が並ぶのも一奇である。

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もっとも、今月の昼夜五演目、個々に見るならどれも粒がそろって悪くない。『妹背山』は、このところ女房役や付き合い役ばかりで自分の出し物に恵まれなかった時蔵が、お三輪をするのはずいぶん久しぶりだが、やっぱりいい。久々に、丸本時代物のヒロインを見たという思いがする。この人の代表作の一つであろう。松緑の鱶七も、顔の拵えが何だか白茶けていて海の男がしばらく寝込んでいたみたいなのが気になるが、この人は祖父二代目以来のマッチョな人物をさせると、時にオッと言わせる芝居をする。思えばこの役は、何年か前に玉三郎に引き立ててもらって初役でつとめて以来、たび重ねてここまで来たわけだ。そういえば『坂崎出羽守』も良かったし先達ての西郷だってちょいとしたものだったし・・・と、このところつとめた役々を振り返ってみると、地味だがヒットを重ねて打率をかなり上げてきていることに気が付く。

別格として、楽善の入鹿。父羽左衛門以来の名バリトン、当代での入鹿であろう。さらに別の意味での別格は、芝翫の豆腐買いおむら。この人の女方ぶりというのは、最後の舞台となった一家総出演の『夏 魂祭り』のときの芸者姿で証明済みだが、このおむらも、まさしく、イヨ、おとっつぁんソックリ、ナリコマヤーというやつである。この上は、岩藤をぜひ見たくなった。

先月『喜撰』を踊ったばかりの菊之助が今月また『文屋』を踊るというのは、『六歌仙』を次々と踊ってやろうという魂胆だろうか。青鬚が何やら気になった喜撰より、仁・年齢ともに相応の文屋の方がしっくりするという当然至極の成績で、これは今後、出し物に出来るだろう。(但し、『妹背山』の後に出すのはこれ限りにした方がいい。)

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吉右衛門が『夏祭浪花鑑』を出すと知った時は、正直、ハテナと首をかしげたのだったが、孫との共演という「おじいちゃん馬鹿」ぶりはさて措いて、なるほどと思わせるだけのものを見せた。つまり、目の玉の黒いうちに自ら團七をつとめて後事を託するに足る舞台を、ということなのであろう(と、これも、私の勝手な推測ならぬ忖度である。)聞くところによれば史上最高齢の團七とか、正直、ウームと思うところがないと言っては嘘になるが、つまりは、昼の部に於ける菊五郎、夜の部に於ける吉右衛門、それぞれに、犠牲的精神をふりしぼっても目の玉の黒いところを見せて睨みを利かせたわけで、各役各優それぞれに、それぞれの伸長ぶりを見せたのがその成果ということになる。雀右衛門初役のお辰が、うちの人の惚れたのはここじゃない、ここでござんす、と胸をポンと叩いたところでワッと言わせたのは、画竜点睛を地でいったものというべきだろう。

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芝翫が龍達で『巷談宵宮雨』と聞いた時にはあまりピンと来なかったが、これが思いのほかのヒットだった。24年ぶりの上演というが、これほど間遠だったのは初演以来おそらくはじめてのことだろう。十七代目勘三郎在世のころは、数年に一度の割で出していたものだが、しばらく忘れた形になっていたのが今度久しぶりに見て、しかもかつてのメンバーとは時世時節ですっかり変わった顔ぶれでありながら(いや、却ってそれがよかったのかもしれぬ)、やはりこれは傑作だったと思わせたのだから大したものだ。24年前の舞台はよく覚えているが、富十郎の龍達が持ち前の歯切れのいいセリフが裏目に出ていまひとつしっくりせず、むしろ勘九郎当時の十八代目勘三郎が太十でなかなかよかった。当時はまだ、若手という感じを残しており、富十郎の胸を借りるという貫禄の差もあったのだった。当然、いずれ龍達をやるつもりであったろう。芝翫としては亡き義兄の弔い合戦のつもりもあったろうが、しかしこの場合は、中村屋の伯父さんもすなる龍達という役をボクも是非ともやりたいからするのだ、というのが本音であろう。芝翫の永年の夢が叶ったのを素直に喜ぼう。松緑の太十の大殊勲(あっぱれ、右中間を深々と破る三塁打というところ)をはじめ、いちいち挙げぬが皆々、生き生きとした好助演の中にも、橘太郎の石見銀山猫いらずの薬売りがひと際の秀逸なのは、おそらく鯉三郎、子團次といった先人たちの妙技を見知っている賜物だろう。

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国立劇場の鑑賞教室で又五郎・歌昇父子の『連獅子』は、おそらく現今での随一と言ってもいいと思うが(歌昇が、狂言師の間はいつもの若手花形の顔なのが、子獅子になると見事に獅子の顔になるのにびっくりする)、話題をさらっているのが巳之助の解説。ここに紹介するまでもなくすでにブレーク中だろうが、ひと頃の、随分と心配させてくれた若き惑いの日々の姿を想うと、ひとしおの感慨なきを得ない。

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新国立の『夢の裂け目』はよかった。新国立制作の現代劇としても、井上ひさしの作としても、これが随一と言ってよいであろう。井上独特の、自意識過剰からくるわざとらしさと真面目の入れ子になった具合が、ここでは絶妙のブレンドを作り出している。真面目一点張りでは、このテーマはこうは行かず、と言って、偽悪が過ぎれば、見る側はダアーっとなってしまう。

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今月はいまのところ、「私の過去帳」に書き加えるような訃報は目にしていない。