随談第548回 今月の舞台から

原稿の締切だの大部の校正だのが続いたので大分遅くなったが、今月の各座の評判と行こう。もっとも、もう歌舞伎座は楽日を迎えてしまった今頃、お坊吉三ではないが効かぬ辛子と出遅れたお化けと並んで、出そびれた劇評というのも気が利かないから、なるべく簡略にすませることとしよう。

もっとも歌舞伎座については、総評としては新聞に書いたことでほぼ尽きている。黙阿弥が二本出ているからといって『浜松屋』でも『髪結新三』でもなく『天一坊』に『丸橋忠弥』というのは、よく言えば何かが変ろうとしている前表のようにも見える。どちらも徳川幕府転覆・乗っ取りの犯人の話だから、同工異曲を二本並べるのは昔なら気が利かない、「つく」と言って嫌ったものだが、その種の「美学」はもはや「古風」ですらなく、ハア? ソレガドウシテイケナインデスカ、といぶかしがられるだけだろう。国立劇場なら「徳川幕府を揺るがした二大事件を扱った二大作品」とでもテーマを「こじつける」かも知れないが、ここは歌舞伎座、たまたまそうなってしまっただけに違いない。

菊之助の天一坊、海老蔵の伊賀亮、配役としてはうまい配役だが、菊五郎の越前守と三幅対になるには役者が小さい。これがれっきとした「古典名作」だったら、それはそれとして見ていられるのだが、却ってこういう狂言だと年功がもろに出てしまうのは、「典型」の組み合わせで成り立っている芝居だからだろう。『合邦』の玉手ではあれだけの存在感を見せる菊之助が、決して悪い出来ではないにも拘らず天一坊だと役者が小さくなる。この前の『菅原』でも、桜丸なら不足は気にならないのに判官代輝国となると、大曲『道明寺』を締め括る役としての大きさに不足が見える。ここらが歌舞伎の難しいところで、演技の良し悪しだけでは片が付かない。7月に国立劇場の鑑賞教室で知盛をするそうだが、果たしてどういうことになるか? 海老蔵に伊賀亮というのはプラスアルファが期待できそうななかなか味な配役で、その期待は半ばは実現されるのだが、相変わらずセリフをこねくり回すのは、癖というよりどうやら確信犯的に意図してのこととおぼしく、そうだとすれば、こりゃよろしくないなと自覚して改めてくれる日まで待つしかないことになる。眠り姫は王子様にキスをしてもらって目を開くが、海老蔵王子を開眼させるのは、いつ、誰だろうか?

松緑が『丸橋忠弥』を出したのは名案である。有名な酔態のセリフの口跡の固いのはどうにかしてほしいが、後段の実録風立ち回りで大いに盛り返した。巧拙ではなくこうした芝居の色に合っているのである。この狂言は「團菊」ならぬ「團菊左」の「左」、すなわち初代左団次以来の高島屋の演目で、「菊吉」の流れに押しやられていまや絶滅危惧種に等しいが、その保存更には復興という意味からも、翻って松緑自身のためにも、この種の歌舞伎の中の「益荒男ぶり」復興の旗手になるのは、ひとつの活路を拓くことになるだろう。今度の上演を瀬踏みとして、次には通し狂言『慶安太平記』復活上演にトライしてもらいたい。御大菊五郎を担いで国立劇場で出すのにふさわしいではないか。時は今、ぼやいてなどいる場合ではない。

『合邦』については、新聞に書いた以上のことを書くのは難しい。5年前の玉手御前デビューを受けての今回であり、将来へかけ、おそらくライフワークとして演じてゆく役であろう。その一つの、「いま」なりの玉手であったと言うよりほかはない。ひと言、一口評を添えておくなら、今回のは、なるほどよくわかりました、という玉手御前であった。

というわけで、去年は「菊五郎の孤独」を思い遣った團菊祭だったが、今年は「新生」團菊祭をそれなりに楽しむこととなった。越前守には多少その気配もないでもないが、め組の辰五郎の菊五郎には孤影はない。むしろめ組を菊五郎劇団に、辰五郎を菊五郎自身になぞらえながら、私は楽しく見た。

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明治座歌舞伎は、何と言っても中車に注目が集まるのは、猿之助には申し訳ないがやむを得ない。聞くところによると先人の映像を寸分違わず完全コピーすることを目指しているとの由だが、『男の花道』の土生玄碩を段四郎なら段四郎をセリフから仕草から、コンマ何秒まで正確に写したとしても、中車が段四郎になる筈もない。もっとも「学ぶ」は「真似ぶ」、良きお手本を敷き写しに、なぞってなぞってなぞり抜くのも修行の一過程として間違った方法ではないが、それを、いわゆる古典名作の型の定まった役ならともかく、『男の花道』にまで持ち込もうとするところに、中車の苦しさが察しられる。かつて長谷川一夫が歌舞伎のテクニックをふんだんに持ち込んで作り上げたこの大衆劇は、芸から技から、身のこなしから、体に染みついたいわゆる歌舞伎味を生かすことを前提にして出来上がっている。中車にとってはまさにそのことが自分に一番欠けているものであることを思わずにはいられない。ではどうすればいいか? 完全コピーを目指すしかない、というのが中車がみずから出した答えなのであろう。トンネルを反対側から掘り進めるようなものだが、うまく掘り当て、向こう側の入口につなげることが出来るか否かはおなぐさみということか? 

『あんまと泥棒』となると、17代目勘三郎が初演は竹之丞時代の富十郎、次いで長谷川一夫を相手に作った、これもじつは歌舞伎の芸をくずし書きにしてお茶づけをさらさらとかっ込むように演じた代物だが、それはまず真似ようがなかろうし、となれば、それ以後の他優による上演件数もそう幾らもないから、中車としては「歌舞伎」を『男の花道』ほどには意識しないですむとも言える。果してこのあんまさんは土生玄碩に比べると肩の力が大分抜けて、良い意味で「香川照之」の才能を生かす余地が生じてくる。襲名以来足掛け三年、目下のところ一番の上出来、九代目中車の代表作!ということになる。

さてそこで、猿之助にぜひ勧めたい提案がある。中車と二人で、『恩讐の彼方に』だの『研辰の討たれ』だの、初代猿翁のこしらえた澤瀉屋の新作歌舞伎を、いまこそ、次々と掘り出して行ってはどうかということである。『研辰』だって中村屋に取られっ放しにしておくことはない。中村屋版は中村屋版でいいけれど、猿翁版だって面白いんだぞということを立証して見せてもらいたい。他にも『父帰る』だの『屋上の狂人』(は13代目勘彌だが、初代猿翁とは若き日のライバル、共に「新人」と言われた人だ、決して無縁ではないどころか、同じ時代、同じ志向の中で作られた姉妹、じゃなかった兄弟演目のようなものだ。勘彌なら『お国と五平』などという手もあるか)だの、猿之助も生き、中車も生かすことが出来るのは、まず自分の家の蔵の中にいっぱい眠っている、いや、蔵から出してくれるのを待っている遺産がいろいろあるのではないかということである。

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前進座の確立劇場公演は、このところの新歌舞伎シリーズで今年は『番町皿屋敷』に『文七元結』だったが、『文七』はともかく『皿屋敷』のような新歌舞伎中の「型物」を女形でなく女優でやると、思わぬ発見をすることになる。とかく論議の種となる、お菊は播磨が次々と割ってゆく皿を一枚、二枚と差し出す時に、女形だと殊更にしないと見えにくい、播磨の愛が確かめられたがゆえの恍惚が、自然に現われて見えるということである。つまりそこに、この新歌舞伎の「新しい女」たる所以があるわけで、かつての二代目左団次の相手をつとめた先代松蔦はどういう風に演じていたのか、今となっては確かめようがないが、少なくとも戦後歌舞伎の女形たちにはついぞ気の付かなかった、生身の女性の演じるお菊にそれが見えたというのは、発見であった。もっとも、今村文美のお菊がどういう「性根」で演じていたかは、それとはまた別の話しだろうが。

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文楽は吉田玉女が玉男になるというので『一谷婌軍記』と『桂川連理柵』を出して熊谷と長右衛門を遣った。熊谷はいいと思う。時代物の大きな人形の量感とたくましさがある。それが先ずあっての上での肚である、というところがしっかりしている。咲大夫の前段も、いまはもうこの人しか不可能な時代物らしい時空を語り出していて、よかった。こちらもまた、この現実を超えるスケールが語り出された上での、熊谷の肚であり性根である筈である。

玉男はもちろん比類ない名人だったが、私は今になって、玉男よりもう一世代(二世代かも知れない)上の吉田玉助を見ることが出来たことをよかったと思っている。玉男の描き出す熊谷はいわば知勇兼備だったが、人はとかくその「知」の部分を取り出して褒める。もちろんそれで間違いなわけではないが、しかし私は玉男は熊谷よりも盛綱の方が好きだった。「荒物遣い」という、近頃あまり聞かない(ような気がする)評語が、玉助にはいつも冠せられていた。昔の横綱の鏡里みたいな風貌で、たくましい人形だった。

新玉男の『帯屋』の長右衛門は、歌舞伎で言う辛抱立役の形が、もう一つ身に沁みないような気がした。世話の辛抱立役という、弱い男の美が、時代物となって盛綱のような「知」の美として照り返るところ文楽の人形の美学があるのだが。

それにしても、文楽で見る『祇園祭礼信仰記』というのは、どうも不思議な代物で、歌舞伎の『金閣寺』の松永大膳の造形がいかに卓抜であったかを改めて思い遣ることになる。藤吉が慶寿院を救出するために金閣の三層まで上るのがミソだが、桂文楽十八番の『愛宕山』の幇間一八よろしく、慶寿院(歌舞伎だとかつては我童がよくやったように、残んの色香をどことなく偲ばせる女性(にょしょう)だったが文楽では「婆」の首なのはちょっぴりがっかりだ)竹のしなりを利用してダイビングをするのは歌舞伎では不可能な面白さだが、しかし藤吉は途中で見張りの兵を血祭りに上げているのだから、あんなことをしなくとも階下に降りられるものを、などいうのは変知己論か?

玉男襲名で文楽の「口上」を久しぶりに見たが、歌舞伎と違って皆々四角四面の大真面目の中に、寛治がごくごく構えない平談の口調で語るのがとてもよかった。これは、じつはお父さんの先代もそうだった。私は先代寛治の飄然とした風格が大好きだったが、ここ数年来、当代が驚くばかりにそっくりになってきた。

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劇団「若獅子」が山本周五郎の『おたふく物語』を出したのを見ながら、かつては当り前のように演じられていたこういう芝居が、いまやこの劇団ぐらいでしか見ることが出来なくなっていることが、改めて思い遣られた。『おたふく物語』はつい先頃、前進座でも見たが、若獅子の方がおとなの芝居のゆとりがあるのに感心した。これもまた、かつて島田正吾が演じた、新国劇の財産なのだ。年に何回かという(それもほんの数日である)ごくごく限られた機会に、演目をいろいろ工夫しているのがよくわかる。

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新国立のイプセン『海の夫人』を見る。イプセンとしては主題と設定がぎごちないところがあって、麻実れいの演じている主人公が何を求めてあゝもヒステリックになっているのか、理屈としてはわかっても、心情として素直に伝わってこないのが、悪しき意味での「新劇」だという感じがする。あれほど夫を困憊させながら、求めていた愛人が現われると夫の許へ戻ってしまうと言うのが、如何にも作り物なっているから、全体が空疎に見えてしまうのだ。(ふと思ったのだが)これを麻実れいのような容姿抜群のスターが、拭おうとしても拭い切れないスター風の演技でするのではなく、もっと地味で所帯じみた女くさい女優にさせていたら、まるで印象の違う劇になったのではあるまいか? (むかし黒沢映画の常連で千石規子という女優がいたっけ。)演出が、イプセンどうもだからというので、どうも「思想的」にしようとし過ぎたのではあるまいか?

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私はどうも『嵐が丘』というのが苦手なのだが、こんど日生でしているG2の脚本は、原作小説に戻ってその全貌を劇化しようとしたので、大分救われた。原作ダイジェストと言えないこともないが、少なくとも、よくありがちな「嵐が丘調」を大分免れているのが有難い。もっともそれも、語り手役の戸田恵子のお蔭で、彼女ひとりが生きた人物になっている。それにしてもキャサリンというのはあんなに子供なのだろうか? テレビで人気の出た女優を連れてきて主役をさせている限り、このレベルから抜け出せないだろう。

随談第547回 私家版・BC級映画名鑑-名画になりそこねた名画たち-第3回 映画の中のプロ野球その3 『不滅の熱球』(東宝・鈴木英夫監督)昭和30年3月15日封切)

これも名選手の伝記映画だが、本人が出演するところに比重のかかった『川上哲治物語』より映画としての純度ははるかに高い。戦後まだ間もなくにルー・ゲーリッグの生涯を描いた『打撃王』というハリウッド映画が入ってきて、私などよりもう一、二世代上の人たちの間で話題になっていたのを幼心に覚えている。私が実際に見たのははるか後年だが、野球選手としての生涯をケレン味なく描きながら、一ファンだった女性とひと波乱ふた波乱の末、結ばれる愛妻物語としてのストーリーが縒り合されていて、古き良きアメリカを思わせる感じがなかなかよかった。プロ野球草創期の伝説的名投手沢村栄治を描いたこの作も同じで、『打劇王』がゲイリー・クーパーとテレサ・ライト、こちらは池部良に司葉子で、どちらも、ゲーリッグなり沢村なり、その面影を彷彿させるだけの「仁」の良さが成功の鍵となっている。二人とも若くして亡くなっているために映画になった時は既に故人であることも、こういう場合、有利に働くことは確かだが、まだ多くの人の記憶にある中、納得させるだけのものを持っていなければ、そもそも成立しない。

池部良は、顔は別に似ているわけではないが、長身で清潔感あるフラットな男の感じが、実際の沢村を知らない者にもその人となりを得心させる。「野球技術指導」として「東京讀賣巨人軍」から内堀保、中島治康、「阪神タイガース」から藤村富美男、御園生崇の四人の名前が上っているが、皆、沢村と実際にグラウンドで敵味方としてプレイをした人たちで、中でも内堀は巨人の正捕手として沢村とバッテリーを組んだ仲で、映画の中でも千秋実が扮して重要な役になっている。左足を高く上げる沢村の投球フォームは写真などでもよく知られているが、振りかぶって投げ下ろす角度とか、グローブの中で球を捏ねたり、前かがみにサインを覗く仕草とか、帽子の庇に手をやる癖とか、沢村はこうもあったろうかと思わせる。池部の苦心工夫もさることながら、内堀等のアドバイスが物を言っていると想像される。沢村を実際に知らないわれわれにそう思わせるところが肝心であり、ひいてはこの映画そのものの厚味になっている。

(ところで技術指導に名を連ねている4人の往年の名選手たちは、いずれも戦後まで活躍したから、私は4人とも見覚えている。何と言っても最も鮮烈な残像をいまなお残しているのは藤村だが、中島治康も忘れがたい。戦後大下弘が出現して年間20本を超えるようになる以前の、戦前を代表するホームラン・バッターで、和製ベーブと仇名された巨躯は、さながら現在のお代わり君、西武ライオンズの中村剛也までつながる系譜の元祖と言える。御園生はまだ1リーグ時代の内にやめてしまったから、外野を守っている姿を私が見たのは多分小学校に入る前だったと思う。投手だが、投げない日は外野を守ることもあったのだ。(昨今日ハムの大谷の二刀流が話題になっているが、すぐ思い出せるだけでも御園生の他にも阪急の野口二郎、中日の服部受弘、巨人の多田文久三等々、当時は珍しいことではなかった。御園生と野口は外野だが、服部と多田は捕手だった。)内堀は、この映画の中でも沢村より一足先に応召するが、その穴を埋める形で熊本工業から入った吉原が正捕手になるいきさつは『川上哲治物語』にも出てくる。軍服姿でスタンドに見に来る内堀役の千秋実がなかなかいい。

沢村がその真価を存分に発揮出来たのは、プロ野球が始まった昭和11年から日中戦争が始まり応召する12年秋までで、14年春に復員するが戦線で手を負傷したため不本意なマウンドが続き、ようやく再起の兆しの見えた16年秋限りで再び応召しそのまま復帰することはなかったのだが、ちょうどその明暗と見合うかのように、妻になる女性との交際、芦屋に住まう富豪の父に仲を裂かれ、叔父を頼って大連に渡り、遂に両親を説得して結ばれるが、まさに愛の結晶たる子供が宿ったところへ召集令状が届くという、私生活での明暗が縒り合わされる。こうした物語の常としてウェルメードに作られているのだが、素直に受け入れ、遂には思わず感動すらさせられてしまうのは、鈴木英夫監督の奇を衒うことなしに瑞々しい感性の故だろう。とくに反戦的なことを強調するわけではないが、沢村の野球人としての生涯がまさしく戦争のために無残に挫折させられたことが惻々と伝わってくる。応召する沢村がチームメイトと、帰ったらまた野球をやろうと語り合っているところへ通りかかった笠智衆の藤本監督が「なんだ、みんな不忠者ばかりだな。一人ぐらい軍神になりたいという奴はおらんのか」と冗談を飛ばすセリフが利いている。

鈴木英夫という監督は、近年になってようやく評価が高まってきたようなのは遅ればせとは言いながら喜ばしいが、評価の高いサスペンス作品ばかりでなく、この作とか、大映時代の『西條家の饗宴』(昭和26年作)といった比較的初期に属する作品も捨てがたい。池部・司がこうした主人公にふさわしいのと、清水将夫と滝花久子の両親、わけ知りの叔父になる北沢彪、さらに笠智衆の巨人軍藤本監督、千秋実の同僚内堀、藤原釜足のとんかつ屋から寮の賄いになった野球狂の親爺まで、配役もいい。

司葉子は前年にデビューしたばかりの頃だが、「××ですわ」とか「××ですの」といった戦前の令嬢らしい言葉遣いが自然に身についているのがいかにもつきづきしい。プロ野球選手というものが真っ当な職業と見做されていなかった草創期に、東京の女子大に遊学中の富豪の令嬢が沢村を見るために、まだ後楽園が出来る前、戸塚球場で試合をしていた頃から通い詰めていたという実話は、村松梢風が読売新聞に連載していた『近世名勝負物語』で知っていたが、この映画は鈴木惣太郎著『澤村投手』に拠っている。(鈴木惣太郎はいうまでもなく日本のプロ野球の実質上の生みの親とも言うべき人物だが、『川上哲治物語』にも哲治少年に巨人軍入団を勧める人物として登場する。)

一旦復員した沢村を迎える球団の食堂の場面で、出征中に入団した吉原、川上、千葉、平山、中尾といった、やがて第一線を担うことになる若手の面々が登場する。特にソックリというわけでもないが、何となくそれらしい人物になっているのが面白い。スタルヒン役の外国人俳優も、特に説明はないが、食事の場面にちらりと写る。沢村と入れ替わりに巨人のエースとなったスタルヒンを取材に来た記者が、往年の精彩を失った沢村とすれ違いながら一顧だにしないショットがさりげなくあるなど、心憎い。

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(訂正)前回の「映画の中のプロ野球その2『川上哲治物語背番号16』中、つぎの2点を訂正・追加します。

(その1)『若乃花物語・土俵の鬼』の件、「横綱を目前にしていた昭和30年秋場所」とあるのは「昭和31年秋場所」に訂正。

(その2)『川上哲治物語背番号16』の中、巨人軍の3塁手の名を列挙したくだりの、「山川喜作」「宇野光雄」のつぎに「明治大学出の手塚明治」を追加。

随談第546回 私家版・BC級映画名鑑-名画になりそこねた名画たち-第2回 映画の中のプロ野球その2「川上哲治物語背番号16・不滅の熱球」(日活・滝澤英輔監督・昭和32年1月1日封切)

(その1)

この前『一刀斎は背番号6』のことを書いたが、あの映画が封切られた昭和34年5月といえば、前年の日本シリーズで西鉄は巨人と対戦、3連敗から熱狂したファンが「神様仏様稲尾様」と叫ぶ中稲尾が連投して奇跡の逆転優勝、西鉄が三連覇を達成した翌シーズンということになる。

プロ野球が大相撲と共にプロスポーツの人気を二分した頃で(大相撲はちょうど栃若時代の最後の一年を迎えようとしていた時期に当る)、長嶋茂雄、杉浦忠を擁した立教の五連覇とか、その3年後の早慶六連戦とか、六大学野球もまだ高い人気を維持していたが、トータルに見れば既にプロ野球の優位は明らかだった。駒沢球場を本拠地にしていた東映フライヤーズが、駒沢が東京オリンピックの会場として使われることになったために明け渡し、大学野球のメッカだった神宮球場でプロ野球の公式戦が行われるようになるというので、神聖な神宮球場でプロの試合をするとはと議論が起ったのはその二年後のことである。(球場建設工事当時、当時の選手たちもモッコを担いで作った学生野球のための球場であるということが言われていた。フェンスに広告を入れることの是非も、真面目な議論の対象になった。当時の神宮球場のフェンスはグリーン一色の無地だった。方々の球場で私立大学の広告を見かける昨今からは夢のようである。)玉突き式にはみ出すことになった東都大学リーグのために、球場と隣接していた相撲場を廃止してその跡地に第二球場が出来たり(終戦後、進駐軍に旧両国国技館を接収された大相撲が、一時期、その神宮相撲場で本場所を開催したのを小学校1年生だった私は見に行っている。屋根のない、晴天興行だった)、大毎オリオンズが三ノ輪に東京スタジアムを作ったりした。昭和30年代半ばのあのころが、時代の大きな潮目だったことが分る。

テレビがまだ普及途上にあったそうした昭和30年代初頭、現役の選手や力士が自伝的な映画に出演して自らを演じるという映画が幾つも作られている。『川上哲治物語・背番号16』『若乃花物語・土俵の鬼』は、打撃の神様と言われた川上は前年、生涯2000本安打という日本野球初の偉業を達成、若乃花は横綱を目前にした30年秋場所中、幼い長男を煮立ったちゃんこの大鍋を全身にかぶるという不慮の事故で失う悲劇に会いながら土俵に立ち続け、憑かれたように連戦連勝、優勝を目前に病に倒れ「土俵の鬼」と異名を取るという、共に偉業を契機に制作された。こうした映画が当時果していた役割は、いまならドキュメンタリー番組として作るなり、感動のドラマとして作るなり、いずれにしてもテレビが担ったであろう。『土俵の鬼』が31年12月26日、『背番号16』が明けて32年元日に封切られたが、当時の各社の慣行として、正月映画の第一週は年末に封切り、元日または2日に第二週の作品を封切るのが恒例だった。(この当時、正月と七月のお盆の時期にドル箱スターやオールスターの作品を各社が競って並べるのが慣例だった。)

『土俵の鬼』は森永健次郎監督、『背番号16』は滝澤英輔監督だが、この二作は双生児のように似通った作りで、修行時代をそれぞれ青山恭二、牧真介という若手スターにさせ、後半生は本人が出演して自らを演じるという形をとっている。川上は新珠三千代、若乃花は北原三枝というスター女優が女房の役をつとめているのも目を引かれる。実は同じ日活でこれより先の31年5月、戦前派の古豪で大関に二度昇進して二度陥落、平幕に落ちてなお40歳にして敢闘賞を受賞した老雄名寄岩の『名寄岩物語・涙の敢闘賞』(小杉勇監督、新国劇の舞台でも上演したが、脚本は舞台映画どちらも、小説に転じる以前の池波正太郎である)が先蹤としてあるのだが、この後も、当時アイドル的な人気のあった(つまり、いまの遠藤的存在だった)新鋭力士房錦の『土俵物語・褐色の弾丸』(肌が浅黒く立会い一気の突進が武器だったのでこの異名があった)が本人が主演して作られている。

『力道山物語・怒涛の男』というのもあった。自ら髷を切って相撲界に絶縁し日本最初のプロレスラーになるまでという筋書きは、自ずから内幕もののような様相も帯びることになる。(こういう時、坂東好太郎とか澤村国太郎といった歌舞伎出身の時代劇俳優が立居振舞いや態度物腰など、親方の役などをつとめるのに格好の人材となった。)いわゆる栃若時代のさ中にあった大相撲の人気は、当時日活系の封切館では、本場所ごとに、『大相撲秋場所の熱戦』といったタイトルで、その場所のハイライトを(たしか1時間程度の上映時間だったろうか)映画と併映していたことでもわかるだろう。

さて、前置きが長くなったが、こうした時代ならではの野球映画の典型として『川上哲治物語・背番号16』を取り上げることにしよう。

(その2)

ところで『川上哲治物語・背番号16』だが、監督の滝澤英輔といえば、戦前、山中貞雄を中心とした脚本家集団鳴滝組の一人として知られ、前進座の『戦国群盗伝』など硬派の問題作をいろいろ撮った名監督列伝中のひとりだが、昭和29年に日活が映画制作を再開すると、島田正吾や辰巳柳太郎等新国劇の出演で、坂本龍馬暗殺者の謎を追った『六人の暗殺者』(これは私の中学時代、いっぱしの映画通を以て任じる友人がしきりに吹聴していたのを思い出す)や、新国劇の忠治役者辰巳柳太郎が十八番の極め付とは別の脚本でみじめな非英雄として描いた『国定忠治』など、東映などの戦後流の時代劇とは一線を画した戦前派らしい硬派の作品を撮っていた。後には裕次郎映画を撮ることになるが、その硬派ぶりはこの『川上哲治物語』にも生きていて、野球道の求道者としての川上の面影をケレン味なく伝えている。実はつい二月前の前年11月に封切られた松竹映画『あなた買います』は、その頃熾烈を極め社会問題ともなっていたプロ球界の新人獲得をめぐるスカウト合戦を描いたもので、野球場面も出ては来るが、むしろ現ナマの飛び交う裏面を描いた作品でいうならプロ野球界の負の要素を訴えた話題作だった。小林正樹監督が社会一般に注目される契機ともなった作品で。タイトルの「あなた買います」は今なら流行語大賞確実だったろう。『川上哲治物語』はそういう時世の中で作られたのであって、決してのどかな昔の作品だったわけではない。

正月映画だが雰囲気としては、その頃よく作られた教育映画の感覚に近いようでもある。川上の故郷の熊本、人吉などの風景もよく捕え、チャチな子供目当て(当時の用語でジャリ向け)という感じはない。川上自身の出演場面(セリフも多少ある)のほとんどは、戦後のラビットボール(つまりよく飛ぶボールである)使用の生み出したホームラン量産時代に「弾丸ライナー」を身上とする川上は乗り遅れ、長期の不振にあえぐ中で黙々とバットの素振りに打ち込む、それを妻役の新珠三千代がはらはらしながら見守る、というもので、やがて球界最初の二千本安打を達成の場面が大団円となる。(昭和23年に共に25本で青田と本塁打王を分け合ったのを最後に、翌年は藤村富美男が46本、翌々年は小鶴誠が51本と、飛躍的にホームランが量産される中、ホームランを打てない四番打者になってしまった川上をじれったい思いで見ていた記憶は、いまもまざまざと思い出すことが出来る。)

川上が出演するのは戦後以降の場面だが、映画としては、不甲斐ない父親のために家が没落して進学を一旦はあきらめた小学生時代から、野球の才能を見込まれて熊本工業へ進み、巨人軍に投手として入団したが芽が出ず、打者に転向するという新人時代の前半の方が面白い。小学生時代は子役がつとめ、熊本工業の生徒から巨人の新人になる若き日の哲治青年を牧真介が演じ、生真面目で固い感じが若き日の川上らしい感じをよく出している。(川島雄三監督の傑作として知られる『須崎パラダイス赤信号』でも印象に残る好俳優だった。)

熊工時代からの親友の名捕手吉原を若き日の宍戸錠(まだ豊頬手術など施していないいかにも純粋な青年らしかった頃の、何とも懐かしい細面の顔で出てくる)、哲治少年の野球の才能を見出した小学校の恩師を葉山良二(リーゼントスタイルの二枚目でメロドラマで鳴らした俳優だが、ここではなかなか良き先生ぶりを見せる)、藤本定義監督が二本柳寛(ソフトをかぶったダンディぶりがそれらしい)、熊本工業の監督を植村謙二郎、両親を河野秋武と高野由美等々、やや地味だが適役を揃えている。河野秋武といえば、黒澤明の『わが青春に悔なし』とか今井正の『また逢う日まで』といった作品で体制派のいかにも嫌な奴をリアリスティックに演じて知られた性格俳優だが(元は山崎進蔵という芸名で前進座の出身である)、父親として子煩悩、一家の主人として名家を没落させてしまった駄目親父を演じて、映画に陰影をつけている。(川上の実父というのは本当にああいう人だったのだろうか。)高野由美は民芸の新劇女優だが、かつて六代目菊五郎の作った俳優学校の出身である。

しかし何と言っても印象的なのは、何度も写される往年の後楽園球場のたたずまいである。グラウンドも狭く、いろいろ難点はあったものの、日本のプロ野球の球場としてあれほど雰囲気のあった球場はなかった。その後楽園球場のスコアボードの一番8与那嶺、二番9坂崎、三番7宮本、四番3川上、五番5岩本、六番2藤尾、七番4内藤という、二千本安打達成の時の巨人のラインアップが何度も画面に映し出される。(八番の遊撃手の名前は写されないが多分広岡だろうか。)5番打者でサードの岩本は広岡より一年先に早稲田から入った岩本尭だが、この人は本来外野手として入団したがサードにコンバートされたもので、巨人の三塁手というのは長嶋が入団するまで、1リーグ時代の山川喜作、戦前派の慶應の名内野手だが肩の故障で最晩年に短期間、復活した宇野光雄、ハワイ出身の柏枝、宮本、それからこの岩本など、なかなか定まらないポジションだったのだ。数年前までの第二次黄金期の千葉、青田、宇野、南村といった名前は既になく、一方この映画が封切られた時、長嶋茂雄はまだ立教大学の3年生だった。二年後に巨人の4番打者の地位を長嶋に譲る前の、まだ川上が球界最大のスターであった最後の日々に作られた作品ということになる。この時点での「背番号16」は日本野球界最大のシンボルであり、名前も、川上哲治は「カワカミテツハル」ではなく「カワカミテツジ」だった。(現に、映画の中でもナレーションがはっきりと「テツジ」と言っている。)巨人軍の監督になった途端に「カワカミテツジ」が「カワカミテツハル」になって、俄かに遠く離れた人になってしまった違和感は、後にハリウッドスターのドナルド・リーガンが、大統領になった途端にドナルド・レーガンになってしまったときの変な感じと共通しつつ、遥かに大きい。

ラストシーンの二千本安打達成の折の画像はその時のニュース映画のものと思われるが、スタンドで観戦中の中沢不二雄パ・リーグ会長、力道山、一万田尚人日銀総裁等のショットが写る。