随談第525回 今月のあれこれ

この月の公演が終わっての一夕、菊之助と吉右衛門令嬢の結婚披露宴があった。正しくは寺島家・波野家両家結婚披露宴というのだが、本来昨年秋に行なう筈だったものが出産に伴う新婦の体調のことから仕切り直しになって、このほど改めて、目出度く披露ということになったという経緯もあってか、両家結婚式といっても、菊五郎も吉右衛門も表には立たず、すでに生後半年の子の親となっている若い二人がもっぱらあるじもうけの役を司っている。そこが(式場の席の数から類推するにおそらく六、七百人は優にいようかという)盛大な宴にも係らず、若々しい雰囲気に包まれていて、なかなか良き宴であった。

どなたかのスピーチに、この結婚で歌舞伎俳優のほとんどが縁戚関係になったとあったが、たしか勘三郎の結婚の時にも同じようなことが言われたのではなかったか。歌舞伎が、「歌舞伎という一家」の家業の様相を呈するわけだが、もっとも世間はとうの昔にそういうイメージで見ているのかも知れない。

それはそれとして、思い出したのは今の菊五郎の結婚のときの大騒ぎである。緋牡丹お竜として絶頂期にあった当時の藤純子さんが引退して人妻になってしまうというのは、世の男どもに多大なショックを与える社会的事件と目された。緋牡丹お竜のファンは、AKB48に入れあげる若者とはわけが違って、みんなそれ相応にいい歳をした兄いだったりオジサンだったりの大人たちだったから、そういう男たちの見せる可憐な心根の迫力たるやちょいとしたもので、あゝいう事態は後にも先にも例を見ないものだった。と、どこやらの局が特集番組を組んで、有名無名を問わず、世のお竜さんファンたちに、この結婚をどう思うか語らせるという番組を作ったなかで、一番仕舞いに、当時現役の大関だった貴乃花が登場して(もちろん、親の方ですよ)、独特のぶすっとした調子で、「そりゃ変な男が相手じゃいやだけど、キクノスケでしょ? なら、しょうがないよ」と言ったのが妙に耳に残っている。(そう、あのときはまだ菊之助だったのだ!)

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その大相撲が、しばらく前から少しずつその兆候は見せていたが、この夏場所で一気に人気を取り戻して、満員御礼が十五日間の内、十日だか十一日だか出たという好況になった。もっとも満員御礼というのは一種の景気づけであって、すべての日が文字通りの満員札止めであったわけではない。納税の申告とはわけが違うから、そんなに精密なものではなく、「御礼」が出ているのにまだ空席があるではないかなどと目くじらを立てる筋合いのものではない。私は九日目に見たが、一階の桟敷席がほぼ埋まったかというタイミングで、満員御礼の幕がするすると下り出した。

しかし近年では、土日以外の週日に御礼が出るのは、場所も押し詰まった十三日目ぐらいなものだったから、今場所が久々の盛況であったことは間違いない。お蔭で、いつもは昼過ぎ頃にフリで出かけても一番廉い椅子席が楽々買えたのが、今度は疾うに売り切れで、ワンランク上げた席の切符を買う羽目になった。野球場にふいと出かけて、内野のBの自由席を一枚買ってひとりボケーッと(といっても、私はトイレにもあまり立たないで一球一球、見逃さない)見物する気分というのを私は愛するものだが、それと同じ伝で、国技館でも、東京場所の時は平日にそうやって一番安いいわば天井桟敷で、三段目か幕下の相撲から眺めるのを、このところ通例にしていたのだった。(以前、旧歌舞伎座の三階席に通ったのと、同じデンである。あのころの三階席の切符売り場は正面玄関左手にあって、開演5分前ぐらいに行っても、売り場の女性が銀行員が札束を数えるような慣れた手つきで、ぱらぱらっとチケットを捌いた中から適当な一枚を抜き出して渡してくれる。それをもって三階へ駆け上がって席に着くとちょうど昼の部一番目の幕が開くというタイミングだった。当時毎年二月は菊五郎劇団の公演で、客が詰まっているのは三階席の前三列ぐらいまでで、そういう、至極のんびりと平和な空気の中で、梅幸が「道成寺」や「藤娘」などを踊るのを見るのを、私はこよなく愛していたものだった。)

相撲の話の続きだが、三段目や幕下の相撲がだんだん取り進んできて(そういう中で、幕下格の行司に木村勘九郎と式守玉三郎という名前があることを知った。尤も玉三郎はこの初場所から十両格に出世して、立派な装束を着て名前も変わってしまったが、勘九郎の方は、まだ膝までの短い袴に素足というナリで頑張っている。おそらく次の昇進人事で十両格になれるに違いない。力士だけでなく行司が出世してゆくのを見るのも楽しみの内である)、やがて十両の土俵入りから取り組みが始まり、さらに幕の内の土俵入りが始まる頃になると、いつの間にか席も埋まってきて、力士たちも立派な体格や風情を漂わせる。幕の内の力士というものが如何に立派なものか、いきなりテレビをつけて幕内のお終いの方だけ見るのでは、到底わかるものではない。

もし朝の9時ごろから始まる一日の取組を全部見るならば、野球で言えば中学・高校レベルからプロ野球のトップクラスまでを、居ながらにしてまるでパノラマのように繰り広げられるのを一日の内に見ることが出来るわけだ。歌舞伎も江戸の昔は、朝早くの幕は下廻りの役者の出番で、段々偉い役者が登場してくるように、作られていたものだという。

ところで今場所のこの人気というのは、ひとつには例の遠藤がいよいよ髷を結ってサアこれから、といった期待もあるに違いないが、田中マー君クラスになるか斎藤ハンカチ王子程度で落ち着くのか、まだわかったものではないと私は思っている。たしかに取り口のセンスの良さは相当なものだが、ヤワなたちでもあるし、関脇あたりでとまってしまいそうな気もしないでもない。

いわゆる栃若時代に、成山(なるやま)という力士がいた。遠藤よりもう少しすらりとしていたが、前捌きと速攻の寄り身のセンスの良さは天才的で、その相撲振りと、活躍するときは一場所に大物を何人も喰うところから、「成山旋風」とマスコミが呼んだ。若乃花(もちろん初代である)なども何度かその速攻に苦杯を喫しているのを以てしても、凡庸な力士でなかったことがわかるだろう。だが、成山は結局、大関にはなれなかった。体があまり大きくなかったせいもあるが、「旋風」は毎場所吹き荒れるというわけには行かなかったのだ。特に似ているというわけでもないが、遠藤を見て、久しく忘れかけていた成山を思い出したのは、センスの良さと、相撲振りの綺麗さが連想を呼んだからだが、もうひとつ、その長所たるべき点が同時に、ある種の「ヤワ」な感じを与える点も、一脈、相似形のようなものを思わせるからだろう。

もっとも、栃錦だって若乃花だって、関脇になって人気沸騰してもなお、当時誰も、彼らが将来横綱になろうとは思いもしなかったのだから、玄人だの通だのの予想などというものほど実は当てにならないものはないのであって、先物買いをする人がいても止めようとは思わない。

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NHKのBSで昭和30年代の東映の「ひばり映画」が二本、放映されたので録画して見た。昭和37年、河野寿一監督の『花笠道中』と昭和33年、沢島忠監督の『ひばり捕物帖かんざし小判』の二作である。もうこの頃は東映も爛熟時代に入って大分タガが緩んできて、観客も戦後育ちの世代になっていたのと、一方で当時流行のヌーベルバーグを東映時代劇流に受け止めて、在来の時代劇映画のもっともらしさや重苦しさを取り去った新感覚時代劇が盛んだった頃で、「ひばり映画」というのはそうした方面を専ら受け持つものだった。つまり、一種のミュージカルで、ミュージカルを時代劇でやれるとなると、美空ひばりしかいないことになる。

ちょうど20代のいい年頃で、高音の綺麗な声が出た頃だったから、いま聞いても、なるほど巧い。残念ながら今度の二本とも曲の出来があまり良くないので、その点がちょっと物足りないが、『花笠道中』は相手役が若き日の里見浩太郎で、二人でオペレッタ風に掛け合いで唄う場面があったりする。売り出して間もない里見浩太郎というのは、ちょっぴりだが中村錦之助の売出しの頃に面差しが似たところがあって、色気の具合いも共通するものがある。水戸黄門だの、最近よく見かける、ワッハッハと笑いながら宅配便を届けて回るおじさんになるTVのコマ-シャルのような里見しか知らないイマドキノヒトには、同一人とは思われないに違いない。(片岡千恵蔵が新国劇の舞台と同じ行友李風の原作を映画にした『国定忠治』で、デビューまもない里見が板割りの浅太郎をやってなかなかいい役者ぶりだったのは、リアルタイムで見ている。)

『花笠道中』は37年の作だから、もうすっかり花形としてひばりの相手役を対等につとめているが、『ひばり捕物帖かんざし小判』の方は、ひばりの相手は東千代之介(随分と久しぶりのご対面だった!)で、里見は薄田研二演じる悪家老にだまされて悪の一味の手先になっている純真な若侍という、それでもなかなかいい役だが、もう一人、尾上鯉之助がひばりの兄の殿様の役で出てきたのにはアッと思った。菊五郎劇団の脇役の名手だった尾上鯉三郎の子で芸名を尾上雅章といって、『熊谷陣屋』なら四天王、『助六』なら意休の子分ぐらいの役をつとめていたのが、錦之助や橋蔵の刺激を受けたかして映画俳優になり、B級作品の主演ぐらいは勤めるスターになっていたのだが、その後どうなったのか、歌舞伎に戻ってくる手だてもなかったのか、消息を聞いたこともないままになっている。

これも新感覚の歌舞伎ミュージカルだが、沢島忠という人は、その新感覚派の旗手として売り出した監督で、いまの目で見ると、その新感覚が良くも悪くもやや浮いて見えてしまうのは、何のジャンルによらず、ヌーベルバーグというものの宿命的な悲哀なのだろう。つまりは、在来の正統派(という言葉が適切か否かはともかくとして、人も我もそのように思っている)の時代劇のパロデイでありつつ、それをそう過激に感じさせないように作っているところに苦心が察せられるわけだが、すべてのパロディがそうである如く、パロられる「正統派」がれっきとして成立していないところに、こういう芸当は成り立たない。という意味で、昭和30年当時の東映時代劇というものは見事にその条件を備えていたということになる。ひばりの役は老中だか何かの姫でありながら、市井に住んで女だてらに目明しをしているという役で、松江邸の河内山よろしく大名屋敷に乗り込んだり、といった歌舞伎仕立ての場面で堂に入った芝居を見せるのが一興なわけだが、それをまんまとやってのけてしまうところに、余人には出来ないひばり映画のミソがあるわけだ。

まあ、配役を見てもいま名前を挙げたような幾人かのほかは、随分弱体な顔ぶれで、あまり経費をかけないでもひばりの人気で収益が上がるのを見込んだのであろうような作りなのだが、それでも、当時の東映の、というか日本映画界の、というかが備えていた職人芸の集積のほどというものは、窺うことが出来る。要するに、「型の文化」の強みである。

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それに比べると、と、こんなところで突如、引き合いに出すのはお門違いもいいところのようだが、新国立劇場で見た『テンペスト』のお寒いことと言っても、まったく無関係の話をこじつけることにはならないのではないだろうか。半世紀も昔の美空ひばりの時代劇と(繰り返し言うが決して上等とは言えない作りの作品である)、いやしくも新国立劇場で制作のシャイクスピアを並べる無茶を承知で言うのだが、それにしてもあのツマラナサは、こりゃ御身はどうしたものじゃ、と言いたくなるほどのものだった。

新国立劇場にかつての東映時代劇の職人芸の如き蓄積がないのは当たり前には違いないが、舞台そのものがあゝも痩せていたのでは、良いも悪いも、面白いも何もあったものではない。よほど幕間に帰ってしまおうかという衝動に駆られたが、(休憩後になって何とか持ち直す芝居がこの頃よくあるので)まあまあと思い直して見続けたが、遂にぱっとしないままに終わった。

よろしくないのは、何やら演出をいじくり回せば新しいと思い込んでいるらしいことで、ボール箱を積み上げては崩すというのを、さも新しうござんしょうと言いたげに繰り返して見せる。(冒頭の嵐で難破する場面など、最近の韓国フェリーの転覆事件をパロッているのかと思ったが、そういうわけでもないらしい。)まず脚本をきちんとおやり下さい、その上での新演出でござんしょうという他はない。困るのは、これが今回だけのこと、今回の演出スタッフだけのことでなく、こういうのが当世の趨勢とも見えることである。日本の現代の演劇というのはこんなものなのだろうか?

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この31日から、猿之助・中車の襲名披露の巡業中央コースというのが始まるという。(襲名披露の旅はまだ終わっていないのだ!)猿之助のお蔦に中車の茂兵衛で『一本刀土俵入』をやるのだそうだが、ところで先月から始まった『ルーズヴェルト・ゲーム』を見ていると、中車の現代大歌舞伎劇風演技はますます病膏肓に入ったかのようでもある。あんな大芝居は、いまどき歌舞伎の舞台では到底できないだろうから、ああいうところで役者気分を味わっておくのも悪いことではないかも知れない。7月にはいよいよ歌舞伎座で『修禅寺物語』の夜叉王に『夏祭浪花鑑』では義平次をやるのだという。思わずウームと唸らないわけに行かないが、ともあれ予断は禁物。まずは駒形茂兵衛を初日の蒲田まで見に行くことにしよう。

随談第524回 今月の舞台から・團十郎のいない團菊祭と染五郎汗の十二役

新しい歌舞伎座ではじめての、というよりも、團十郎がいなくなって初めての、という形容辞をつけた方が本当はふさわしい團菊祭である。團十郎がいて、菊五郎がいる――そういうことを、われわれは余りにも当然のこととして思っていた。そのことを、改めてしみじみと思った、というのが今回の團菊祭を見ての一番の感慨である。

團十郎が欠けた分、舞台に穴が開いた・・・といった話ではない。そこに当り前のようにいたものが、いるべきものがいないということ。喪失感は、ラディカルな形でよりも、むしろしみじみとした思いとして、深く感じられた。もちろんこれまでだって、團菊そろわない團菊祭は時にあったが、そういう話ではこれはない。

菊五郎の孤独というものを、私は今度の團菊祭を見ながら絶えず思っていた。目の前で海老蔵が目をぎろぎろさせながら弁慶を演じるのを、しかしこれはこれで本人は本人なりにちゃんと考えてやっていることなのだな、などと得心したり、なるほど子供があんなに小さいのだから幡隨長兵衛という男は本当は海老蔵ぐらいの若い男だったのだなと頷いたり、菊之助の富樫や弥生や獅子を見ながらどうして彼はこんなに隙のない芝居をしようとするのだろう、などと考えたりしながらも、私は常に、その奥に菊五郎の存在を思い遣っていた。やがて菊五郎自身が舞台に現われて水野を演じ、魚屋宗五郎を演じる。海老蔵や菊之助を見た目には、まさに大人の芸であり、揺るぐことのない安定感が私を包み込んでくれる。この安堵感! これぞ、歌舞伎であるという満足感。

吉右衛門と二人で『身替座禅』を演じ『勧進帳』を演じたのは早くも先々月になるが、あの時にも同じものを感じた。しかしあの時は、一方に吉右衛門がいたから、何と言うか、もう少し張り詰めたというか、理解し合った者同士で演じる喜びの中にも、一種、昂揚感とでもいうべきオーラが前に出ていたが、今度は、いま言った安堵や満足の奥に、菊五郎の孤独を思わずにいられなかった。團十郎がいない。そのことを、菊五郎は舞台の上で、改めて思い、噛みしめていたのではないだろうか。それは、むしろ宗五郎以上に、水野に於いて印象的だった。水野という男の孤独と、菊五郎の孤独とは、理由も性質もまるで違うものであるはずだが、まわりに大勢人がいながら実は孤独であるという一点で重なり合うものが、見ている私にそう思わせたのに違いない。

もちろんこんなことは、客席から眺めている私の心の中で起ったよしなしごとであって、当の菊五郎が何を思いながら水野や宗五郎を勤めていたか、私の知るところではない。しかし間違いなく言えるのは、このところの菊五郎の舞台の、何とも言えぬ豊かさであり気力の充実である。不遜な言い方になるかも知れないが、それは私に、菊五郎というものへの認識を改めることを迫るものであった、と、正確に言おうとすれば、いうことになる。

團十郎効果といったら非礼に当るだろうが、團十郎の死が、菊五郎の心境に与えたものが、こうした形で顕われたのであるように、私には思えてならない。

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少しすっきりし過ぎたきらいはあるが、悪くない團菊祭ではあった。親たちの時代なら、海老蔵でも菊之助でももう一役二役、持ったり付き合ったりして、てんこ盛りにしたところだろうが、血気の筈の若者であっても腹八分でやめておき、スリムな体型を維持する冷静さを失わないのが現代というものかも知れない。

海老蔵は弁慶よりもむしろ長兵衛で、男伊達として人に立てられる者の骨柄を実感させたのを面白いと思った。弁慶はつい二ヵ月前に吉右衛門のを見ている。それはまさしく、当代の歌舞伎における弁慶というものを、あらゆる意味において具現するものだった。長兵衛も、いまや吉右衛門のイメージが圧倒的である。だがそうした圧倒的ともいえる吉右衛門のイメージの下にありながら、海老蔵の弁慶は、長兵衛は、決して自分の光を失うことはない。海老蔵は海老蔵の弁慶、長兵衛として、そこに生きて光を放っている。そこに海老蔵の海老蔵たる所以がある。

弁慶は、さっきも言ったように、しきりに引目を引いて目をぎらつかせるが、この前みたいに無意味に目を剥くのではなく、それなりに理に適っている。目を剥くことの是非ではない。一事が万事、すべて海老蔵なりに考え、合理性があり、何故そこでそうするのかということを、海老蔵なりに考え尽くした上で演じている。そこが海老蔵の海老蔵たるところ、というべきであろう。海老蔵はあれで、なかなか「考える人」なのだ。

その考えたところが、うまくはまる場合とはまらない場合があるのは当然だが、少なくとも今度の弁慶は、なるほど、そういうことなのかと私は得心した。これが2014年のいま、海老蔵の演じる弁慶なのだという意味で。

長兵衛は、序幕の山村座はいまの海老蔵ではどうにもならない。いくら腰を低く、慇懃に振る舞ったところで、腹の中の顕示意識が見え見えである。が、まあ、それも含めての話だが、長兵衛内の、長兵衛が実は若きパパであることの実感に海老蔵ならではの真実味があって、それから水野邸へかけて、こういう、焼けばブルーだのグリーンだのパープルだの、さまざまな色の煙が立ちのぼりそうな、生木のような長兵衛の方が、むしろ本来の長兵衛であるのかもしれない、などと思わせられたりする。黙阿弥の書いた長兵衛としてどうかという話ではない。「異能の役者」たる所以がそこにある。

菊之助というものを、どう考えればいいのだろう? 普通の形での劇評としてなら、今度の富樫にせよ。『鏡獅子』の弥生にせよ獅子にせよ、まず文句なしにほめて差支えないだろう。清新の気溢れる富樫、清楚にして凛然たる『鏡獅子』と書いてしまえば、もうそれで足りる。その限りで少しの嘘もない。だが、富樫にせよ、弥生にせよ獅子にせよ、お前は充分に満足したか? もし私の中のメフィストテレスにそう問われたなら、私というへっぽこファウストは、充分に満足した、時よ止まれと答えることができるだろうか? 

充分の中の不足、と言おうか。満足の中の不満足、と言おうか。おそらくこの吹っ切れなさは、菊之助が何を考え、何をしようとして演じているのかを、私が捉え切れていないからに違いない。「非の打ちどころない」という言葉を字義通りに取ると、菊之助の「現在」を表すことになるかも知れない。

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左團次が、弁慶ではないが一期の思い出のような『毛抜』をやっている。30年の余も昔の襲名の時にやり、その後、かれこれ20年ばかり前にやったことがあったが、それ以来だろう。元々、左團次という名前の手前と、大まかでマッチョな仁や芸風にふさわしいという処から襲名の演目に選んだのだったろうが、爾来30有余年、器用さや含みというものがない芸風は相変わらずながら、そこはそれ、何とも言えないとぼけたヒューモアが漂ってこの狂言に似つかわしいムードに通じたところが年の功というべきである。

松禄が『矢の根』の五郎というのは、こういう時の松禄の現在でのポジションというものだろうが、この人に甲の声が出るようになれば、松禄の荒事というのもひとつの存在になれるだろう。田之助が十郎で出て、これが新しい歌舞伎座初出演。舞台の上にいる所要時間こそ短いが、紫の似合う風情と言い憂いの利いたセリフと言い、さすがに本格の芸を見せる。

(これでまだ歌舞伎座に出ていないのは〇之助だけだ、という声をロビーで聞いたが・・・)

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明治座で染五郎が10役+2役=12役という奮闘公演。とにかく先ず、その意気やよく、『伊達の十役』の冒頭、例の十役のパネルを掛け並べた前で、やや気負った早口で十人の人物を解説する裃姿でする口上が、私が女性だったらカワイイと表現したくなるような好もしさで、言うならこの姿が、今回の『伊達の十役』全体を、更には今度の明治座公演全体をシンボライズしているかのようだ。

十役では与右衛門が何と言っても本役である。あれでやつしなりにもう少し色気と陰影が深くなったら、和事風の二枚目として江戸歌舞伎の伝統に連なることになるであろう。はじめはちょっとデカイなあと思った累が、殺しのくだりになって与右衛門とめまぐるしく早変わりを繰り返しているうちに、与右衛門のムードがうまく累にも相乗効果したかのように、しっくりしてきて、この場が全篇で一番の出来、即ち与右衛門が、今回の十役の核となった。

勝元はもちろんいい。(これが駄目なら染五郎はないようなものだが。)仁木も努力してつとめているから悪い出来ではないが、染五郎は染五郎であって海老蔵ではないのだから、ひと睨みしてワッと浚ってしまうような仁木ではないのは是非もないことで、従って恥じたりがっかりしたりする必要はない。(宙乗りはなかなかよく頑張った。)同じく仁になくとも、努力によって早変わりの一役としてなら充分にアクセント役として勤まったのが道哲であり、全幕中の長丁場で早変わりで逃げるわけに行かない政岡を敢闘賞ものの成績で乗り切ったのが、今度の『伊達の十役』をともかくも成功の部に押し上げる根拠となった。

ひと頃、桜姫だの何だの、女形に色気を見せた時期があって、色気不足が致命傷かと言ったり書いたりしたものだが、それ専門でやるのは無理でも、こうして十役の一つ二つとしてする上でなら、女形体験は決して無駄ではなかったことになる。若い時には何でも経験しておくものである。

もっとも、以上は十役から染五郎の仁を探りながら見た結果で、別な観点から、たとえばフィギュアスケートの採点みたいに、ア、いまのトリプルナントカはちょっと回転不足でしたね、審判が微妙なところをどう採点するでしょうか、などという具合にやったら話はまた違ってくるだろう。もしかすると、どの役も多少の増減はあってもみな百点満点の七十点台に納まってしまいそうな気もする。それを、うまく取り収めたと見るか、もっと振幅がないとツマラナイと見るか。私としては、そういう風に物差しで測定するように見るよりも、染五郎が十役をどういう風に演じるかに興味があったというわけだ。

もう二役、『釣女』と『艪清の夢』も初役だから、染五郎としては汗の十役どころか十二役だったわけだが、この『艪清の夢』がちょっとした拾い物である。もともと上方にあった狂言を亡き宗十郎が復活したものだが、こういう芝居こういう役は体に和事味がないと出来ない相談で、これをこれだけ出来るというのは、なかなか頼もしいと言うべきである。宗十郎路線の後継者とまで言っては、まだ早計だとしても。

「御殿」の場は、秀太郎が栄御前、歌六が八汐と揃って、ちょっとしたものだったが、とくに秀太郎は、このところ世話狂言のおばさん役でじゃらじゃら、じゃらじゃら、どこまでがセリフでどこからが捨て台詞かわからないような芝居ばかりが続いたが、こういうお家狂言でちょっと皮肉な肚のある役だと、やっぱり大した地力である。

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文楽の住大夫の引退興行で、国立小劇場が大変な入りだが、ロビーの一画に贈り物の花が飾られている以外、格別なことは一切していない。口上もなし、普通に一段を語り終えると、盆が回って静かに消えてゆく。やれ『鮓屋』だ『寺子屋』だといった大曲でなく、

『恋女房染分手綱』の「沓掛村」というややマイナーな出し物を引退の演目に選んだいきさつについて、事情通の裏話も耳にしたが、こういう味な作を味わい深く語ってお仕舞いにするというのも、なかなか洒落ていて悪くない。「滋味」という言葉にふさわしい語り口だった。思い出深いものになるに違いない。

それにしても今回は、この『沓掛村』もだが、『本蔵下屋敷』だの『丗三間堂』だの、マイナー作品集みたいな演目が揃ったのは、偶然なのかどうか知らないが、これはこれで面白い。『丗三間堂』はマイナーといっても有名作・人気作だが、愚作の見本みたいに言われる『本蔵下屋敷』などというのも、たしかに感心した作ではないが、それでも、夜の部の切りに出ている『鳴響安宅新関』などが、曲もなく歌舞伎の『勧進帳』をなぞっただけのようなのに比べると、『仮名手本』の二段目・九段目の裏話としての綾、詞章の凝り方、伴内をもじったと思しい伴左衛門というチャリの悪侍のバカバカしさ、文楽以外の何ものでもない作品になっている。明治出来の「忠臣蔵外伝」の匂いの芬々とする、忠義忠義で凝り固めたような内容は閉口するが、おそらくこの作の作者は、知性は大したことはないが、文藻といい、作者として大変な教養の持主であったに違いない。

(かの橋本大阪府知事が視察に来て生まれて初めて文楽を見たのが、たしか『鳴響安宅新関』だったのではなかったかしらん。よりによってどうしてこんなものを見せたのか知らないが、私だって、もし生まれて初めてみた文楽がこれだったら、文楽ナンテツマラナイと思ったかもしれない。でもそれにしては、時々上演されるところを見ると、結構人気があるのだろうか?)

夜の部で咲大夫が『女殺油地獄』の「油店の段」を語る。この作も、世評と違って実は私はあまり有難くないのだが、咲大夫の語りはそんなことを忘れさせる見事なものだった。母親と父親の、煩雑ともいえる気の配りようやらおもんぱかりやらの一々が、言葉が立って、耳に、胸に届いてくる。なるほど、こういう風に語られれば、やはり名作には違いない。

(但し殺しの場で、競技中に転倒したスピードスケートの選手よろしく、ツーッとお吉と与兵衛の人形を滑らせるのを何度もやるのは、考え物ではあるまいか。せめて、一、二度に留めておかないと、あの大騒ぎに何故子供が目を覚まして起きてこないのかと、変痴気論みたいなことを言いたくなってしまう。十歳というあの姉娘、なかなか利発でオマセではないか。)

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前進座が恒例の国立劇場公演で国太郎の『お染の七役』を出している。祖父や親の代からの歌舞伎の出身といえば国太郎、圭史、矢之輔、芳三郎ぐらいのもので、かなりのベテランといえども座の養成所出身者という世代だが、とにかく一生懸命、「歌舞伎をやっている」のが、ほほえましくもあり、時に感心もする。これはこれで、以前とはまたちょっと違った意味で「前進座歌舞伎」と言っていいのではあるまいか。