随談第331回 一月の芝居ひと束

公私ともに目前の雑事が多くて、一月の舞台についての話をいくらもしていない。しかし月が変わろうという今頃、あれこれ言うのも気が利かないから、これだけはというのを二点、つまんでおくことにしよう。

話題ということから言えば、今月の話題はなんといっても海老蔵だろう。『伊達の十役』はとにかく目ざましかった。おもしろいという一点に限れば、猿之助より面白かった。これは別に、猿之助の不名誉になることを言っているつもりはない。ただ、猿之助が「創造」したこの芝居を、猿之助の影というものをまったく感じさせずに、まったく我が物として演じきってしまった海老蔵というものを、あらためて、異才として認めないわけにはいかないということである。海老蔵論の種としても、面白い材料がふんだんにあった。

まず、「序幕」が見ていてしんどかった。もちろん、めまぐるしい早替りの連続に客席はやんやと沸いている。そういう風に出来ているのだし、いまの海老蔵のチャームのあり様からいって、それはそれで当然である。私も、それは認めないのではい。しかし忌憚なく言うと、見ていていささか飽きた。実際の時間以上に長く感じた。疲労を覚えた。理由は明らかである。めまぐるしく変転する男女・敵味方・身分の上下、さまざまな役々を、猿之助は、変わる瞬間瞬間にそれぞれその役になろうとしていたのに反し、海老蔵にはその意識も工夫もないからである。だから単調になる。しかもおそらく、海老蔵にとってこの「批判」は、誰かさんの言い種ではないが「想定内」に違いない。つまり海老蔵は、その役になることなど、はじめから考えてもいないからである。この人は常に「確信犯」なのであって、そこが、役者としての海老蔵の面白いところでもある。つまり「批評」を「批評」しているのだ。猿之助も批評を批評していたが、しかしそれはインテリとしての頭脳がそうさせていたのに反し、海老蔵の場合はもっと直感的・本能的な頭脳プレイであるところが違う。

しかし政岡、仁木、男之助、勝元といった個々の立った役になると、俄然面白くなる。どれもが好成績というわけではないにも拘らず、どの役も面白い。どれひとつとして平凡ではないからだ。政岡を技術的に批判することはたやすいことだろう。だってあの政岡はどう見ても男でしかない。しかしまぎれもなく政岡になってもいる。そこが、なんとも魅力的な政岡ではある。(昼の部で踊った『鏡獅子』の弥生にしても!)

海老蔵というと、口跡の難が誰に言わせても最大の弱点ということになっている。私もそう思う。だがこの勝元の言語明晰ぶりは、どう説明すればいいのだろう? 裁決にせよ、山名をやりこめる狐と虎のイソップ話にせよ、あれほど明晰に聞かせた勝元が、ほかにどれだけいただろう? 仁木の鷺見得にしても、あんなに間を充分もたせてゆるぎもしない仁木がいただろうか?

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予期に反してスペースが早々に乏しくなったので、最後にぜひとも、曽祖父・祖父・父と三代の三津五郎の追善の会で当代の踊った『喜撰』のことを書いておきたい。昼の部の『靭猿』は残念ながら見られなかったが、この『喜撰』は、本興行でも何度か見ているが、今度はとりわけ傑出した出来であった。言葉で言えば決まっている。端正で規矩正しく、それでいてとろりとやわらかく、陶酔感がある。何度同じことを書いたか知れない。だがこんどほど、それを如実に実感したことはなかった。偉とすべきは、単に今回の出来がよかったということではなくて、それがそのまま、まさしく大和屋の踊りであったところにある。実際に見たことのある九代目も、八代目も、そうして見たことのない七代目すらもが、いま目の前で踊っている当代十代目三津五郎を通して髣髴とされるかのように思われた。これこそまさに追善の本意ではあるまいか。

狂言半ばの挨拶で、父祖三代の人となりを一筆書きに述べた中で、八代目のエピソードが秀逸であった。小学生だった当代と、八代目とが、口三味線で『連獅子』を口ずさみながらふぐりを振ったというのである。笑いながらも、八代目の俤が瞼に浮かんで、覚えず目が潤むのをとめられなかった。

もうひとつ、当代の伯母に当る坂東寿子の『猩々』が、こんな折にでもないと見る機会はなかなかないが、まさしく眼福であった。

随談第330回 『麦秋』あれこれ

三越劇場の新派で『麦秋』をやっているのが予想以上の好評のようで喜ばしい。二、三の新聞評を読んでも、新派の今後の路線としての可能性という観点からの評が目につく。それもわが意を得たことで、明治から昭和三十年代ごろまでの日本人、すくなくとも東京エリアに生活していた人間を演じて、最も実在感のあるのは新派であることは確かだろう。つまりテレビと洗濯機が普及し、国電中央線の車体がオレンジ色に変わったころ、卒業式で「蛍の光」や「仰げば貴し」を歌うのがまだ当たり前だった頃までの日本人の感性は、新派の演技術がカバーしてきたものとほぼ重なり合うのである。

林芙美子の絶筆となった小説を(夕刊を見て、母や姉や兄が林芙美子が死んだ、と話し合っている夏の夕暮れどきの気配を、いまもありありと思い出すことができる。新聞連載中に急死したのだった)、成瀬巳喜男監督で映画にした『めし』は、小津安二郎の『麦秋』とともに、日本映画の現代劇のなかで私が一番好きな作品だが、これが昭和26年の作である。東京を駆落ちして大阪の場末に長屋住まいをしている上原謙と原節子の夫婦の家の台所が再三出てくるのを見ると、竈があって鍋や笊を伏せたり吊るしたりしてある様子が、日本人の暮らしの様式が、基本的には黙阿弥の世話狂言とほとんど変っていないことを物語っている。つまりそれが、いまとなっては新派の領分なのである。

『麦秋』もまた、小津安二郎の映画は昭和26年の作品である。あそこに子役が二人出てくるが、小学校高学年とおぼしき年かさの方が、思うに私と同年配であろう。あの半袖シャツに半ズボン、丸坊主の頭に野球帽というスタイルが、当時の小学生の平均的な夏の身なりで、野球帽のまま学校に行く者もあれば、学帽をかぶって行く者もあった。(『サザヱさん』のカツヲは、『サザヱさん』初出の年代をベースにおいて考証すると、やや年上だろうが、彼は野球帽をかぶらない。思うに彼は運動音痴、すなわちウンチなのであろう。)

しかし今度の山田洋二脚色・演出では、時代設定を三年ずらして昭和29年に直している。思うに、テレビや電気洗濯機のはしりを登場させ、時代色を端的にわからせるための措置であろう。昭和26年九月がサンフランシスコ講和条約調印、翌27年四月に発効となって進駐軍(GHQ)が帰る。NHKがテレビ放送を始めるのがそのまた翌年だから、昭和26年では、エポックとしての時代を端的に表わせる小道具が家庭の中にないのである。つまり、『めし』も『麦秋』も、日本人の暮らしの根幹は黙阿弥の世話狂言とひと続きなのだ。

山田脚本は、終戦から九年目という時代を強く打ち出すことによって、映画ではよほど注意して(それも二度、三度とたび重ねて)見ないと気がつかない、戦争の翳が一家に落としているものを抉り出してみせる。映画では東山千栄子だった祖母の役を今度は水谷八重子がやっていて、ラジオの「尋ね人」をいつも聴いている。「尋ね人」は三十年代まで放送していたそうだが、子供だったわれわれにも強く印象に残っているのは、もう少し前である。ソ連からの最後の大量引揚げがあったのが昭和28年で、新聞が引揚者の名簿で埋め尽くされていたのを覚えている。

映画では菅井一郎だった祖父を安井昌二がやっていて、菅井とはキャラが違うが実にいいムードである。(この前の『女の一生』でもそうだった。)籐椅子に腰掛けてラジオの寄席中継で柳好の『野ざらし』を聴いている。志ん生や文楽にしたって(あるいは三代目金馬にする手もある)時代考証(!)としてはいいのだが、柳好の『野ざらし』にしたところが、山田監督の薀蓄から来るミソというものだろう。映画の『麦秋』では、原節子と淡島千景が、ラジオで歌舞伎座からの中継を聴いている場面があって、初代吉右衛門の『河内山』が聞こえてくる。(声は吉右衛門ではなく、悠玄亭玉介の声色だと聞いたが。)

別に映画と同じでなくともかまわないが、今度の瀬戸摩純もよくやっているけれども、女学校時代の友達役もふくめて、原・淡島に比べると少し幼い感じがする。が、これは仕方がないか。つまり、当時の二十代の女性の漂わせていたムードというものは、現代の若い女性にはまったくと言っていいほど、後を絶ってしまっているからだ。もしかすると、昭和20年代と昭和80年代(!)の今日、何が変わったといって、若い女性の漂わせるムードほど、変わってしまったものはないかもしれない。

随談第329回 歌舞伎座初春芝居三絶つまみ食い

ラストイヤーの正月、歌舞伎座を見ながら心に浮かんだよしなしごとを書きつければ・・・

その一。團十郎の弁慶。これぞまさしく歌舞伎十八番の弁慶である。すぐれた弁慶は他にもあるが、歌舞伎十八番の弁慶、という意味では、今回の團十郎をもって極めをつけてもいい。荒事を踏まえた弁慶であること。計算作意を感じさせない弁慶であること。ただただひたすらに弁慶であることだけを念じて努めた弁慶であること。

昨秋の吉右衛門の弁慶も当代ですぐれた弁慶であったが、その仁、その芸質芸風からいって、どうしても実事役者の弁慶である。つまりそれだけ近代的であり、現代人のイメージに最も近い弁慶であるといえる。智勇兼備の理想的リーダーとしての弁慶。すなわちそれは、大星由良之助のイメージと重なり合う。そういう意味で、現代の観客にもっとも納得しやすい弁慶であるといえる。もちろん、それはそれでよろしい。

だがやはり、歌舞伎十八番としての弁慶には歌舞伎の原初的なものを求めたい気持が、私のどこかにある。團十郎といえども、これまでそれほど、強くそのことを思わせたことはなかった。思うに、あの業病を乗り越えての何かが、そうさせたのに違いない。それと、読み上げといい、問答といい、セリフの明快なこと。これほど言っていることの意味がくっきりと伝わってくる弁慶も、一、二の例外をのぞいてかつて知らない。若き日、團十郎といえばセリフの難を指摘するのが劇評の常だった。今昔の感などというものではない。

過不足ない本寸法の梅玉の富樫、能楽の子方の味のする義経の勘三郎、またよかった。去年の吉右衛門のときの菊五郎の富樫もよかったが、あれは吉右衛門との均衡が理想的だったので、今度の團十郎には、今回の両名がベストであろう。

團十郎のもうひと役。勘三郎の『娘道成寺』につきあっての押戻しの荒事の見事さ。あれこそ、現代見ることの出来る限りの、荒事の神髄の顕現した姿であろう。即ち、今月の團十郎は、歌舞伎十八番の原初と到達点をふたつながら演じていることになる。

その二。吉右衛門演じる『松浦の太鼓』の何とも楽しかったこと。まさに文字どおりウェル・メイド・プレイである。これを愚劇と言う人は、よほど偏狭に凝り固まった者に違いない。三幕仕立てで起承転結が見事に備わっている作劇の巧さ。

ふと思ったのは、これはかの森繁の社長シリーズの歌舞伎版だということである。晩年の森繁はなぜかあの社長シリーズのことを語るのを好まなかったそうだが、もし事実とすれば、森繁も案外な人物だと思いたくなる。あのシリーズがあれほど受けたのは、あそこにはほとんど万古不易かとすら思われる人物たちが登場し、万古不易の人間模様が展開されるからである。それは既に「型」の域に達している。つまりあれは「現代歌舞伎」だったのだ。あの松浦侯の愛すべき暴君ぶりを見よ。森繁社長そのままではないか。宝井基角を三木のり平、大高源吾を小林桂樹、お縫を司葉子、近習頭を藤木悠にでもさせれば、見事に現代歌舞伎が現出する。

それにしても、名君と馬鹿殿様が相乗りしたような松浦侯を大乗り気、上機嫌でつとめる吉右衛門も、大人の役者になったものである。ちょっとでも照れくさがったりしたら、それこそたちまち愚劇と化してしまう。しかも保つべき品格を見事に保っている。ここらが歌舞伎役者の値打ちである。こういう芝居こそ脇が大事で(社長シリーズもそうであった如く)、梅玉の大高、芝雀のお縫、歌六の基角と適材が適所をつとめている。(もっとも、『勧進帳』のすぐ後で、ついさっき富樫だった梅玉が、頬冠りをして笹竹を担いで出てきた時は、鎌倉殿をしくじった関守が素浪人に落ちぶれて登場したようでおかしかったが。)

その三、芝翫の桜丸。何と聞いたか桜丸、で編笠を取った一瞬にすべてがある。あの瓜実顔にむきみの隈のよく映えること。おそらく絶後の桜丸であろう。即ち今生の見納め。それにしても時平の富十郎ともども初役とは! 第一の殊勲は、この企画を立案し、役を収めた製作部にあるといってもいい。聞くところに拠ると、芝翫も大張り切りとの由。流石、役者の血は眠っていなかったのだ。松王丸に幸四郎、梅王丸に吉右衛門と揃ったところはまさに超弩級、これでこそさよなら公演である。

雀右衛門休演は残念、勘三郎の『娘道成寺』はちと割を喰った形だが、当節彼ひとり孤塁を守る形となった、加役の踊る「娘」道成寺として珍重に値する。と、まずはめでたい春であったことになる。

随談第328回 浅草歌舞伎のお噂から

あけましておめでとうございます。昨年は3月と11月から12月にかけてと二度も長期休載が出来、申し訳ありません。そればかりでなく、時代劇映画50選とか1950年代年代記とか、永らく中断したままのテーマ別の連続物なども多々あり、これらは続行の意志はありながら目前の多忙にかまけているわけで、これまた、申し訳なく存じております。折を見て、少しずつ再開するつもりながら、やはり何と言っても芝居の話が基盤にあってのこと。というわけで、新年最初の話題はまずは各座の噂から。

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新聞の紙面の事情で今月の四座の内、浅草歌舞伎の評が載らないので、それの補いという意味も含めてその話題から始めよう。

ひと口に言えば、今度の浅草は一に勘太郎ということになる。『安達原』の袖萩と貞任、『草摺引』の朝比奈、『将門』の大宅太郎の三役、どれもいい成績だがとりわけ貞任がいい。

現在の若手花形で義太夫時代物の骨法を一番きちんと身につけていること、とりわけこういう悲愴味を帯びた骨っぽい役に仁が適っていること、芸質に写実主義一辺倒でなく一種飛躍のできるロマン性を秘めていること(もしかしたら音羽屋系より播磨屋系か?)等々、まず貞任役者としての条件を備えている。骨格の大きさを感じさせるところもいい。こういう点は親父まさりといえる。最後の詰め寄りで、刀を左手で抜く早業は見事にやってのけた代わり、紅旗を翻すはずみに客席へ放り投げてしまうというハプニングを生じたが、こういうのは物のはずみであって、いいことではないが、ことごとしく咎めるには及ばない。袖萩は、貞任に比べれば今ひと息だが、決して悪い出来ではない。むしろ、勘太郎の女形には、ちょいと現代の第一線どころにも見られないような古風な味があるのを、私はひそかに珍重している。あれでもうすこし熟してきたら面白くなるに違いない。

と、いま貞任について言ったことはそのまま、大宅太郎にも朝比奈にもいえることで、特に朝比奈は、先物買いをしておいて決して損はしない筈である。前にも言ったが、二十年後の勘太郎は面白い筈だ。

七之助は『将門』の滝夜叉を取ろう。しかしいま、この人はゆるやかな上昇カーブを描いている最中で、進歩をしていることは間違いないが、これと明確な評をすることは、正直、いまはちょっとしにくいところにいる。滝夜叉に可能性を見、『御浜御殿』のお喜世に素質のよさを見、『安達原』の義家にしつけのよさを見る、というところか。

亀治郎が、女形は一切なしのマッチョ路線なのは、偶然かそれとも自ら選んでのことか?その面白さもあれば、損の卦もある。『草摺引』も五郎は、もちろんしっかりしたものだが、あまり仕出かしたとも思えないし、『御浜御殿』の富森も、亀治郎ならもっと出来るかと思わせられる。結局、『悪太郎』が珍しさもあって一番儲かる。じつは、存外に愛嬌があるのが分って、私としては少し嬉しかった。じつは、と言ったのは、この人に役者としての愛嬌があるかどうか、ちょっと心配だったからだ。これは父の段四郎にあって、伯父の猿之助に意外にあまりないもので、天は二物を与えないという好例である。鬼才、俊才にして、これが不足のために可惜、大成し損なうという例だって時にないではない。ともかく、修行者役の亀鶴の好演もあって、久しぶりの『悪太郎』はなかなか悪くなかった。

さて愛之助だが、『御浜御殿』をどう評したらいいのだろう。決して拙いのではない。むしろ巧いのだが、それがそのまま評価に直結しないもどかしさがある。風貌も芸質も仁左衛門によく似ていて、習いも習ったりというほど上手にやっているのだが、なまじによく似、うまいために、却ってよくできたコピーのような感を与えてしまう。思うにこの辺が、こうした新しいものの難しさなのだろう。いわゆる古典の型物などだったら、よく写したとむしろほめられるところかも知れない。若手に新歌舞伎はむずかしい。