随談第286回 トトロの家異聞

「トトロの家」というのが焼けて、ファンにとってはひとしおの思い入れがあるようだが、それとは全然別のところから、私にとっても、ある種の感慨のあるニュースだった。

新聞でニュースを読んで、何だあれがトトロの家だったのかと知ったのだから、ファンからみれば迂闊な話である。七年前にいまの住所に引っ越してくるまでのざっと三十年、私はあの家のすぐ近くに住んでいた。歩いて一、二分。いわば散歩道である。

昭和の初年、杉並など、いまの二十三区の外延地帯が通勤圏として開発されて、阿佐ヶ谷から荻窪辺りにかけて、いわゆる文化人が多く住み着いた。戦後まもなくに出た俳優名鑑を見ると、有名な新劇俳優が大勢、荻窪近辺の清水町に住んでいる。歌舞伎の俳優も戦後はこの辺りにまで居を求めるようになって、歌右衛門もひところは阿佐ヶ谷辺に住んでいたことがあるらしい。そのころ鷺ノ宮に住んで、小学生だった私は、高円寺の駅近辺まで足を伸ばすことはよくあったから、あの坊や,よいお子柄ね、などと目をつけられたりするチャンスも皆無だったとは限らないことになる!

それはともかく、「トトロの家」なるものは、いかにも昭和初年の東京の郊外の風景を物語る、ひとつの典型だった。ああいう家は、戦後のひところまで、少年時代の私のまわりにいくらも見かけるものだった。小学校の同級生に絵描きさんの息子がいて、その絵描きさんの家というのが、まさしくトトロの家とそっくりだった。赤いスレート瓦を乗せた勾配の浅い屋根、在来の木造住宅と違い、板を横に張った西洋風の外回り。庭木の植え方もどこか西洋風だし、ちいさな花壇を作って草花を植えていたりするのも、どこかバタ臭い。(バタ臭い、という言葉が、実感をもって使われていた時代である。)塀も、下町なら板塀、山の手なら垣根というのが普通だったところへ、白く塗った粗い目の網のフェンスだったり、上を三角に切ったのに白ペンキを塗った木の柵だったり。つまり建築としては、どちらかといえば安普請に属するのだが、見た感じはハイカラで、住んでいる人も何となく知的な感じがして、日本の中のちょっとした異国といった雰囲気を漂わせている。それが、昭和十年前後という時代の、杉並や世田谷を典型とする、東京の郊外の一風景なのだった。

『細雪』を読むと、主人公の四姉妹のひとりが芦屋の家から夫の転任で東京に住むことになり、家は安普請だし埃っぽくて、と嘆く場面があるが、まさにそれと重なり合う。つまり決して上等なものとはいえないのだが、「戦前」というひとつの時代を鮮やかに切り取っているという意味で、ある種の懐かしさを、当時を知る由もない現代の若い人たちにも感じさせるところが、「トトロの家」となった理由なわけだろう。

ところで、その「トトロの家」について、私がひそかに、以前からもしやと思っていることがある。北原白秋が昭和十八年に亡くなった終の住処となったのは阿佐ヶ谷で、小山と呼ばれるところだったという。ところで、「トトロの家」も七年前まで私が住んでいたところも、かつて「小山」と呼ばれていたのだと、その当時地主さんから聞いたことがある。定規で引いたように一直線に東西に走る中央線の、阿佐ヶ谷と高円寺の駅を底辺にして描く二等辺三角形の頂点あたり。どちらの駅から歩いても、いったん下りになった道が、半ばから上りになる。つまり小高い山、小山だというのだ。だから地盤がしっかりしていて地震のときなど安心ですよと、地主さんの話は続くのだが、さて、白秋などがいかにも住みそうな家として、私はあの家のことを、もしやと考えていたのだった。白秋の研究家などには疾うに調べがついているのだろうが・・・・。