随談第276回 加藤周一氏をめぐるちょっとした思い出

今年の訃報といえば、大物文人として隠れもない加藤周一も亡くなったが、この方については、あちらには全然覚えのないことで、私にとってはちょっとした思い出となることが、ふたつばかりある。

ひとつは、私がいまのような仕事をするきっかけとなった、『演劇界』の劇評募集に関わる話だ。利倉幸一さんが『演劇界』を仕切っていた当時、新しい書き手の発掘にも意を用いておられて、二年に一度、一般読者から劇評募集をやっていて、それに通ると執筆者として書かせてもらえるようになる、いわば登竜門だった。古くは利根川裕、有吉佐和子、志野葉太郎などと言う人たちも、そもそもはこの門を通って世に出たのである。(利根川・有吉氏のころは俳優論だったか。)ところで私の場合は、忘れもしない昭和52年6月の新橋演舞場夜の部の劇評を書けというのが、その時の課題だった。

実を言うと、私は前に二度、佳作入選をしていたので、「今度で決めたい」と思っていた。ついては、前二回と同じようなことをしたのでは、二度あったことが三度になってしまわないとも限らない。そこでふと閃いたのが、朝日新聞の夕刊に加藤周一氏が毎月連載していた「時評」欄で、ときどき、甲乙二人の人物に対談だか高等万歳だかをさせるという形式を取ることがある。相反する意見を二人に言わせて論点を際立たせる、ばかりか、一方的な見方に偏しない相対的で、客観的な視座を獲得することが可能になる。それに、とかく高飛車だったり独善的だったり、世を憂える志士風だったり、といったいわゆる劇評の文章の臭みからも自由になれる。こいつを拝借しようと思いついたのだった。今年から遡って31年前、その月の夜の部は、当時片岡孝夫の『実盛物語』が眼目だった。

で、まあ、めでたく当選したのだったが、後で聞くと、通常の劇評のスタイルではなく、対話形式だったのが、是非を問う議論になったらしい。ともあれ私のスタートは、批評スタイルの上では加藤氏に、私を触発する好舞台を見せてくれたという意味では孝夫すなわち当代仁左衛門氏に、負っているのである。

もうひとつの思い出は、つい三、四年まえのことだ。国立能楽堂のレクチャー室を借りて、大笹吉雄氏、神山彰氏に私と言うメンバーでシンポジウムをしたことがある。午後からの開始を前に昼食をしながら打合せをすませて、戻りかけると、向こうから早稲田大学の内山美樹子教授が、おそらく能を見に来られたのであろう、こちらへ歩いて来られるのとばったり出会った。これはこれはというので、挨拶をする。と、われわれと顔を合わせるために視線を上げた拍子に、足元がお留守になったかして、ほんの数センチという段差に躓いてぱったりと転んでしまわれた。

思いがけないことで、はっとする。とそこへ、タクシーが一台、すーっと横付けになって降り立ったのがなんと加藤周一氏という、まるで芝居のような本当の話である。運転手が気がつかずにバックでもしたら、大変なことになるところだったが、さすがの加藤氏も、呆然というか唖然というか、しばし無言で立ち尽くしていた。あれで、吉原田圃の河内山宗俊よろしく「星が飛んだか」とでも言ってくれれば、白昼の東京で黙阿弥ばりの名場面が成立するところだったが、残念ながらそうはならなかった。

随談第275回 野球本と相撲本

最近、野球と相撲と、車中の読書用に気まぐれに買った二冊の新刊本を読み終えた。一冊は高橋安幸『伝説のプロ野球選手に会いに行く』、もう一冊が蕪木和夫『土俵の英雄(ヒーロー)伝説』という。ここしばらく、自分の部屋にゆっくり坐って読書をする時間が皆無の状態が続いていたさなかでもあり、一冊読むのにあちらで10分、こちらで5分、拾い集めて3時間かそこら、まずは楽しんだ。

高橋氏の本は、往年の名選手たちに取材をし、その模様を再現しながら語ってゆくという体裁を取っている。自分の見解をひけらかさずに、まず当人に語らせるというスタンスがいい。かつて愛読した近藤唯之の野球ものなどは、何かというと、「私はそれを聞いて腰を抜かした」といった大仰なレトリックがひとつの芸にも愛嬌にもなっていて、なかなか読ませたが、(それにしても、ああしょっちゅう腰を抜かしていたら、晩年ひどい腰痛に苦しんだことであろう)あれに比べれば高橋氏のはよほどナイーヴである。

何よりいいのはその人選で、そこにおのずから、著者の見識が底光りしている。苅田久徳・千葉茂・金田正一・杉下茂・中西太・吉田義男・西本幸雄・小鶴誠・稲尾和久・関根潤三という顔ぶれは、押しも押されもせぬ面々でありつつも、マスコミに名の出る常連とは、一線を画している。小鶴などという人は、絶えて久しくその名を目に、耳にすることもなかった。事実、玄関に尋ねた著者たちを、当人がみずからドアを開けて請じ入れてくれたとある。やっぱり、取材を受けることも稀になっていたのだ。

苅田久徳が老妻とアパート暮らしで、杉下茂が豪邸に住んでいる、などというのも、何やら物を思わせる面白さがある。常連組にしても、金田正一が、「400勝凄いですね、と称える相手に、ああ、それは凄かったよなんて真剣に答える馬鹿がどこにいる?」と言うのもいい。そういうセリフを吐かせるだけでも、聞き手のレベルがわかる。

蕪木氏の相撲本の方は、それに比べるとやや平凡だが、それでも、「昭和平成の名勝負」と題して取組十五番を並べたその選択眼には、ちょっとしたものがある。鏡里・吉葉山とか東富士・千代の山などというのがあったり、一日を「戦わざるライバル」として時津山・北ノ洋・若羽黒・安念山の「立浪四天王」について語ったり、なかなかの見識を見せている。琴ケ浜・朝汐などという組み合わせを見ても、じつは名勝負物語というのは建前で、好取組になぞらえて関心のある力士たちについて薀蓄を傾けようというのが目的のようで、それがこの本を読むに値するものにしている。朝青龍を、初代若乃花に似ていると喝破しているのなど、おぬしやるなとエールを送りたくなる。最もお相撲さんらしい人として、リアルタイムで見ていない筈の昭和初期の玉錦を挙げているのも、理解の深さを窺わせる。

ただ惜しむらくは、間違いや事実誤認がちょいと多いのが気になる。たとえば栃錦が平幕で上位を目指していたころの出羽の海一門の幕内力士として、千代の山、出羽錦、鳴戸海まではいいが、大晃、成山、常錦、小城ノ花、栃光を挙げているのは、間違いというより、認識の不足と言わざるを得ない。これらの力士たちはみな、栃錦が大をなして後に登場してきた後輩たちである。といった不満はあるが、好著の少ない相撲本として、またせいぜい柏鵬時代どまりの記事がほとんどの相撲本として、読むに耐える一本である。

随談第274回 観劇偶談・今月の一押し 三津五郎の『娘道成寺』その他

正統にいけば、今月は三津五郎の『娘道成寺』である。坂東流に伝わる、随所に見慣れたのと違うところがあって、それ自体が目新しい。衣裳が赤に始まり、最後にまた赤に戻って終るというのは、始めあり終りありという感じで、本来かくあるべきではないかと思われる。(夏に見た「亀治郎の会」では全編赤で通した。)

終始、「娘」の肚で踊る。文字通り、「京鹿子娘道成寺」なのだ。そもそも、歌右衛門流の、恋の妄執、情念を踊りぬくという行き方は、それはそれでいいのだけれども、しかしこれはテーマ主義的な、つまり近代的な考え方だといえる。それよりも、娘心のさまざまを、局面局面に見せてゆく「組曲」の方が、むしろもっと本来的なあり方ではないかと、私はかねがね考えている。こういう行き方の『娘道成寺』は、梅幸を通じて現勘三郎ぐらいかと思っていたら、それともまた違う、三津五郎の『道成寺』が誕生したというわけだ。

ただ、勘三郎と違い、加役としてでも女形を勤めることがほとんどない三津五郎だ。清楚でボーイッシュな処女というのは、私などは嫌いではないが、もうちっと、なんどりとした色気が欲しいと思うのは、正直なところだ。まして、歌右衛門・玉三郎以来の、嫋々と女の情念をテンション高く踊りぬくのが「道成寺」だと思っている人にとっては、淡白で薄味で、ちと物足りないと感じられるかもしれない。それはそれで、もっともではあるが、しかし言っておきたいのは、そればかりが『娘道成寺』ではないということだ。クドキで手拭を使わないのも、この行き方ならばなるほどということになる。

坐った姿勢のまま、後見の助けもなしに反り身になるなど、苦しい姿勢を取ったりする。さすがの三津五郎が、この時ばかりは少し顔がこわばった。万一あのまま腰をついてしまったら、と見ているこちらもはらはらした。万一に備えて、後見を傍に控えさせておいた方が、見ているこちらは余計な心配をしなくてすむ。そういうことも、配慮の内に入れておくべきではないか?

このほかに、わたしの気に入ったものを、順不同に揚げることにしよう。

まず、『籠釣瓶』で染五郎の栄之丞がすばらしい。軽味があって、いかにも風に吹かれて生きている男らしい。染五郎の中にある、育ちのよさの中にちょっとばかり、不遜に通じる自負があるのが、このヒモ男の生き様に通じているところが面白い。栄之丞という役は、勘弥亡き後、梅玉が三十年かかってようやく近年、ものにしたが、ちょいと誰でもというわけにはいかない、人を選ぶ役だ。こういう役がこの若さでいいというのは、染五郎が二枚目として良い仁を持っている証明でもある。この月の染五郎は、俣野は役違いで空振り三振、もう少しいいかと思った『高杯』が期待を裏切る平凡さ、『義民伝』の将軍家綱は品のよさで無難という成績。すなわち一勝二敗一分け。栄之丞は折角の大金星で殊勲賞ものだが、負け越しで相撲なら三賞の対象にならない。

もうひとり、『遠山政談』の菊之助の祐天小僧が、いかにも若旦那崩れらしい優柔不断さがあるのがいい。歌舞伎の二枚目というのは、優柔不断を本質の中に秘めている。即ちこれは、菊之助が天性の二枚目役者であることを立証しているようなものだ。

もうひとり、やはり『遠山政談』の菊十郎の山番勝五郎。誰よりも、(ある意味では菊五郎以上に)黙阿弥流の世界の人物らしい。