随談第267回 野球あれこれ話

ON嫌いを気取るわけではない。しかしあまりにも多くのことが、このふたりについては語られすぎるので、そういう中で何かを言おうという気持になりにくい。しかし、感動をどうもありがとう式の言が軒並み続く王監督引退のニュースの中で、野球界に大きな記録を作った選手は大勢いるが、尊敬に値する人物はいないとイチローが言っていたのは面白かった。しかしこの場合も、面白さはイチローの方に比重がかかっている。いかにもイチローらしい、離見の見で野球を見、人を見ているおもしろさだ。

その大ニュースの陰で、岩本義行の訃を伝える小さな記事が載った。じつをいうと忘れかけていた名前である。96歳という年齢を知って、まだ生きてたんだ、と驚く思いが一挙に記憶を甦らせる。何故か実際のプレイよりも、神主打法と呼ばれた、バットを身体の中央に笏を持つように構える独特のフォームから、試合前のフリーバッティングで外野スタンドにぼんぼん放り込んでいた姿が、最も鮮明に甦ってきた記憶だった。守備でヘソ伝のポケットキャッチと並ぶ、すべてを正面で処理しようとする風変わりなフォームである。

一九五〇年に二リーグ制になって、それまでノンプロで活躍していた選手がどーッとプロ野球に入ってきた。岩本もそうだが六大学などで活躍したのは戦前だから、もうすでにかなりの歳だった。岩本、大岡、戸倉、西本、南村などという選手たちは、それから四〇歳すぎまでプレーをしたのではなかったかしらん。当時のノンプロ野球というのは、いまでは考えられない実力と層の厚さを持っていたから、こうした選手たちは、プロに入ってもそのままベテランの大選手として、チームの中心的な存在になったのだった。

そもそも二リーグになってチームの数が倍ぐらいに膨れ上がったのは、ノンプロが選手の供給源となって支えていたからで、その上層部分はプロと変わらないレベルにあったのだ。新聞も、プロ野球の記事がくわしいのは読売、高校野球は朝日、ノンプロは毎日と、それぞれ得意の版図を守っていた感がある。もちろん六大学野球も戦前以来の隆盛を続けていたから、人気がプロ野球と高校野球に二極分解してしまった今日より、その意味では幅が広かったともいえる。

折からニュースでは今年限りで閉鎖になる広島球場の話と、「そのとき歴史が動いた」なるテレビ版床屋政談みたいな番組で去年死んだ稲尾の話と、つい昔を振り返りたくなる映像を見る機会に恵まれた。ほんの一瞬だが、当時の広島の選手たちが横一列に並んでトス・バッティングをしている映像と、稲尾の頭上高く振りかぶる投球フォームが映ったが、どちらも、最近あまり見かけなくなった光景のような気がする。(高くふりかぶるのは松坂がやっていたが。)阪神の藤村など、トス・バッティングのとき、受けた球をグローブでひょいと隣りの選手に放ってみせたり、ファン・サービスにつとめて、それを見るのがファンの楽しみになっていた。イチローが背面キャッチをやって見せた時、藤村やスタルヒンのいかにもプロ選手らしい、ファンを喜ばせる姿が思い出されたものだ。スタルヒンといえば、ダルビッシュにスタルヒンの再来を期待しているのだが、何か(新庄みたいなお面をかぶったりするのもいいが)洒落っ気のあるファンサービスを考えてはどうだろう。

随談第266回 相撲ばなし

いかなる天魔に魅入られしか、不祥事、それも前代未聞の類いのことばかりこう立て続けに起ってはたまったものではない。いかに一本気の口下手といっても、テレビのニュースに映る限りのあの様子では、誤解や反感を買うのもまあ仕方がなかったろう。現役時代の土俵ぶりを思うと、北の湖のあの憎体(にくてい)ぶりも、あれはあれでなかなか「かわいい」ものだったのだが、いかになんでも、今回一連の事態への対応は無策に過ぎた。無策でないのなら、当節流行語で言う説明責任とやらに対して、配慮がなさ過ぎた。

というわけで、退陣した北の湖に代わって三重ノ海が総理になった。渋みのある、玄人好みのいい相撲取りだった。安芸ノ海に似ているとも言われた。双葉山を70連勝目に破ったという安芸ノ海である。私は安芸ノ海はリアルタイムで見た記憶はないが、往年のフィルムやグラビアで知る限り、風貌・取り口、なるほど一脈相通じる以上のものがある。三重ノ海と同時代に黒姫山という三役常連の好力士がいたが、この人は文楽の人形のお端下(はした)の女中みたいなユーモラスで味のある風貌で、私は三重ノ海と黒姫山の対戦があると、二人の仕切りを見るのが大好きだった。あれほどの風格と人間味(ユーモア)の渾然とした古典美は、文楽や歌舞伎の舞台でもそう滅多に見られるものではない、良きものだった。(両国駅の改札口ホールに大関時代の三重ノ海の優勝額が掛っている。おついでの際ご覧下さい。)

それにしても、大麻汚染などという代物が大相撲に入ってくるとはお釈迦様でも気がつかなかった、と思うのは実はまちがいで、当然、ありうべきことと思わなければいけないのが現代という時代であり、現実というものである。もう決定してしまった以上、いまさら仕方がないが、「解雇」(この言葉、会社と従業員の関係みたいで、どうも大相撲にはふさわしくない。事実上「追放」だろう。そう言った方が、よほどすっきりする)という判決が適切だったかどうか? 城攻めのとき、落城する敵に逃げ道を一筋、残しておいてやるように、処罰は厳しく、しかし一筋、救いの手を残しておいてやるべきではなかったか? 解雇に対する訴訟というのでは、まるで労働争議ではないか?

新理事長のなすべき一番の重要事は、理事会に外部から参画させる問題にどれだけ真剣に応えるかだろうが、北の湖前理事長が時津風問題のときしきりに言っていた、部屋のことは各部屋の親方の責任というのが本当にそうだとすれば、相撲協会というのは幕藩体制か、あるいは連邦共和国と同じ体制だということになる。初日の挨拶で、一連の不祥事はすべて協会の責任と言明したことでようやく軌道修正された形だが、肝心なのは外部からの理事をどういう形で処遇するか。それ次第で、改革の実態が問われることになる。

折から大河ドラマの『篤姫』はいま、幕府が朝廷の命に屈して、幕政人事に外様大名を参画させるという話である。ひょっとして、徳川幕府ならぬ相撲協会が大政奉還という事態に追い込まれまいものでもない・・・などというのは悪い冗談か?

つい先日桐島洋子氏が面白いことを言っていた。外人力士が多すぎるという声がかまびすしいが、これまで外人力士に頼れるだけ頼ってきながら、いまさらごたすた言うのは虫が良すぎる。モンゴル力士たちの日本語のうまさを考えても、いかに彼等が必死に打ち込んでいるかがわかるではないか。メジャーリーグでプレイしている日本人選手で、あれほど英語がうまくなった人が何人いるだろうか、というのだ。まったく同感である。

随談第265回 観劇偶談(その125) 今月の一押し

今月随一の舞台は歌舞伎座秀山祭、吉右衛門の『逆櫓』である。これは圧倒的であり、今後余程の傑作が出ない限り今年度ベストワンであろう。吉右衛門の松右衛門・樋口ともに現代の丸本時代物としてほぼ理想的、ついで歌六の権四郎が樋口とがっぷり四つに渡り合う気概が役と重なって素晴らしい。近年でのよき権四郎として、又五郎の骨法正しき傑作は別格としても、先代権十郎の気骨(奇骨)などと並べても遜色はないであろう。歌六はこの六月には『鮓屋』の弥左衛門を見事にやってのけたばかりである。老け役の中でも屈指の大役ふたつながらでこれだけの成績を示したのだから、何か相当の賞を貰ってしかるべきだ。それから芝雀のお筆がよい。初役だそうだが、芯が通っていて格があって当代のお筆として最上級に数えられる。東蔵のおよしも、はじめは少し老けているようにも思ったが、芝居が進むうちに実力がわかってくる。お筆との対照といい、まさに世話の女房である。加えて富十郎の重忠。「大手の大将範頼公、搦め手の大将義経公」というセリフの言い方を工夫してみます、と自身でも筋書に言っているがまさにその通り、情理備わって凛然と、最後を締めくくる。こういう役をさせたら、この人、大名優である。

それから、いつもは遠見の子役を使う船頭三人を歌昇・錦之助・染五郎でやるのもいい。熊谷と敦盛の「組討」に子供を使うのは、ものの哀れを引き立たせる効果があるが、『逆櫓』の子役にはそれほどの必然がない。またこの三人の気が入っていて、局面転換に機を得ている。(こういう役になると、染五郎より錦之助の方がさすがに年季が入った役者ぶりなのが面白い。歌舞伎役者としてのおつゆがたっぷり沁み込んでいる度合いの問題である。)

次いでは新橋演舞場の『布引滝』海老蔵の二役、とりわけ実盛は海老蔵の丸本物随一の傑作といっていい。文字通りの一押し、つまり、皆さん是非見ておおきなさいよ、という意味でなら、これこそ正に一押しである。問題のセリフの不安定もまず落ち着くべきところに収まっているし、何よりも実盛という役に共感があることが、たとえば太郎吉を見る目に溢れている。海老蔵っていい奴だな、と見ているこちらも嬉しくなるようだ。(七月の、早々と切符が売り切れたと聞く『千本桜』とは雲泥の違いだが、何たることか、初日に見たら空席があるではないか! あれを見るなら何故こっちを見ないのだ、と気を揉みたくなる。)義賢と二役を兼ね、通して出したのもよかった。『布引滝』という狂言に新しい見解を引き出す契機となり得るかもしれない。だがそれも、海老蔵という材質があってのことだ。(手前味噌で恐縮だが、筋書に書いた拙文をお読み願えると有難い。)

時蔵・亀治郎と三人顔合わせの『加賀見山』の岩藤は、芸評としてはもうひとつ褒められない。海老蔵独特の放胆さの裏目が出て、やや芸が粗い。しかし悪女ぶりのチャームを見る上でと限定付きでなら、これも一押しの対象になり得る。「草履打ち」や「仕返し」で、尾上やお初と引き合うように立ち身で決まるところの、姿のよさ風情のよさ。おのずからなるユーモア。このユーモアこそ、立役が加役でつとめる悪女の真髄である。(おつゆがたっぷりあって、ダルビッシュそっくり! いや、冗談ではなく、この発見は海老蔵論なり加役の女形論の材料になり得るに違いない。ついでながら、ダルビッシュの「色気」はプロ野球選手として新庄以来、しかもはるかに上質である。)

随談第264回 観劇偶談(その124) 『高野聖』の脚本につい

かなり旧聞になってしまったが、やはり書いておくべきだろう。七月に歌舞伎座でやった『高野聖』の脚本のことである。

筋書には、泉鏡花作、坂東玉三郎・石川耕士補綴とあるばかりで、だれの脚本なのかが明記していない。補綴とは、既にある脚本を上演台本として整備することを言うのであり、鏡花の作はもちろん小説であって、自身で脚本化はしていない。腑に落ちないままに気になっていたが、先月末、亀治郎の会が国立劇場であった折に、石川氏にお目にかかれたので、その点について質してみることが出来た。

昭和29年、当時扇雀ブームなどと呼ばれ大ブレークをしたばかりのいまの坂田藤十郎が(ついでだが、いまの若い方々には想像もつかないだろうが、私の見るところあのときの扇雀ブームは、玉三郎の出現したときと、つい最近の海老蔵ブームと並ぶ戦後歌舞伎の三大ブレークだろうと思っている)、女肌(?)をあらわにするというので大評判、物議をかもしたときのは、脚本吉井勇、演出久保田万太郎というビッグネームが控えていた。今度のは、やはり、玉三郎と石川氏の共同脚本なのだった。なぜ補綴という表現にしたのか、いろいろ事情もあるようだが、そもそも筋書とは一般観客のためのサービスであり、やがては最も基本的な資料(史料)ともなるものだ。責任の所在をあきらかにする意味からも、明記するべきだろう。がまあ、ともあれこれで、確認することができた。

ところで、この『高野聖』の脚本については、べつな観点から、上演中から議論があった。ラストの約十分、歌六の扮する親仁の長ゼリフで、謎の女の正体や、怪しげな鳥獣たちの正体について説明するのが長すぎるというのだった。わからない意見ではない。私は、その折にこの欄にも書いたように、十分もの長ゼリフを説得力をもって語り切った歌六のセリフを感に堪えて聞き、その力量に感服したのだったが、そこにすべてが懸かっている難しい脚本であるのはたしかだ。あれが歌六でなく、もっと凡庸な役者だったら、無惨な失敗に終っていた恐れは多分にある。もっと単純に、十分もの長ゼリフをじっと聞いているのは苦痛だという人もあるだろう。

だから、すべてを最後の説明のセリフに賭けてしまうのは疑問だという意見は、あってもいい。しかし、それを劇評が批判しないのはおかしいという意見もあったようだが、そこまでいくと、はて?と首をかしげたくなる。小説と芝居、文学と演劇の表現はもちろん違う。言葉、言葉、言葉の世界と、視覚による効果や、演者の身体性などなど、さまざまな表現の方法手段がある世界との違いはもちろんある。しかし言葉、とりわけセリフをじっくり聞くことが、演劇の大きな魅力であるのも、また事実だろう。古今東西、長々しいセリフが聞きどころ、見どころになっている名作は数知れない。

こないだの『高野聖』の親仁の長ゼリフが、どれほどの名セリフたりえていたかはともかく、要は、『高野聖』という世界を、玉三郎がいかにして表現しようとしたかだろう。たとえばあれが猿之助であったなら、全然別な脚本が出来上がったにちがいない。女によって鳥や獣にされた人間を視覚化して見せたかもしれない。しかし、それは猿之助には似合っても、玉三郎には似合わないに違いない。

随談第263回 観劇偶談(その123) あれこれ談話

テレビの「平成教育委員会」というクイズ番組で、亀治郎が最優秀生徒(?)というのに選ばれたのを見ていた。問題はみな、全国の私立中学校の入試問題らしく、並みの大人では到底歯が立たない。見ていると、ほとんどの問題に亀治郎が真っ先に正解を答えてゆく。慶応高校時代の秀才ぶりは音に聞こえているが、なるほどという感じだ。第二位の宮崎県知事を引き離して断トツ優等生という結果だった。(途中で司会のビートたけしが、一瞬、しゃらくせえという表情をしたのが面白かった。)

それでおのずから連想したのは、ついその一週間前に見た第六回「亀治郎の会」である。劇評は『演劇界』に書いたからここではしないが、タイトルだけ披露すると「知略の達成」というのである。『俊寛』も『娘道成寺』も、とにかく全編「意」と「知」と「技」で覆い尽されている。やってやろうという「意力」と、達成するためにめぐらし、組み上げる「知力」と、それをやってのける「技術力」である。

『道成寺』では、歌右衛門に似ていると思った箇所が何箇所かあった。踊りぶりでもあるが、もっと端的に顔が似ている。ホオ、と思った。これは私だけの錯覚ではなく、信頼の置ける、それも複数の人の意見でも、やはり、似ていると感じたという。いろいろ研究したんでしょう、とその人は言うが、それもあろうけれど、私はむしろ、「おのずから似た」のだと思いながら見ていたのだった。その方が、私の価値観では、本物ということになる。

いまの歌舞伎界で、『俊寛』と『娘道成寺』をふたつながら自分の演目にしたのは富十郎と勘三郎の二人だろう。しかし亀治郎の『道成寺』は、これら先輩の『道成寺』とはまったく違う。両先輩のは、六代目菊五郎以来の、恋する娘の百態を組曲として踊る加役の『道成寺』だが、亀治郎のは、恋の執着を踊りぬく真女形の『道成寺』である。歌右衛門を彷彿とさせるのもむべなるかなだが、『俊寛』や『道成寺』でくりひろげて見せた知略の数々以上に、畏るべしと思わせるのは、むしろこういうところなのだ。真女方亀治郎!

ところでこの一見無関係の二つを見ての発見は、「平成教育委員会」で遊んでいるときも、「亀治郎の会」で獅子奮迅に取り組んでいるときも、亀治郎は少しも遊んでいないように見えるということである。会のパンフの「おいしい亀治郎の説明書」なる遊びのページのケッタイナ写真集にしても同じである。役者に、「くたびれる」役者と「くたびれない」役者がいるとしたら、亀治郎は「くたびれる」役者である。そういえば猿之助も「くたびれる」役者である。しかし実父の段四郎はあきらかに「くたびれない」役者だから、必ずしも血統のせいではない。そうしてもちろん、歌右衛門も「くたびれる」役者だった。

もちろんこれは、どちらがいいの悪いのという問題ではない。それぞれに、それぞれでなければないよさも、欠点もある。政治家にも、ハッタリの利く政治家と利かない政治家がいるようなものだ。福田首相など、どうせ投げ出すのなら、そんなに仰るなら向こう半年間、民主党さんに政権をお預けしましょうや、お手並み拝見した上で総選挙をして、有権者にどっちがよかったか決めてもらいましょう、とでも啖呵を切ればよかったのだ。郵政民営化法案が否決されて、ナヌ?そんなら解散総選挙だ、ともろ肌脱いで大道に大の字になってサア殺せ、みたいなことをやって大勝利、英雄もどきになった首相もいる。ハッタリの上手いか下手かの違いに過ぎないように、私には思えるのだが。