ON嫌いを気取るわけではない。しかしあまりにも多くのことが、このふたりについては語られすぎるので、そういう中で何かを言おうという気持になりにくい。しかし、感動をどうもありがとう式の言が軒並み続く王監督引退のニュースの中で、野球界に大きな記録を作った選手は大勢いるが、尊敬に値する人物はいないとイチローが言っていたのは面白かった。しかしこの場合も、面白さはイチローの方に比重がかかっている。いかにもイチローらしい、離見の見で野球を見、人を見ているおもしろさだ。
その大ニュースの陰で、岩本義行の訃を伝える小さな記事が載った。じつをいうと忘れかけていた名前である。96歳という年齢を知って、まだ生きてたんだ、と驚く思いが一挙に記憶を甦らせる。何故か実際のプレイよりも、神主打法と呼ばれた、バットを身体の中央に笏を持つように構える独特のフォームから、試合前のフリーバッティングで外野スタンドにぼんぼん放り込んでいた姿が、最も鮮明に甦ってきた記憶だった。守備でヘソ伝のポケットキャッチと並ぶ、すべてを正面で処理しようとする風変わりなフォームである。
一九五〇年に二リーグ制になって、それまでノンプロで活躍していた選手がどーッとプロ野球に入ってきた。岩本もそうだが六大学などで活躍したのは戦前だから、もうすでにかなりの歳だった。岩本、大岡、戸倉、西本、南村などという選手たちは、それから四〇歳すぎまでプレーをしたのではなかったかしらん。当時のノンプロ野球というのは、いまでは考えられない実力と層の厚さを持っていたから、こうした選手たちは、プロに入ってもそのままベテランの大選手として、チームの中心的な存在になったのだった。
そもそも二リーグになってチームの数が倍ぐらいに膨れ上がったのは、ノンプロが選手の供給源となって支えていたからで、その上層部分はプロと変わらないレベルにあったのだ。新聞も、プロ野球の記事がくわしいのは読売、高校野球は朝日、ノンプロは毎日と、それぞれ得意の版図を守っていた感がある。もちろん六大学野球も戦前以来の隆盛を続けていたから、人気がプロ野球と高校野球に二極分解してしまった今日より、その意味では幅が広かったともいえる。
折からニュースでは今年限りで閉鎖になる広島球場の話と、「そのとき歴史が動いた」なるテレビ版床屋政談みたいな番組で去年死んだ稲尾の話と、つい昔を振り返りたくなる映像を見る機会に恵まれた。ほんの一瞬だが、当時の広島の選手たちが横一列に並んでトス・バッティングをしている映像と、稲尾の頭上高く振りかぶる投球フォームが映ったが、どちらも、最近あまり見かけなくなった光景のような気がする。(高くふりかぶるのは松坂がやっていたが。)阪神の藤村など、トス・バッティングのとき、受けた球をグローブでひょいと隣りの選手に放ってみせたり、ファン・サービスにつとめて、それを見るのがファンの楽しみになっていた。イチローが背面キャッチをやって見せた時、藤村やスタルヒンのいかにもプロ選手らしい、ファンを喜ばせる姿が思い出されたものだ。スタルヒンといえば、ダルビッシュにスタルヒンの再来を期待しているのだが、何か(新庄みたいなお面をかぶったりするのもいいが)洒落っ気のあるファンサービスを考えてはどうだろう。