随談第221回 閑な話・いま北の湖と赤福を弁護すると

弁護といっても彼らをストレートに支持しようというわけではない。しかし、テレビで北の湖理事長の仏頂面と赤福一件の事の起こりの所以を見ていると、少々彼らの側に立って弁じてみたい気になってきた。妙なところで出てくるへそ曲がり趣味もないではないが、よってたかって痛打を浴びせつづけている声々のさまざまを聞いていると、そうとばかりも限りますまい?と言いたくなってくる。

赤福の方からいうと、一番はじめにあったのが「もったいない」という一念だという、その一点がすべてである。「もったいない」。これはいま、環境問題に関わるキーワードではないか。しかもいうまでもなく、この言葉の発源地は日本である。そこから「再利用」という発想がでてくる。赤福のした一連の行為は視点を変えてみれば、まさに再利用である。かつては、ああした「工夫」は社会のあらゆるところで、ごく自然なこととして行なわれていたのではないだろうか? 理由はひとつ。まだ生かすことが出来るものを捨てるのは「もったいない」からである。もったいないことをするのは申し訳ないからである。誰に対して? 「お天道さま」にである。

惜しむべし。赤福はそうした視点から、環境問題という極めて現代的なテーマをターゲットに据えて、生産・販売工程をシステム化し、営業戦略として積極的にキャンペーンをすればよかったのだ。そうすれば、時代の求めるところを他に先んじて行なう先端的な優良企業として賞賛を博していたかもしれないのだ。だが、テレビに映る社長なる人の目先を取り繕うことしか見ていないお寒い弁明を見ていると、まあ、かく成り果つるも理の当然かと思わないわけには行かないのは、残念ながら事実だ。しかし、賞味期限が一日過ぎたからといって当然のように捨ててしまう人が、赤福を尤もらしい顔で批判しているのも、実は赤福の社長と五十歩百歩なのではあるまいか。少なくとも確かなのは、三十年前から「不正行為」をやっていたという、その三十年間に、赤福を食べてお腹をこわした人や、味が落ちたと言い出した人はいなかったということである。この、何たる喜劇!

北の湖の方は、そういう話とはちょっと違う。前に朝青龍問題のときにも書いたように、今度の事件についても、相撲協会の考えや立場をもっと社会に向けて言明すべきであるのは間違いない。また、今度の一件が朝青龍問題などとは次元の違う深刻な問題であるのも間違いない。しかし、テレビに写る北の湖の仏頂面を見ていると、現役時代の土俵態度とダブラせて、少し同情したくもなってくる。巨象の荒れ狂うような激しい相撲を取って圧倒し、相手が土俵下に転落しても敢えて手を差し伸べない。それを批判的に言う声もあったが、私はそうした北の湖の非妥協的な厳しい土俵態度を、むしろ好もしく思っていた。

去年石川さゆりが明治座で『長崎ぶらぶら節』をやったとき、お座敷で土俵入りを見せる場面のために、北の湖に手ずから教わったが、セリ上がりを目の前でやってみせてくれたときは、まるで地球を持ち上げるような迫力と男の色気を覚えてボーっとなったと語っていたが、まさにさもありなんと思われる。あの困惑し切った仏頂面の中に直情な男のカワイサを感じ取れるかどうかで、北の湖への好悪も評価も裏と表に別れるだろう。

随談第222回 観劇偶談(その107) 今月の一押し 芝雀の二役と吉弥のお国

今月は国立劇場の『俊寛』で千鳥、『鶯塚』で腰元幾代を演じた芝雀を、次点として『牡丹燈篭』でお国を演じた上村吉弥を挙げる。もちろん、舞台成果として勘三郎の『俊寛』、三津五郎の『奴道成寺』の二つは今月の白眉だが、それはまた別の機会に書こう。

芝雀はとりわけ、『鶯塚』の幾代という積極的で明るい役で成功を収めたことを彼のための喜びたい。自分の仕えるおぼこでイノセントな姫君のために、とりわけその恋のために、取次ぎをしたり、積極的に煽ってみたり、後押しをしてみたりという腰元の役は、『新薄雪物語』の花見の場の籬(まがき)などと同系の役で、なんとなく西洋のオペレッタに出てくるお節介焼きの気のいい女中などと共通するような楽しさがある。『廿四孝』の濡衣だって、もっと複雑な事情を抱え込んだ人物とはいえ、お姫様の恋の取持ちをする訳知りの腰元という基本的な役柄としては、幾代や籬と歌舞伎国の中の同町内、ではないまでも同市内の住民だろう。

芝雀はこれまで、力はありながら堅く身を鎧っているような感じがあって、何かくすんだイメージになってしまう、損なところがあった。父親の雀右衛門も、いまでこそ当代の立女形として誰しもが認める大きな存在だが、ひところは芸がこずんで実力はありながら評価がいまひとつ高くならないという時期があった。もっと前の映画時代のことまでいまさら言う必要はないが、波乱万丈、曲折の多い役者人生はそのまま、評価の高下と比例している。劇評家をも含めた世評というものの当てにならない一面を反映するかのようでもある。

芝雀はその雀右衛門の、忌憚なくいえば陰の側面ばかりを受け継いでいるようにも、これまで見えていた。実力と評価が正当に比例していなかった。試みにここ一年に芝雀の演じた役のあれこれを思い起こしてみるといい。先月の秀山祭では藤の方と清正妻葉末である。夏には巡業で吉右衛門の大星にお輕である。その前は『春雨傘』の葛城と『御浜御殿』のお喜世、その前は・・・切りがないからこのくらいにするが、長打はなくとも打率の高さは相当なものであることがわかるだろう。

その、堅く鎧っていた己が身を、少しだが解き放つかのような様子が見える。それが今月の、とりわけ『鶯塚』の幾代だった。染五郎の熱意と努力があったにしても、芝雀のあの活躍がなかったなら、どんなに寂しかったことだろう。

いつだったか、雀右衛門と二人で『二人道成寺』を踊った時。ふたり並ぶとやはり現代の人である芝雀の方が大分背が高いのだが、じつは私にとってはそれは、ちょっとした驚きであり発見でもあった。芝雀は雀右衛門より小柄だとばかり思っていたからだ。つまりそれが、芸というものの力であり魔力であり、同時にそれがもたらす錯覚である。

上村吉弥のお国もよかった。『牡丹灯篭』という、元々新劇用に作られたという曰くのある新脚本のなかで、お国という女の多面的な在りようがさまざまに乱反射して、そのどれにも、一種独特の魅力を発散していた。民話劇『赤い陣羽織』でも代官の奥方で存在感を示したし、傑作『天守物語』の老女といい、新作・新歌舞伎で活躍する才能なのか?

随談第220回 日記抄・竹本駒之助と古田敦也

もう二週間以上もブログを更改していない。落ち着いてパソコンのキーを叩く時間もろくにない有様だったからだが、そうした中で、しばし心をなぐさめることが二つあった。ひとつは年一回、毎年今ごろに開く竹本駒之助の会であり、もうひとつは神宮球場でヤクルト・スワローズの古田の引退試合を見る機会にめぐまれたことである。女流義太夫とプロ野球を抱き合わせにするのも妙なようだが、妙な取り合わせを愉しむのもまた「妙」なるかなともいえる。(取り合わせというなら、いまこれを書きながらかけているCDはハイドンの77番のシンフォニイであって、その前には美空ひばりの昭和30年ごろの歌を集めたテープをかけていた。)

駒之助の方は、今回の演目は『艶姿女舞衣』つまり「酒屋」だったが、的確な人物の語り分けがこの人の義太夫の真骨頂であり、フレーズの切り方、フレーズからフレーズへの言葉の渡し方、つなぎ方の明晰さが生み出す快感が、私が駒之助を好む理由で、こんどもまた、期待は裏切られなかった。八月に桂歌丸の『乳房榎』を聴いたときにも書いたが、煎じつめればこれは、日本人が日本語をもっとも美しく魅惑的に語るのを聴く愉しみであり、ごく少数の、限られた人たちの「芸」の中にその快楽を愉しむことができる。

(わたしにとって駒之助を聴くもうひとつの楽しみは、鶴澤津賀寿の三味線を聴くことだが、彼女のことは六月にこの随談の196回目に書いた。こちらは、ほとんど聞くたびに、といっていいほど成長していくのを確認する楽しみでもある。)

さて、駒之助と古田などというタイトルをつけたが、別にふたりを取り合わせてむりやりこじつけ論を物そうというのではない。しいてこじつければ、その芸の歯切れのよさという一点に私の好む何かが共通しているかも知れない。(私は野球だって芸だと思っている。選手の誰彼をいいと思うのは、その「芸風」をいいと思うからなのだ。)

私は格別な古田贔屓というわけではないが、引退試合を見に行こうと思い立つ程度の親しみは感じている。おととしの春にこのブログを始めて間もないころにも、たしか新庄と抱き合わせにして古田のことを書いたことがあるが、当時は例の昼はスーツ姿で球界側と交渉に当り、夜はユニフォーム姿でプレイをするというのが話題になったころだった。私は必ずしも、あのとき古田が主張したことにそのまま賛同しようとは思わなかったが、あのときの行動の「切れ放れ」のよさに「軽み」のあるところが気に入ったのだった。しかし今度の引退は、監督専任を求める球団の提示した条件を呑まなかったが故なのだから、そこらのこだわりは当人にとってはやむをえないところなのだろう。(客観的に見れば、選手兼任はあきらめるべきだったとしても。)

私は真夏にナイターを見るのが好きなので、今年もヤクルト-横浜戦を見に行ったが、たまたまその試合にも古田が代打で登場した。こんどの引退試合でも、終わりごろになって、石井や高津が投げたり、広島側でも佐々岡が投げたり前田が代打に出たり、一時代前ならオールスターみたいな「顔見世」があって、一期の思い出に目の保養をさせてもらったが、ニュースになった引退セレモニイなどより、じつはその両軍の「心ゆかせ」の方が私にとってはじんと来るものがあった。