随談第219回 50年代列伝(12)『ジャンケン娘』と『ゴジラ』どちらも東宝作品

しばらくぶりに「50年代列伝」を再開。こういうものは続けないと意味がないデスネ。VTRで昭和30年作の『ジャンケン娘』と29年作の『ゴジラ』を相次いで見て、その中に写っている「時代の光景」に思わず唸った。一見無縁のような同時代性!

『ジャンケン娘』は当時人気絶頂の美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみの三人娘をそろえて大ヒットした、その頃知らぬ者のないミーハー映画である。このとき彼女たち十八歳。これが大当りしたので、以後、シリーズになる。いま見ると、三人がひとつずつ大人になってゆく過程を見る、いい年代記になっている。相手役に、いまは消えてしまった山田真二とか、若き日の宝田明だのが出てくる。同時期、東映では錦之助・千代之介の『紅孔雀』が大ヒットし、新聞のインテリぶった批評子が、三人娘のヒットは判るが錦チャン千代チャンの方は判らんと書いていたのを思い出す。ともに、1955年という年のメルクマールである。ある意味で、黒澤や小津などの名画以上に。

第一作の『ジャンケン娘』では、ひばりとチエミが女子高校生で、修学旅行先の京都でふとしたことから舞妓のいづみと仲良しになる、という設定で、歌あり芝居あり、他愛もないなどというのは野暮、なかなか人をそらさぬ作りになっている。杉江敏男という、この手の作にかけては手だれの監督の職人芸も見事なものだ。それにしても、ひばりたちの演じる高校生の清純にして行儀のいいこと。ある種の紋切り型がそれ故にこそ社会を反映しているところに、この手の映画の価値があるのだ。三作目の『大当り三色娘』で、宝田明の好青年が多摩川べりあたりのスラムから世田谷あたりの高級住宅地にリヤカーを引いて越してくる光景も、「もはや戦後ではなく」なった時代を鮮やかに映している。

対照的に『ゴジラ』は、娯楽映画にしてそのじつ野心作という構図がいま見ると明瞭に見える。同じころ、旧軍部内の研究が原因で透明人間になった復員兵というテーマの『透明人間』という映画もあったっけ。(透明人間役の河津清三郎は主役にもかかわらず、めったにスクリーンに顔が出ない。透明人間だからアタリマエである。)ゴジラがビキニ環礁の水爆実験で太平の永き眠りをさまされて怒ったという設定については夙に知られているが、第五福竜丸事件から半年後の製作だというキワモノ性が、この映画の生命だろう。

ゴジラ襲来に備えて避難命令が出る。それを伝える口調が、ものの見事に、戦時中の警戒警報で敵機襲来を知らせる「軍管区情報」の口調と同じなのは、意図したことというより、戦後十年というこの時点では、おのずとああいう口調になってしまったのかも知れない。軍隊帰りの教師が生徒に号令をかけるとついあの口調になってしまう、なんて図は当時よくあったものだ。東京湾岸襲来を実況放送するアナウンサーが、自分が放送中の建物をゴジラに踏みつぶされる寸前、それでは皆さんさようなら、と悲痛な放送をするところなども、近い過去の体験を思わせる。

志村喬の博士、河内桃子のその令嬢、平田昭彦の研究員等々のおなじみの配役は、東映時代劇に勝るとも劣らぬ定番であり、なつかしさに随喜の涙が出そうだが、いまの目で見ると、令嬢の扱い方など、ゴジラに追われて逃げる途中転んで宝田明の恋人に助け起こされたり、いかにも古典的だ。そんなところも、東映時代劇を連想させる所以かもしれない。これって、ジェンダー論の対象かな?

随談第218回 観劇偶談(その106) 今月の歌舞伎座 附・今月の一押し

秀山祭の今月は吉右衛門の熊谷に止めを刺すが、熊谷については、『演劇界』11月号に劇評を書いたから詳しくはそちらを見てもらうことにして、一言評にすると、この熊谷において吉右衛門は正真正銘の二代目吉右衛門の熊谷を作り上げた、ということである。もちろん、いままでのだってよかったが、しかしそれは一所懸命、祖父や父に真似び、学んでの、秀才努力派吉右衛門の熊谷だった。しかし今度のは、そういうものとは違う。吉右衛門は、自分自身の熊谷を作ったのだ。『二条城の清正』にしても、清正に先代を、先代に自身を重ね、更には同化しようとする一念が、人の心を打つ。

玉三郎は、もちろん『阿古屋』の方が表芸だが、そうして非常に結構なものであるが、私は、福助と踊った『二人汐汲』の方を面白く見た。長唄の『汐汲』はそのままに、能の『松風』の主題を取り入れ、また『須磨の写し絵』にも通じている。松風村雨の姉妹が踊るさまはときに双面のごとく、その企画構成のアイデアと振付のエスプリ、とりわけ松風が行平の金冠と狩衣をつけて行平になり、村雨と色模様を見せるところは、玉・福ともにうまく気に入った。『阿古屋』は、玉三郎の心象を映し出して、ますます哀婉の度を加え、更に深まりを見せているが、やや私小説風に傾きつつあるともいえる。私としては、まさにグランド歌舞伎といった趣きだった国立劇場での初演の壮麗さが忘れがたい。重忠をつき合ったのは吉右衛門としては大奮闘。段四郎の岩永が竹田の人形芝居というエスプリを利かせているのが秀逸。それにしてもこれは不思議な芝居である。

團十郎が『身替座禅』で健在ぶりと大きな役者ぶりを見せる。そのめでたさがよし。家橘と右之助の千枝小枝がなかなか可愛らしい。思えば彼らは、もともとこういう役が本来の役者だったのだ。仁というものはおそろしい。現に、プログラム巻末の上演記録を案ずるに、昭和4~50年代、ふたりとも、両役を再三つとめている。

さて今月の一押しだが、いつも言うようにちょいとひとひねり趣向を利かせたところから選ぶことにしよう。候補は三つある。順不同でひとつが、玉三郎・福助の『二人汐汲』。理由は既に述べた。

第二は『阿古屋』における染五郎の榛沢六郎の爽やかにして程がよく、且つ、玉三郎・吉右衛門・段四郎と並んだ中に、すっと入って納まりのいいこと。『身替座禅』にも太郎冠者をつとめ、ご褒美というわけでもあるまいが、開幕劇として『竜馬がゆく』の主役をつとめる。「立志編」と題したこの脚本がなかなか出来がいいこともあって、染五郎竜馬、歌昇の桂小五郎、歌六の勝海舟とそれぞれいい。染五郎としては三本合せて、というところ。

第三は、いま言った『身替座禅』の家橘の千枝と右之助の小枝の可愛らしさと、その、時計の針を逆回しするようななつかしさ。

さてどれにしよう。難は、第一は真っ当らしすぎる。第二は、染五郎はすでに何度か受賞歴(?)がある。すると千枝小枝か?

え? どれにするのか、って。むにゃむにゃ言っているのへ耳をすませば、第一と思う人には一と聞こえ、第二と思うなら二、第三と思う者には三と聞こえたとか・・・

随談第217回 観劇偶談(その105) 劇団若獅子『澤田正二郎物語』

新国劇の解散後、有志がつどって結成、年二回の公演を苦闘しながら続けている劇団若獅子が、結成二十周年記念として春のPART1『国定忠治』につづいて秋のPART2『澤田正二郎物語』をやっている。といっても、東京では16日から21日まで6日間、9公演、あとは4地方で合わせて5日間、6公演だけだから、見ることが出来た人は幸いなるかな、と言いたくなるほど限られた条件の中での活動である。

なかなかの好企画であり、田中林輔の作・演出もあまり奇を衒わず、しかし凡庸でもなく、3時間足らずで澤田正二郎の半生をよく伝えている。森光子の『放浪記』などと同じ人物伝の形式で、同時に芸道物のおもしろさも併せもっている。北条秀司の名作『女優』と似たところもある。発端の芸術座脱退の場面は、事実、事件として重なり合う。「あれ」は松井須磨子側から、「これ」は澤田正二郎側から、同一事件を扱っている。(それにつけても、当代水谷八重子は、ぜひとももう一度、『女優』を演じるべきだ。このままでは、若い世代の観客にとって、あの名作は永遠に幻の名作になってしまう。)

特別参加の朝丘雪路が久松喜世子になって、自身の受賞のあいさつのスピーチとして澤田正二郎の思い出を語るのが、全体の枠になっている。これもゲスト出演の大出俊が島村抱月(と新国劇を内から支えた俵藤丈夫の二役)でいい味をみせる。(この人はなにをやっても同じようだが、しかしこういう時代の知識人の味を出せるのは貴重だ。)第一幕の最後と第二幕の冒頭で『大菩薩峠』の狂気に陥った机龍之介が簾を切る場面と『白野弁十郎』の大詰を実際にやってみせるのも、澤田正二郎を偲ばせるのと観客サービスとを兼ね合わせた趣向として悪くない。どちらももちろん、澤正役の笠原晃がやるのだが、もっとも『白野弁十郎』の方は、澤正より島田正吾の方に似ているのはご愛嬌というものだろう。)

その笠原章あっての若獅子なわけだが、いままでみた「新国劇古典」の時代物の時よりも、今度の澤正役の方がはるかにいい。知性と男気を併せ持った、いかにもその人の面影を伝えているように、実際の澤正を知らないわれわれに思わせる。大正六年の芸術座脱退から昭和四年のその死までという、その時代の人物らしい雰囲気を持っているのがいい。正直、今回でこの人を大いに見直した。

もうひとり、新国劇全盛時代の名脇役だった清水彰が、九十二歳という高齢を感じさせない見事さで、白井松次郎役で登場するのも、それだけで感動的だ。こういう実在の有名人物がつぎつぎと登場するのもこの種の劇のおもしろさだが、関東大震災直後に羅災市民慰安のための野外劇『勧進帳』上演をめぐる場面で、九代目團十郎未亡人と市川三升夫人が登場するとは思わなかった。たぶんこの人たちの姿を、たとえ劇中の人物としてでも目の当たりにしたことは、なんとなく得をしたような気分になる。(それにしても澤正は、本当に『勧進帳』をこのときやったのだから、考えてみれば驚く。どんな感じだったのだろう?)

先月明治座でやった与謝野鉄幹・晶子夫婦を扱った芝居とも一面で共通するが、こういう真っ当な、新奇を衒わない芝居というものが、いま、もっと見直されていい。

随談第216回 観劇偶談(その104) 『ドラクル』を見る

話題の『ドラクル』を見た。海老蔵が出るから、といった程度の関心で見に行ったのだが、どうして、なかなかおもしろい。拾い物、といっては作者に失礼だが、海老蔵人気で売る芝居に終わっていない、いや、海老蔵抜きで見たって結構いける作である。

海老蔵もかなりうまくはまっている。少なくとも、単なる話題の外部出演でなく、何らかの土産(戦利品?)を持ち帰れるだけの仕事をしたといっていい。もっとも、15キロ(だっけ? いや15針縫ったのか)減量したというにしては、アンコールに出てきたときの様子など、むしろ逆に太ったか?と思うぐらいに見えた。なかなかうまくドラクルになり遂せているのが、ガカイの大きさが単に体格だけのことでなく役のスケールになっているところに、海老蔵の非凡さがある。

ドラクルとは、もちろんドラキュラから取った命名だが、固有名詞ではなく、ドラキュラ的なるものを指す一種の抽象名詞に近い。レイという役名だが、15世紀フランスに実在したジ・ル・ドレ侯という人物をモデル、というよりヒントにして作者長塚圭史がこしらえた人物で、ドラマ自体も、レイという「ドラクル」を通して神と人の関係だの、見る者に「公案」を解かせるかのような作りになっている。レイ=ドラクルは吸血鬼には違いないが、いわゆる吸血鬼物を期待すると少し当てがはずれるだろう。

面白いのは、作者がこれを完全な翻訳調の文体で書いていることで、三島の『サド侯爵夫人』ではないが、日本人の俳優がセイヨウジンに扮して翻訳調で固めたセリフを言う芝居であるところに、この芝居のすぐれた点がある。だからなまじにセリフをうまくこなしてニホンジンであるお郷が出てしまうと、戯曲の骨格が崩れ出し、中途半端な芝居に見えてくる。つまり、翻訳調の文体でしゃべられると、観客は情に訴えかけられないから、考えるということをしないわけにいかなくなる。その辺の仕掛けがなかなか巧くできている。

一番感心したのは、装置と芝居の組み立てをうまく処理している(作者自身だから当然といえば当然だが)演出で、これは近頃での出色の出来といっていいのではないか知らん。弦楽四重奏の生演奏による「下座」もなかなか効果的だ。これが一番いいか。

欠点は、すこし長すぎること。第一幕と第二幕が均等の長さなのは作者が意図的にしたことかもしれないが、正直なところ、前半はやや睡魔と闘うのに苦労した。眼目は第二幕で、第一幕は歌舞伎でいえばいわば「仕込み」なのだからあの半分でも十分だろう。(隣席の大先生らしき方は第一幕だけで帰ってしまったらしい。)

俳優たちも、第二幕に至って俄然、好演する。私など、相手役リリスの宮沢りえは別とすれば、正直なところなじみの顔はあまりないが、エヴァをやった永作博美、アダムの勝村政信、司教の手塚とおるなど、それぞれに役の存在感をよく感じさせた。

余禄はパンフレットの長塚圭史と海老蔵の対談で、これがなかなかの傑作である。お客が何を見に来るのかといえばアナタの才能と俺の才能とみんなの才能でしょ。だから何が言いたいのか、これが『ドラクル』のテーマだとハッキリ打ち出したらドオ?とこれは海老蔵。エビ君に欠けてるのは心の交流、とこれは長塚。互いに、相手の痛いところを突いている。

随談第216回 わが時代劇映画50選(13)『次男坊鴉』1956、大映 弘津三男監督 附・観劇偶談(その104) 明治座松井誠公演『江戸情話・さくら吹雪』

前回の予約通り、雷蔵の『次男坊鴉』のことを書くのだが、偶然、いま明治座で松井誠が『さくら吹雪』をやっている。典型的な往年の時代劇を見るのもなつかしいし、敵役連の弱体に目をつぶることにすれば、松井誠の柄にも合っていて、悪くない。身体に軽味のあるところが長所である。

ところでその『さくら吹雪』だが、これが実は『次男坊鴉』と異名同作という、ややこしい成立事情を背負っている。今度の松井版は、昭和12年に川口松太郎がのちの猿翁の二代目猿之助と初代水谷八重子のために舞台劇として書いた『花吹雪お静礼三』に基づいているというが、これを原作とすると、若き日の孝夫・玉三郎でやったのも同じものということになる。お静礼三というカップルの名前は、黙阿弥作の本名題『吹雪花小町於静』通称「お静礼三」から出ているのだが、こちらは、部落民というお静の出自の問題から、昭和40年に歌右衛門・梅幸で出したのを最後に大歌舞伎では途絶えてしまっている。川口松太郎版はそこをうまく避けて、お静と礼三郎の身分違いの恋というテーマをうまく偸み出して川口版の「お静礼三」をこしらえたわけだ。

雷蔵版『次男坊鴉』では、場所を江戸でなく日光街道沿いの古河に移し、それにともなってお静の父親が古河の七五郎となっているほかは、二人をめぐる主な人物の名前も、兄の死去によって家督を継ぎ、日光改修の営繕奉行に任ぜられお静との仲を裂かれるという筋も、つまりテーマもモチーフもまったく同じなのだが、ややこしいことに、なんと原作が川口松太郎ならぬ坂田隆一となっている。坂田隆一、WHO? この間の事情、ご存知の向きがあればご教示願いたい。

考証ごとに深入りしてしまったが、前回も書いた通り、名家の若様が無職無頼の徒に身をやつして二つの世界を往来するという物語、つまり「江戸の乞食王子」というのが、前期雷蔵映画を貫く主調テーマであり、その総決算が『江戸へ百七十里』であるとすれば、その初期の佳作が『次男坊鴉』だというのが、わが主張するところ。もうひとりの「江戸の乞食王子」遠山金四郎の『怪盗と判官』『次男坊判官』につづく作品である。

旗本柳澤家の次男坊でありながら、自由を求めて旅鴉となり、古河の七五郎のもとに草鞋をぬいだところが、娘のお静が、頼りない許婚の巳之吉を見限って礼三郎に惚れ込む。その恋を封印、旅に出ている間に七五郎一家は土手の甚三一家に蹂躙される。危難を救った礼三は、兄が急死のため家督を相続、日光営繕奉行として職務の間に、お静が流れの身に零落する・・・。お静が瑳峨三智子の他は、七五郎が荒木忍、叔父六郷内膳正が香川良介など地味目の脇役陣の中に、老中松平伊豆守で新派の伊井友三郎が出ていたりする。

もうひとつ欠かせないのは白根一男の歌う主題歌で、白根はこれ一曲で歌謡史に名を残した。「どこへ飛ぶのか次男坊鴉」で始まる節と間奏が一度聞けば覚えてしまう名調子。「恋が切ない次男坊鴉、どぶの世界に何故身を投げる、わけはあの娘(こ)の目に訊きな」という、瑳峨三智子がまさしくそういう目をしてみせる。弘津三男監督の叙景も悪くない。

随談第214回 わが時代劇映画50選(その12) 『江戸へ百七十里』 昭和37年大映、監督・森一生 附・ライゾロジイ(Raizology)入門

タイムリー性を求められない記事はつい後回しになるため中断が長くなってしまったが、時代劇50選をそろそろ再開しよう。初期の雷蔵物のこれも一典型。この前挙げた『怪盗と判官』もそうだが、殿様とやくざ者、あるいは浪人者を早替りよろしく演じて、貴公子ぶりと自由人ぶりとの両面を見せようという、この種の趣向は昔から時代劇の一定型だが、とりわけ初期の雷蔵ものにそれが多いというのは、ライゾロジストの方々にとっては、雷蔵研究(Raizology)の欠かせぬテーマだろう。勝新では、どうしたってこうはいかない。

この手のものの、最も華麗で、配役も手揃いで、演出も堂に入っているという意味からは、『江戸へ百七十里』を最も典型にして最も代表的な作品として挙げるのが常識だろう。雷蔵狂四郎・勝新座頭市を中心とする後期大映時代劇が成立するのが、長谷川一夫御大の退場と東映時代劇の撤退と入れ替わる昭和38年前後をメルクマールと考えるとすれば、奇しくもその前年制作の『江戸へ百七十里』は、いわば前期大映時代劇における定番雷蔵映画の集大成ともいえる。

原作である山手樹一郎の明朗青春時代小説というのは、昭和30年代に隆盛だった貸し本屋文化を象徴する存在で、抜群の愛読者を有していた。有名な『桃太郎侍』をはじめ、およそどれを読んでも同じようなものだが、山手樹一郎ものでは錦之助にも『青雲の鬼』という佳作がある。こちらは題名通り、青雲の志を抱いて江戸に上る青年がその途次巻き込まれる事件と、それにまつわる人間関係から人生如何に生きるべきかを学んでゆくという、いかにも若き日の錦之助にぴったりのイニシエーション・ドラマである。

『江戸へ百七十里』は、瓜二つの兄弟の片方が世継ぎの若殿、片方が剣の達人の浪人者、そこに『ローマの休日』もどきのおしのびの姫君がからんでの道中物という、典型に典型を組み合わせたようなストーリイで、雷蔵が兄の若殿と弟の浪人者の二役、姫君が瑳峨三智子。いろいろな女優を相手役にしたが、結局のところ、前期における雷蔵には瑳峨三智子が他を圧してうつりがいい。後期における藤村志保と双璧ということになるが、姫から娘から堅気の女房から武家女房から遊女女郎から女賊から、役柄の幅の広さ、どれになってもツボにはまる多彩さと柔軟性、演技そのものの巧さ、素人臭さのなさ、この時点での時代劇全盛を支えた女優の中で瑳峨三智子の存在というものは抜群のものがあった。

世の時代劇論に女優を真っ当に論じたものをほとんど見かけないが、そうしたマッチョ趣味の固定観念は廃されねばならない。また瑳峨三智子というとすぐに山田五十鈴を持ち出すのも、「何とかの壁」の虜になって思考停止した論者の条件反射みたいなもので、お色気女優という固定観念の牢獄に彼女を押し込める結果となっている。瑳峨三智子に限らず、いずれ、定番時代劇の女優論をきちんとしなければなるまい。

『江戸へ百七十里』でもうひとつ、言い忘れてはならないのは、あの二世鴈治郎が姫君守護の老爺役で出ていることだ。これも、映画俳優中村鴈治郎の一風景として忘れがたい。

じつは、同系のもっと初期の典型として『次男坊鴉』にも触れたかったのだが、スペースがなくなった。次回にしよう。