上村以和於、自著を語る・2005年

(1) 『歌舞伎の情景』 *クリックするとamazonの詳細ページへ飛びます。

歌舞伎に関しての本としては最初の本。(共著は別として。)それまでに「演劇界」に書いたいろんな文章からアレンジした上に書き足してまとめた。解説風あり、ミニミニ歌舞伎論あり、随筆風あり。まったくの偶然だけれど、このとき「演劇界」に書くようになってちょうど20年たっていた。ボクにとってのひとつのけじめ、同時に出発点。

「演劇界」についていろいろ言うけれども、少なくとも我々世代にとっては、あそこに書けるようになるのはアコガレだった。詳しくは「まえがき」と「あとがき」を見てください。

(2) 『演劇の季節』 お薦め!!

たまたまひと月遅れというタイミングで出した。「関西文学」という雑誌に1年間連載したもの。版元の関西書院というところで主催していた関西文学賞の評論部門で受賞したあと、連載の話があって書いた。第1回の原稿をFAXで送ったたしか翌日があの阪神大震災だった。もっとも出版社は大阪だから無事だったけど。

本当はもっと文学随想風に書くつもりだったのだけど、同じ頃、のちに『時のなかの歌舞伎』になる「近代かぶき批評家論」を学会誌に書き始めていたので、ゆっくり書いている暇がなくなってしまい、題材もダブるところもあるので、書き分けるのに苦労しました。

当時『歌舞伎の情景』の第1章の作品論も3ヶ月のズレで連載していたから、まあ3本かかえていたわけです。もう一回、もっと文学文学したのを買いてみたいね。そうそう、新聞に劇評を書き出したのも同じ頃だったんだ。

(3) 『21世紀の歌舞伎俳優たち』

ちょっととんで3年後の出版です。前の二冊を出した翌年、これも「演劇界」に連載したのです。第1回が仁左衛門なのはちょうど襲名に宛てて連載が始まったから。という風に、どの本にもその時々の時代の反映がある。

「演劇界」の連載は、仁左衛門の襲名を機に、現在第1線バリバリの12人(ただし人選は編集部の立案を了承)について、1号一人づつ俳優論を書くというもの。1998年3月号から1年の予定で、事情で1年半かかりましたが、編集部としても、取り上げた人をその号の表紙にする(もちろん売れ行きに関わります)という張り切りようで、楽しい仕事でした。

連載が終わって、できれば本にしたいとは思っていましたが、何人もの未知の読者から、本にはならないのかという声を聞き、「有難い」という言葉の文字通りの意味をつくづくと感じました。やがて三月書房の吉川志都子さんの姿が目の前に現れました。企業としては超ミニ出版社だけれど、出版目録を見ればすごい名前の著者がならんでいる。忘れもしない1999年の12月30日でした。吉川さんと初対面のその場で、出しましょう、と決断してくれました。4人加えて16人とすることにして、その4人の分は明けて正月の三が日に書いて送りました。

さてそれからが大変なことになった。出版記念会をやろう、それも、16人の俳優たちに発起人になってもらって、というのです。そうはいったって、今をときめくそうそうたる16人が、しかもそろって引き受けてくれるとはちょっと考えられない。

ところが、みな引き受けてくれたのです。その前に、本にするについて、ひとりひとりに手紙を書き、承諾をもとめました。これもみなOKをくれましたが、そのくれかたが、それぞれ個性があって面白い。自ら直接電話をくれた人、奥さんから電話という人、手紙をくれた人、その手紙も、自身か奥さんか、また長短さまざま、OKのくれ方もさまざまでした。

さて出版記念会はぶじ開きました。当日の模様は、「演劇界」にちいさな記事になりましたから、興味のある方はご覧ください。本もお陰で好評で、完売しました。まあ、とにかく、私の本としてはいろいろ目立った本でした。

(4) 『新世紀の歌舞伎俳優たち』

(3)の好評の勢いに乗っての姉妹編。ただし今度は書き下ろしです。人選も当然ですが自分で決めました。若手花形と、前作に入れられなかった第1線の人たち、合わせて22人。

ただし、執筆中に亡くなった澤村宗十郎については、「演劇界」に書いた追悼文を転載させてもらいました。それと、難病に倒れ、リハビリに励んでいる澤村藤十郎から、話をしたいからという電話を貰い、闘病から現在に至る心境などいろいろな話を聞けたのと、この二つがとりわけての思い出です。

若手について書くのがいかに難しいか。たとえば、ここに書いた新之助と、現在の海老蔵とでは、もうずいぶん違ってしまっている。しかしだからこそ、その時その時のことを書いておく意味があるのであって、もう過去のことだから読んでも仕様がない、ということではない筈だと思います。

(5) 『歌舞伎 KABUKI TODAY-the Art and Tradition』

順番からいうと(3)の次になります。出版社からのお名指しで書きました。もっとも、売りは大倉舜二氏の写真、箔付けはドナルド・キーン氏の序文ですが、ともあれこの著名なお二人と並んで名前が出ました。なるほど、写真はすばらしい。本来、海外向けの本ですので、英語版がメインですが、国内向けにバイリンガル版も作りました。

私が英文で書いたと早合点した人もいるようですが、「そこの角を右に曲がるとポストがあります」なんていう英作文ならともかく、まさかまさか・・・。私が日本文を書き、あちらの人が英訳したのです。なまじに歌舞伎を知らなくてもいいから、質のいい英語を書ける人を、と注文をつけたのですが、果たして、ちょっと難しいけれど、品格のあるいい英語ですね。たしかオーストラリア人の女性と聞きましたが、歌舞伎もきちんとわかっている上に、何よりもセンスがいい。

ところでアメリカ版の売り出し予定が2001年9月、すなわちあの同時多発テロと重なりました。売れ行きに響いたかどうか。


(6) 『時代(とき)のなかの歌舞伎-近代歌舞伎批評家論』

歌舞伎学会の機関誌「歌舞伎ー研究と批評」に約10年にわたって連載したものに、書き足したり、書き直したりした。ざっとこの100年間の批評のあとをたどれば、近代という激動の時代に、日本人が歌舞伎をどう受けとめ(愛し、反発し、あるいは無視し)てきたかが判る。それはそのまま、近代日本の知の振幅を反映している。だから私としては、いままで書いたどの本よりも一般性、普遍性がある(やさしいか難しいかは別として)、つまり、歌舞伎は知らなくとも、知的な幅広い関心を持った読書人といわれるような人にも読んでもらえる本だと思っているのだが、どうやら、歌舞伎という特殊な分野のそのまた批評という二重に特殊な分野の本という風に受け止められてしまったらしい、と目下少しヒガンデいる。(分類という思考法にどっぷり浸った現代人の抜きがたいセクショナリズム!早い話が、表紙に歌舞伎と書いてあるだけで、書店では演劇書コーナーに押し込められてしまうノダ。)もちろん中には、数学者の森毅さんが溜飲の下がるような書評をしてくれたり、きちんと受け止めてくれた人もあるけれど。


共著

『カブキ・ハンドブック』

『カブキ101物語』

どちらも1993 新書館


翻訳(代表作)


1. 『悪霊に魅入られた女』 1974 平安書店 ホラー映画流行にのった際物。わりに売れました。

2. 『青い空カレンは走った』 1976 主婦の友社 脳性マヒの少女の愛と感動の実話。点字版や吹き込み版もあるはずです。

3. 『ホイッスラー』 1977 ライフ巨匠の世界 タイトル、版元を見ればお分りと思います。

4. 『中国・インド・ビルマ戦線』 1979 ライフ第2次世界大戦

5. 『ヨーロッパ第2戦線』 1979 同上

6. 『キテイホークへの道』 1981 ライフ大空への挑戦

7. 『エアライン草分時代』 同上

8. 『800号を打ったもう一人の男、黒いベーブルース ジョシュ・ギブソン』 1979 講談社 アフリカ系アメリカ人がメジャーリーグから締め出されていた時代の大選手。王選手の800号に引っ掛けて出した。一番話題になり、一番面白かった仕事。

9. 『裸のローレンス、アラビアのローレンスの虚像と実像』 1980 講談社文庫 一番売れ、ほかの著者の引用や参考文献などにも載った。

10. 『サタンタッチ』 文春サスペンスシリーズの最初の5冊の1冊。5万部も出したがさっぱり。シリーズのちの隆盛の人柱といわれた。

11. 『100億ドルのスキャット」 同上

12. 『地中海戦争勃発す』 創元ノヴェルズの1冊。このシリ-ズにはまだあったはずですが、手元に見当たらない。

13. 『クロスファイヤ』 サントリイ・ミステリー大賞海外応募作。佳作入賞で本になった。このほかにも、訳したけど(お金ももらったけど)落選したので日の目を見なかったのもありましたっけ。 まだあるはずです。ハーレクイン・ノベルズに女性名前で(名前だけの女形?)何冊かだしたこともあります。名前は企業秘密かも知れないから内緒。一応、当時の人名事典に名前が載っていました。


・・・というわけで、なんでもありの専門なしの翻訳家でした。でも長いのは1000枚を超えるのもあり、よい文章修行にはなりました。





上村以和於 平成17年3月