随談第274回 観劇偶談・今月の一押し 三津五郎の『娘道成寺』その他

正統にいけば、今月は三津五郎の『娘道成寺』である。坂東流に伝わる、随所に見慣れたのと違うところがあって、それ自体が目新しい。衣裳が赤に始まり、最後にまた赤に戻って終るというのは、始めあり終りありという感じで、本来かくあるべきではないかと思われる。(夏に見た「亀治郎の会」では全編赤で通した。)

終始、「娘」の肚で踊る。文字通り、「京鹿子娘道成寺」なのだ。そもそも、歌右衛門流の、恋の妄執、情念を踊りぬくという行き方は、それはそれでいいのだけれども、しかしこれはテーマ主義的な、つまり近代的な考え方だといえる。それよりも、娘心のさまざまを、局面局面に見せてゆく「組曲」の方が、むしろもっと本来的なあり方ではないかと、私はかねがね考えている。こういう行き方の『娘道成寺』は、梅幸を通じて現勘三郎ぐらいかと思っていたら、それともまた違う、三津五郎の『道成寺』が誕生したというわけだ。

ただ、勘三郎と違い、加役としてでも女形を勤めることがほとんどない三津五郎だ。清楚でボーイッシュな処女というのは、私などは嫌いではないが、もうちっと、なんどりとした色気が欲しいと思うのは、正直なところだ。まして、歌右衛門・玉三郎以来の、嫋々と女の情念をテンション高く踊りぬくのが「道成寺」だと思っている人にとっては、淡白で薄味で、ちと物足りないと感じられるかもしれない。それはそれで、もっともではあるが、しかし言っておきたいのは、そればかりが『娘道成寺』ではないということだ。クドキで手拭を使わないのも、この行き方ならばなるほどということになる。

坐った姿勢のまま、後見の助けもなしに反り身になるなど、苦しい姿勢を取ったりする。さすがの三津五郎が、この時ばかりは少し顔がこわばった。万一あのまま腰をついてしまったら、と見ているこちらもはらはらした。万一に備えて、後見を傍に控えさせておいた方が、見ているこちらは余計な心配をしなくてすむ。そういうことも、配慮の内に入れておくべきではないか?

このほかに、わたしの気に入ったものを、順不同に揚げることにしよう。

まず、『籠釣瓶』で染五郎の栄之丞がすばらしい。軽味があって、いかにも風に吹かれて生きている男らしい。染五郎の中にある、育ちのよさの中にちょっとばかり、不遜に通じる自負があるのが、このヒモ男の生き様に通じているところが面白い。栄之丞という役は、勘弥亡き後、梅玉が三十年かかってようやく近年、ものにしたが、ちょいと誰でもというわけにはいかない、人を選ぶ役だ。こういう役がこの若さでいいというのは、染五郎が二枚目として良い仁を持っている証明でもある。この月の染五郎は、俣野は役違いで空振り三振、もう少しいいかと思った『高杯』が期待を裏切る平凡さ、『義民伝』の将軍家綱は品のよさで無難という成績。すなわち一勝二敗一分け。栄之丞は折角の大金星で殊勲賞ものだが、負け越しで相撲なら三賞の対象にならない。

もうひとり、『遠山政談』の菊之助の祐天小僧が、いかにも若旦那崩れらしい優柔不断さがあるのがいい。歌舞伎の二枚目というのは、優柔不断を本質の中に秘めている。即ちこれは、菊之助が天性の二枚目役者であることを立証しているようなものだ。

もうひとり、やはり『遠山政談』の菊十郎の山番勝五郎。誰よりも、(ある意味では菊五郎以上に)黙阿弥流の世界の人物らしい。

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