●昭和8年生まれの天皇が生前退位の御意向というニュースが話題を呼ぶ中、永六輔だ大橋巨泉だと、昭和8年、9年生まれという世代が相次いで世を去ってゆく。こういう名前と絡みついている記憶はもちろん数々あるが、方々で書かれ語られている上に今更私がしゃしゃり出てここに書き並べる必要もあるまい。(こういう人たちの事績についてなら、現役テレビ人新聞人に任せておいても遺漏はない。私がなすべきは、もしかしたら他に拾う人がいないかもしれない落穂を拾うことである)。わが身と重ね合わせての個人としての思いに過ぎないものが、ほぼ悉く社会史・世相史的な意味合いを持ってしまう、というところにこの御両人のような存在の特性がある。その意味で、永六輔はラジオ三分のテレビ七分、巨泉は100パーセントテレビ、という違いが、私の個人史の中で彼らの持つ意味にもニュアンスの違いをもたらしている。ラジオはイニシエーションの季節に私の中に種子を撒いたものであり、テレビはその後に襲ってきた大津波のようなものだからだ。
二人の蔭に、ザ・ピーナッツの残る片方がひっそりと逝ったというのも、昭和30~40年代というテレビの時代の縮図のようだ。
●という波がやや静まった所へ中村紘子の訃報が入ってきた。時期的には、私が大学に入ったころ、中学生だった彼女が華々しく話題の人となったのだったから、ザ・ピーナッツと世間的デビューはほぼ同じころ、というタイミングになる。別に熱心な聴き手であったわけでもないが、やはり相前後して鮮烈デビューした小澤征爾と言い、あのころからクラシック音楽の世代と人種が変わった、そのシンボルとして何となく懐かしさと親しみを覚える。それにつけてもだが、同じヒロコでも他のヒロコさんたちとひと味違って、「紘子」というのは昭和10年代生まれのシンボルのような名前で、むかしチョイ惚れしていた同級生にもこの名前の女性がいたっけ。典拠はもちろん、八紘一宇である。
●大相撲の名古屋場所が終わって、まあ、荒れ場所らしい面白さはあったが(とはいえ、終盤の日馬富士はその真骨頂を示すものだった。あれは高く評価されて然るべきである)、一に安美錦、二に豊ノ島という私にとっては一番面白い二人が二人とも、同じアキレス腱断裂という不祥事で全休というオソロシイ事態になってしまった。来場所もおそらく休場だろうから、さ来場所には十両はおろか幕下陥落まで覚悟しなければなるまい。年齢で力が衰えてのことなら十両陥落となる前に引退するところだろうが(格から言って十両に落ちてまで取る力士ではない)、事情が事情だから、幕下からでも再起することになるのだろう。(宝富士が金星・銀星を挙げてインタビューを受けるたびに安美錦の情報を漏らすのがなかなかよかった。お陰で、わずかながらも怪我の様子を知ることが出来た。)
それにつけても、照の富士が先場所わずか2勝という惨状の後、今場所は膝の具合も多少よくなったかと思わせる面もあったが、結局は辛うじて勝ち越しという惨状に終わった。何故、手術をして完治の上、再起するという道を選ばないのだろう。仮に二場所連休して大関陥落しても、三場所目に10勝すれば復帰できるのだし、もっとかかったとしても、完治しさえすれば照の富士の実力なら早晩、大関復帰は難しいことではなかろうに、中途半端な出場を続けているのは、本人の意思なのか親方の意向なのか、いずれにしても不可解なことである。膝の怪我のために大関横綱を断念したり(安美錦でも、このほど引退した若の里でもそうだろうが)、仮になっても凡庸な成績で終わってしまった先例はゴマンといる。あれだけの逸材を無下に終わらせてはならない。
●相撲の話題ではもうひとつ、新方針となった春場所以来、立会いのやり直しがあまりにも多すぎるのは感興を殺ぐこと甚だしい。さしものNHKさえ、千秋楽の放送でこの問題を取り上げて、アナウンサーが、個人の意見ですがと断った上だが、呼吸が合ったら立会い成立と認めていいのではないかと言っていたのは、ちょいとした勇気ある発言と言っていい。まったく同感である。今場所の白鵬=稀勢の里戦など、立会いやり直しが明らかに勝負の帰趨を左右したし、先場所だったかその前の場所だったか、一旦勝敗が決した後にやり直しとなって、さっき勝った方が負けになってしまった。しかもやり直しの理由が、相手がキチンと手を付かなかったからというのでは、本人は元よりだろうが見ているこちらも釈然としない。北の富士氏も言っていたように、行司によって、また審判員によってばらつきがあるし、そのくせ、二度やり直して三度目となると、さっきよりひどいと思うようなのでも認めてしまうケ-スも多々ある。手を付く立合いを励行させるのはいいが、呼吸が合っていれば認めるようにしないと、それもすぐに止めるのならまだしも、取り進んでから、更には勝負がついてからやり直しというのは、感興を殺ぐだけでなくそもそもぶざまである。運んできた料理を、客が箸をつけてから、ア、間違いでしたと引っ込めるようなもので、度を越せば、良心的なつもりが逆に非礼ともなりかねないことに、協会は思いを致すべきである。
●都知事選の候補者が21人もいるのにビッグな3人のことしか報道しないのはおかしい、という声がようやく高まったと見え、選挙戦もお終い頃になってから、申し訳のように「泡沫候補扱い」の中からめぼしい幾人かの選挙戦の様子が報道されるようになった。選挙公報なるものを、先日、じっくり読んでみたが、なるほどなかなか面白い。広報に書いてあることに限るなら、「ビッグ3」も他の18人に抜きん出るほどのことは言っていないこともわかった。
かつては泡沫候補のなかに面白いヒトがいろいろいたものだが、衆院選が小選挙区制になってからとんとレベルが低下してしまい、残念に思っていたところが、今度は相当盛り返したのは結構である。前知事の辞任騒ぎの過程で、コントを見ているような問答を大真面目でやっていたのが、反面教師的に刺激を与えたのかもしれない。(かの号泣県議の仕草・表情に前都知事のセリフをつけたら、絶妙のコントになったであろう。)
若い世代の投票率が低いのが話題となっているが、選挙を身近に感じさせる上で泡沫候補のレベルが如何に影響を与えるか、私は自分の子供のころの実感に照らして断言できる。小学生だった私が、選挙に、ひいては大人たちの作っている社会に興味を持つようになったのは、面白い泡沫候補がそれこそ多士済々、保守と革新とを問わず、ヘンなおじさんから憂国の士に至るまで、多種多様にいたからであると言っても過言ではない。(かのノンキ節の石田一松が選挙カーの上で演説をしている姿を見たのは、いまなおよき思い出である。もっとも石田一松は実際に当選もしたから、泡沫候補の域を抜いていたとも言えるが。)
昭和20~30年代、何故面白い泡沫候補がたくさんいたのか? 曲がりなりにもせよ、民主主義というものを誰もが実感できていたからだと、今にして思う。自民党の長期安定政権が確立するとともに、泡沫中の名物男たちは老化し、新陳代謝も行われなくなってしまった。代って、いわゆる70年代の過激派学生たちの時代になるのだ。(当時の巨泉の大当たり番組に『ゲバゲバ90分』というのがあった。)とどめを刺したのが、先にも言ったように、衆議院が小選挙区制になって、「無用の用」を容認するゆとりが失われたことである。
それにつけても、過日の参院選の開票速報の放送開始の冒頭、NHKが如何にも得意げに、出口調査に基づき開票前でも当確を出しますと喧伝していたのにウっとなった。これまでは、いくら何でも開票が始まるまでは遠慮していた筈だが、遂にここまで来たかという思いである。あれでは、お前が投票しなくたって選挙の大勢に関係ないぞと言っているようなものではないか。その一方で、若い世代の投票率がどうのと議論する矛盾の滑稽さを思わないのだろうか。そもそも、一秒の何分の一でも早く結果を知ることを、候補者とその関係者以外、誰が必要としているのだろう。
●こんどはNHKをほめる話。都知事選の前日に放送のあったドラマ『百合子さんの絵本-陸軍武官小野寺夫婦の戦争』というのが思いがけない収穫だった。有能な諜報員だったが軍部主流派から疎んじられてストックホルム駐在というやや閑職に置かれながら、ドイツの対ソ戦への動きや、ヤルタ会談で連合国間に交わされた密約など、日本の敗戦を決定づける上で重要な意味をもつ情報を入手、日本に情報を送るが無視されたという陸軍武官夫妻を描いた作だが、毎年終戦記念日が近づくとこの手のドラマが作られるのが恒例で、さほど期待もせずに、むしろ夫の役を市川中車、じゃなかった香川照之がするという興味に引かれて片手間気分で見ていたのだが、途中から仕事の手を止めて画面に見入ることになった。善良なメイドも親しい友人もスパイとして警戒しなければならない日常の中、夫婦の対話も立聞きされないようにレコードの音量を最大にして交わす。ベートーベンの第9シンフォニーというのは、こういう時に絶好の曲であり、同時にそれが、時代を語り、ドラマのテーマ曲として音楽自体が癒しともなるという、二重三重の効果が秀逸だった。
面白かったのは、戦後30年経った頃、どこかの雑誌の企画で、かつての同僚武官たちの座談会が行われ、出席したものの、まるで同窓会みたいな雰囲気でそれぞれ勝手な法螺を愉し気に吹き合っているのを見、違和感を覚えるという場面で、ものの5分もあるかないかだが、出席者の元武官の役を演じる面々がなかなか上手い。苦心して送ったヤルタ会談密約の報も、出席者のひとりが、そういえばそんな話も聞いたことがあると取り繕うような感じで証言してくれたのが関の山、それ以上の関心を示す者もない。よくいわれる日本の組織の、組織人の無責任体制、無責任心情の、これもその一例というわけだ。
こういう善良な人物を演じるときの中車、ならぬ香川照之というのは、なんとなくもったりとして、これは案外にも猿翁とよく似ている。スーツ、というより背広の着こなしといい、誠実に過去を引きずったがために時代に置いて行かれた男の感じがよく出ている。薬師丸ひろ子の、のちに『ムーミン』の翻訳で知られることになる夫人役も、あの時代の誠実で聡明なアッパーミドルの女性の(こういう場合は「婦人」というべきか)感じを、かなりよく出している努力にも感心した。
●ぐずぐずしている間に都知事選は終わり、千代の富士が死んでしまった。前者の経過と結果を一言で言えば、女は度胸、男は姑根性、でなければ据え膳食った律義者の父さん、でもなければお人よしの暢気なパパ。当世社会の縮図と言うところか。小池氏の真価はこれからのお手並み次第、鳥越氏は晩節にべたりと味噌だれのシミをつけてクリーニング代を無駄づかいし(あれなら石田純一の方がマシだった?)、増田氏は少しは有名になった分、得をしたからご本人の±はゼロだが、普段の会見ではにこりともしない官房長官があんなにべったりくっついて、愛嬌を振り撒いていたのが真の敗因と悟るべきであろう。
●千代の富士についてはいずれゆっくり書きたいが、投げの切れ味と豪快さは初代若乃花以来、立ち合いの踏み込みと神速華麗な早業は栃錦以来。見て面白く、小よく大を制す痛快感も両者以来。いまのところ、以後はなし。(朝青龍に一面を偲ばせるものがあったが、残念なことに彼はヒールになりすぎた。)千代の富士がぐいぐいのし上がって行くのと共に、街を歩いていてもテレビの前に足を止める人の数がぐんぐん増え、人気の上昇が空気となって実感されたのをまざまざと思い出す。