森繁の死のニュースを見ながら、マスコミや世間の反応の様子に改めて考えさせられた。もちろん訃報の中で悪口を言う者がある筈もないが、そういうレベルの話ではなく、この俳優が、いかに広く受け容れられ、理解され、親しまれていたかということのただならぬ意味を、そこに察しないわけにはいかないからである。
立川談志かねてよりの説によると、明治この方の日本の芸能人で最大の俳優は九代目団十郎でも六代目菊五郎でもなく、森繁久彌だ、というのを、ゆくりなく思い出したりした。あくまでも目に入った範囲内でだが、新聞に載った各界有名人の談話の中で、それだ、と一番同感したのは、小沢昭一氏の、偉大なる素人のような人、というのだった。伝統的な芸の世界や芸人の血とは無縁なところから生まれ、演技も過去の表現とは別のところから生み出した、具体的で自然な演技だった、と小沢氏は言う。だから万人に分り、万人に愛されたのだ、と。まさしくその通り。そうしてこれは、談志師の真意がどこにあるのかは確かめる伝手がないから別として、私なりに理解するところでは、談志師の意見と相響き合っている。
素人だったから、表現の方法は我流である。しかし凡百の我流芸人・我流俳優と一線を画しているのは、他人の芸を雑多に取り入れるその直観力の格段の相違であり、それをフィルターにかけてわがものにする、その我流の在り方の卓抜さである。そこには、森繁一流の知性が介在する。その知性もまた、決して系統的だったり、論理的だったり、まして学者的だったりなどせず、卓抜な直観力と結びついた我流の知性だった。おそらくその我流の知性において、森繁は、現代のあらゆるジャンルの誰に比べても、一級品であったに違いない。誰もが指摘することだが、満州での体験というものなくては、このあたりの機微は解き尽せまい。人間通。一言で尽すならこの一言に尽きる。素人の役者が玄人の役者を凌駕する秘鍵は、ただこの一点にある。
離見の見と、複眼と。その点に於いて、すなわち森繁久彌が森繁久彌を演じるうえに於いて、森繁は見事に玄人だった。偉大なる素人という小沢氏の言に一語つけ加えるとすれば、偉大なる素人にして玄人、というべきか。
ラジオで聞いた「僕等の仲間」が、私が森繁を知った最初だった。藤山一郎と洒落た掛け合いで運ぶスマートな感覚は、小学生だった私にもありありと感じられた。映画では詐欺師のような役をよくやっていた。これも印象は極めて鮮明で、よく覚えている。つまりキャラが立ったのだが、それでいて、そこだけが突出することがない。『スラバヤ殿下』というのが、そういったたぐいの集大成であったのだろう。つまり主役の座に躍り出て、それから間もなく『夫婦善哉』『猫と正造と二人の女』以下の、誰もが知るモリシゲが始まる。もう私が口をはさむ必要はないようなものだが、ただひとつ言うなら、そういう中で『雨情』というのが、森繁一代を語る上で重要な位置を占めていると思う。かの「船頭小唄」もここで唄ったというだけでなく、雨情という歴史上の実在の人物を演じて見事に、森繁的ペーソスを確立し、森繁のキャラを立たせていたという点で、この作この役は森繁一代のなかでもユニークであり、これあって、『屋根の上のヴァイオリン弾き』その他、後の役々が開けたのではないかと、私は思っている。