随談第324回 汽車の窓からハンケチ振れば

ちょいと身辺小忙しく、且つ予期せぬ椿事に責め立てられて、なかなかブログを更新する暇がない。野球の話も書きたいと思っているのだが、折がないままに日が過ぎて、今日はと思っているうち、千原しのぶが死に、丘灯至夫が死ぬという、訃報が立て続けに新聞に載った。で、野球の話は今さら急いでも詮無いので、こちらの話を先にすることにしよう。

千原しのぶは、やはり何といっても思い出深い。あまりにも細く痩せぎすで、楚々とした形を作りすぎるところがあったのと、割りに早くにやつれが目立つようになってしまったために、その魅力を十全に発揮した期間は永くはなかったが、時代劇女優として水際立った美しさを持っていたという意味では、誰よりも鮮烈な印象をいまに残している。東映オールスター映画の『任侠東海道』などで見せた鳥追い姿のサマになったことといったら、山田五十鈴あたりを持ち出したところで、絵になる、という一点に関する限り、千原の方が上だろう。

新聞の記事は、例によって往時を知らない人が調べて書くだけだから、東映城のお姫様と言われた、などと紋切り型で片付けているが、お姫様より鳥追いの方がピタリとはまる容姿であり、仁であった。つまりやや老けだちの、年増の風情に独特の風情があって、(前にも書いたが)『鏡山』をもじった『振袖侠艶録』の尾上のような、奥女中の役などでは、普通の映画女優ではちょっと表わせない格と雰囲気をもっていた。たまたま去年、池袋の文芸座で佐々木康監督特集の際、再見の機会に恵まれたが、このあたりに彼女の真骨頂があったことを確認した。もうひとつつけ加えて、千原しのぶベストスリーを選ぶなら、『竜虎八天狗』四部作の、東千代之介扮する真田大助の姉奈都女(なつめ)というのがある。少年向け活劇映画だから、知る人はほとんどあるまい。

さて丘灯至夫だが、こちらはさすがにテレビのワイドショーなどでも軒並み取り上げて、かなり的確なコメントもあったようだから、ある程度溜飲が下がったが、本当はもっと評価されて然るべき人だった。ひと足先に死んだ石本美由起などにしてもそうだが、あまりにも典型的な歌謡曲の作詞家として、重んじられたような、安く見られたような、評価にあいまいなところがある。特に丘は、歌詞だけ読んでいるといかにも平凡で切れ味のようなものがないから、(連れて逃げてよ、などという殺し文句が石本にはあるが、丘にはない)、なおさら軽く見られることになる。しかし『高原列車は行く』にせよ『高校三年生』(この歌の流行った当時、私は大学生だったが、正直、愚劣な歌だと思ってバカにしていた)にせよ、その凡庸さ故に、文字通り一世を風靡しただけでなく、時代の表徴として後世に残ることになったのだ。

『高原列車は行く』の作曲は古関裕而だが、じつは先ごろ発売されたCD6枚組みの「古関裕而全集」を買ってこのところ愛聴しているが、昭和20年代という時代の空気をこの歌ほど捉えている歌謡曲はまたとあるまいと思わせられる。「汽車の窓からハンケチ振れば、牧場の乙女が花束投げる、明るい青空白樺林、山越え谷越えはるばると、ランラララン、ラララララララーラ、高原列車はラララララ行くよ」というのだから、およそ、実態は何もない。こんな高原列車や、ハンケチを振ると花束を投げ返してくれる牧場の娘など、実際にいるとも思われない。だが、それ故にこそ、終戦から十年近く経った、哀しくなるほど貧しく、純情な憧れを歌っているという意味で、これは実に見事に、昭和29年を、そして永遠の若さを歌っている。すくなくとも、誰でもが知っている、という一点に関する限り、これに勝るものはそうはないに違いない。

それにしても、ハンカチ、ではなく、ハンケチ、であるところが、今にして思えばなんとも泣かせる。この言葉、近頃とんと、目にも耳にもしない。既に古語であろう。ハンカチと言わずに、ハンケチという言葉を使った人種は、もはや死に絶えたのだ。

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