随談第344回 よしなしごと(その4)兼 ひさしぶり観劇偶談

歌舞伎座から新橋演舞場へ、とタイトルのついた、その新橋演舞場の新しい筋書は、サイズから体裁、編集の仕方すべて、そっくりそのまま歌舞伎座の筋書を踏襲している。ひとつの意気込みを感じる。前回、昔なら向こう三年間に限って歌舞伎座と改称したろう、と書いたが、代わりに筋書の体裁・内容で、歌舞伎座の格式を継承したのである。ということは、三年後、新しい歌舞伎座が開場したら、筋書のこの体裁はまた歌舞伎座に受け継がれるのだろう。正面玄関上に飾った櫓とともに。

私個人としても、正直ほっとした。演舞場の筋書はすでに大判に切り替わっていた。歌舞伎座も、新規開場を境に、大きいサイズに変更、などということにならなけりゃあいいに、とじつは心配していたのだ。近頃どこの劇場のパンフも大型になって、あれは保存上、大いに迷惑するのだということを、劇場側はご存知知らずや?

さて、大一座、大顔合せの歌舞伎座最後の月から、バトンを渡された演舞場は花形一座、しかも『寺子屋』『熊谷陣屋』に『助六』と、興行の芯となる演目まで、筆法伝授よろしく花形連にそっくりそのまま受け渡すという企画のアイデアは、なかなか面白い。昭和二十一年五月から六月、戦前派の重鎮たちから後の十一代目団十郎らの花形へ、『助六』を受け渡し、これを機に海老サマ開眼、世代交代への第一歩となったという故智に倣ったのに相違ない。欲を言うなら、新しい門出を祝って『三番叟』を開幕に踊るとよかったのに。

ところでその花形連だが、五人囃子よろしく並んだ海老蔵・染五郎・松緑・勘太郎・七之助の評判をするなら、まず何と言っても海老蔵の助六で、これは既に当代歌舞伎での特級品である。もちろん、セリフの不安定をはじめ欠点はわんさとある。フィギュアスケートよろしく採点したら、たちまち減点がつくであろう。だがそれにもかかわらず、これは、喧嘩の相手を砂利場に蹴込んだり雷門でヘソを取ったりしそうな、当代誰の助六にも勝って助六そのものであるという一点において、当代歌舞伎の華である。とりわけ「水入り」をつけるに於いておや。海老蔵の助六が怒れる助六であることは、夙に初演の時に言ったが、「水入り」がつくとさらに俄然、凄愴の気が漲る。右翼のポール上はるか高く、場外へ飛び去ったホームランの趣きである。(もしかして、ファウルだったか・・・?)

水入りというと、回数からいっても十七代目勘三郎だが、一度、梯子を花道から西側の桟敷席へ掛け渡したのを見たことがある。身の軽いのがとんとんと駆け上がり小手をかざして辺りを見回し、居ないぞ、と叫んで梯子を下ろし、本舞台へ来ていつものように正面奥へ掛けるのだが、あれはなかなかいいものだった。時間にして三分と余計にかかるわけでもなし、お客さん大喜びである。次の機会には是非復活してもらいたい。

松王丸は、背骨の通ってバリッとしているところがいいが、様式と内面の乖離が露わに見える点、未成品といわざるを得ない。だが、首実検で刀を抜いて源蔵夫婦に差し付ける、七代目團十郎以来とかいう型を見せるその一瞬は素晴らしい。こちらは、快打一番、目の醒めるようなクリーンヒットの趣である。もっともここは、さっと首を取り上げ突きつける、春藤玄蕃の猿弥の働きも併せ評価すべきだろう。

染五郎は、源蔵と熊谷という、どちらも最初の出をやかましく言われる役なのは皮肉だが、そんなことより、この人は、竜馬や細川の血達磨のような、わあわあ叫んで熱演する役はやっても、源蔵や熊谷のような、深い思いを腹中に収めて沈着に行為をする、様式の中に内面を凝縮させてせめぎ合わせるような役は、思えばいくらもやっていないのが、こういう芝居になると祟っているのが分ってしまう。海老蔵にしてもだが、丸本物こそ現代歌舞伎の支柱であり、未来の歌舞伎を背負う者としてこれをなくしては、現代の歌舞伎俳優としての存在意義を主張するのはむづかしい。源蔵ならずとも、ここが絶体絶命の性根どころである。源蔵よりはまだしも熊谷の方が整って見えるのは、形をつけるのは熊谷の方がつけやすいからに過ぎないだろう。それと、七之助の相模、松也の藤の方と、若い女方ふたりの健闘もあって、海老蔵の義経ともども芸の背丈が揃っているために、均衡が取れて、劇そのものが見えやすくなったからであろう。

七之助といえば、『寺子屋』では勘太郎とふたり、女房役を勤めていて、ご亭主ふたりよりもこちらの方が健闘している。とりわけ勘太郎の千代が、内面から迸るものをがっちりと抑える外面の様式をしっかり身につけている分、四人の中で一番の出来である。

ちょいと長くなったので、以下は次回に回そう。

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