随談第352回 七月の忌辰録より

梅雨明けの猛暑のせいばかりでもあるまいが、この月の最後の十日間に、思い出深い名前が次々と訃報欄に載った。

まず石井好子。別にファンというわけではないが、戦後という歳月の中でひとつのなつかしい時代を背負っていた人という意味で、ある感慨がある。シャンソンというものが、俄かに愛好者を拡大して歌謡界にひとつのジャンルを確立したのが、ちょうど私にとっては、大人の世界の出来事に興味を覚え始めるイニシエーションの年頃と重なり合ったからでもあるが、昭和三十年前後という時代そのものが、戦後を生きた日本人にとってのあるエポックだったからでもある。牝馬みたいな顔をした高英男などという人が、ある典型を示していた。それにしても、パリ祭というものの存在すら、いまの若い世代はろくに知らないらしい。

数学者の森毅が歌舞伎通だということは知られているが、前に『時代(とき)のなかの歌舞伎』を出したとき、書評風のエッセイにかなりのスペースを割いて書いてくれたことがある。書評というものは、大概、当の本人にしてみると、どこか隔靴痛痒の思いに駆られるものだが、森氏の批評にはそういうずれがなかった。あの融通無碍を支えていたのは勘のよさであったろう。

立教の監督として鳴らした砂押の訃報には、国鉄スワローズの監督時代のことはほとんど触れられなかった。昭和三十年代ごろのプロ野球の弱小球団には、砂押の他にも田丸とか濃人とか、アマやノンプロ球界の名監督をそのまま監督に据えるのが一種の流行現象だった。不見識といえば不見識な話だが、プロ野球を頂点とするようなヒエラルキーが今ほど確立していなかったのだともいえる。

北葉山は、前褌を鷲掴みにしての柏戸の寄りを、土俵を四分の三周か三分の二周か、俵の上を爪先だったまま伝って逃げて、ついにうっちゃって勝ったのと、大鵬に低く食いつくとがっちりと腰を割って、さあ打っ棄るぞと大鵬も分っていたに違いないのに、それでも見事に打っ棄って勝ったのと、この二番が記憶に鮮やかである。絶対に横綱にはなりっこない大関だったが、それにも拘わらず、その個性味ゆえに立派な大関だった。

ところで、長谷川裕見子の訃報にはある感慨なしにはいられない。中学から高校時代の何年間か、私は彼女の出演映画は洩れなく見るという追っかけだった。いわゆるお色気派ではないが目の使い方にある大人っぽいムードがあって、それが、女房役とか、たとえ娘役であっても、単なる可憐や貞淑に終らない色香となって現われる。たぶんもう見ることはできない作品だと思うが、角田喜久雄の怪奇小説が原作の『髑髏銭』など、娘役の中での傑作だろう。(昭和31年の松田定次監督の再映画化の方である。)有名作では、内田吐夢監督の『大菩薩峠』で、第一部でのお浜はやや固くなっていていまひとつだが、第二部でのお豊はおそらくこの役での最上のものだろう。千恵蔵の『国定忠治』で、赤城山を下りて信州へ落ちてゆく先で忠治が巡り会う、いまは湯治宿の女あるじになっている昔なじみのお仙という役などは、大人の女のそこはかとない情感が逸品だった。この場の千恵蔵の忠治もなかなかのものだったが、しかし当時も今も、世の時代劇論なるもののパターンが皆お定まりで、こういう作品のこういう場面に目を向けた時代劇論というものがまず皆無に等しいのは、映画論中の不毛地帯といえるだろう。(ついでだが、昭和20年代の長谷川一夫の映画における山根寿子なども、不当に軽視されている好例だろう。長谷川というと山田五十鈴ばかりが持ち出される紋切り型のために、理不尽に割を食っているのだ。)

長谷川裕見子は、寂びしみが勝った芸風なので、若いころにはもうひとつぱっとした人気が出なかったのが、大映から東映に移った頃から芸も明るくなり、同時に熟してきて、昭和三十年代の一時期、東映の女優陣のなかでトップの地位にいた。柄があるので、おすべらかしの髪の役が似合うところから、『妖蛇の魔殿』という、千恵蔵の自来也、月形龍之介の大蛇丸に対する綱手姫という大時代な芝居での傑作もある。隠れた当り役として、時に前髪立ちの美少年に男装する役もあった。大きな賞の受賞はなかったが、これはこのブログの時代劇50選にも書いたが、『白扇』という、邦枝完ニの新聞小説の映画化で、四谷怪談成立秘話という趣向のちょいとひねった映画でお岩を演じ、ブルーリボン賞の候補に挙がったことがある。(この映画に、後の八代目三津五郎の蓑助が鶴屋南北の役で出ている。)いよいよこれからというところで、船越英二夫人になってしまい、それはそれで幸福な人生であったらしいからいいのだが、女優人生としてはちょっと残念でないこともない。

それにしても、この前千原しのぶが死んだ時にも書いたことだが、当節の新聞社の人たちが知らないのだから言っても詮無いこととはいえ、訃報の記事に女優としての業績をもう少し書いてくれてもいい筈だ。千原しのぶといい長谷川裕見子といい、タイプはそれぞれだが、ああいう時代劇女優はもう出ないだろう。(それにつけても、中断したままの時代劇映画50選、再開しなくては。)

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