随談第354回 中村橋之助への提言

この月、新橋演舞場の「花形歌舞伎」で橋之助が、念願の役と言って『暗闇の丑松』をやっている。ところが新聞評に、私は、この作へのあこがれはわかるが橋之助の目指すべきは他にある筈、挑戦は結構だが己を知ることもまた大切だと書いた。来月早々に出る『演劇界』の十月号にももうすこし詳しく書く機会に恵まれたが、発売日まではまだ日があるし、劇評とはまた別な形で、この場でもう少し書いておくことにしたい。

橋之助が念願だというのには、『暗闇の丑松』という作品そのものに対するものと、この作を演じてきた先人たち、とりわけ先代辰之助の演じた丑松に対する思いと、両面があるように思われる。作品そのものというのにも、長谷川伸の書いた脚本としての面と、初演した六代目菊五郎がつくり上げた演出の巧みさ・面白さを通じての舞台としての面と、両面があるに違いない。それをまた、多士済々の先人たちが演じてすぐれた舞台を作り出してきたのだから、橋之助ならずとも、一度はやってみたいと思うのは少しも不思議なことではない。私も、そこまでのことなら、何も言うつもりはない。また『暗闇の丑松』という作品についての議論も、ここではやめておこう。それよりも私が危惧するのは、そうした橋之助の思い入れの、あまりに過度な純粋さであり、ひいては彼の、歌舞伎に対する思いの無防備さである。

思うに橋之助という人は、幼いときから先輩諸氏の舞台を良く知り、憧れ、且つ崇拝し、大人になったら自分もあんな風に演じてみたいと思い暮らしてきたような役が、無数にあるに違いない。紛うことない名子役であった彼の幼き日の舞台ぶりを思うにつけ、その感じは私にもよくわかる気がする。誰の宗五郎のときだったか、当時の幸二少年が、お使い物の酒樽を宗五郎のところへ届けに来る酒屋の小僧の役をやった。するとこの芸熱心な名子役は、酒樽に一杯酒の詰まった重さを知っているかのように、重そうに、しかし妙にそれを強調するわけでもなく、つまり芝居の流れの中でいかにも自然に、酒樽を魚宗宅へ届けに来るのだった。桶一杯なら桶一杯、水を張ったらどのぐらいの重さになるか量ってみろという六代目菊五郎の芸談を私はゆくりなく思い出し、深夜、芝翫家の風呂場で、皆が寝静まったころ、水道の蛇口をひねって酒樽に水を張っている幸二少年の姿が思い浮かぶような気がした。

つまり橋之助は、幼にしてそういう役者だったのだ。頭の中は150パーセント歌舞伎のことで充満しており、自分のことだけでなく、敬愛する諸先輩の芸を熱心に見、憧れ、尊敬し、自分もああいう風にやってみたい、亡くなってしまった諸先達の素晴らしい芸をそうやって再現し、世に知らしめたい、等々々、といった思いで満ち満ちているのに違いない。つい先達ても、五右衛門の葛籠抜けを演じるに当って、幼時に見た「延若のおじさんの五右衛門」への憧れと崇拝の念を語っていた。延若を愛惜する上で人後に落ちないつもりの私にとっては涙が出るほど嬉しい言葉だが、しかし筋書の談話で橋之助のこの言葉を呼んだ時、私は、人間橋之助に対して、その心根の純粋さに胸が痛むと同時に、役者橋之助に対して、ある種の危惧を覚えずにはいられなかった。

この人は、こんなにも歌舞伎を信じてしまっていいのだろうか? 現代というこの時代の中で? という疑問がひとつ。それともうひとつ、あまりにも多くの、こうした憧れや敬愛の念の充満している中で、橋之助は、自身を客観的に、時にはある意味で冷徹に、見切ることが出来ないのではなかろうか、という疑いである。

○○にいさんのやったあの役、あれを一度はやってみたい。△△おじさんが素敵だったあの役はボクにとって念願の役なのです・・・・そういうものをたくさん持っていることは、もちろん、役者として素晴らしいことである。それだけの知識と技量と、そして何よりも熱い志がなければ、そういう思いを常に胸に抱えていることは出来っこない。だが、いつまでも単なる「花形」でいることは、客観的にも、また年齢その他、自身の問題としても、もうそろそろ卒業しなければならないところに、橋之助は立っていると私は思う。憧れや敬愛や追慕の思いは思いとして、自分を見極め、己を知ることが、いまこそ大事のときだと、私は思う。あきらめろ、というのではない。己を知って、その中で何を採り、何を生かしていくべきかを考えるべきだというのだ。

父。伯父。兄。女方の家に育ち、二枚目役者として成長してきた橋之助は、自分でも、また周囲からも、そのように見られ、扱われてきた。それはそれでいいし、間違っていたわけでもないだろう。しかし、いよいよ成熟の時を迎えようとしている今、役者としての自分はどこに立つべきか、それを考える時だと私は思う。

ヒントになるかどうか。私の思っているところを最後に書こう。ついこの春、国立劇場でやった『金門五三桐』の此村大炊助に私は目を瞠った。一昨秋、平成中村座の『忠臣蔵』の通しでつとめた七段目の大星や平右衛門も、未成品ではあったが、骨格の大きい、時代物役者としての存在を示すものだった。実事役者。何もそういう役だけをやれというのではない。まず、自身の立つ位置を自覚せよということである。その上で、何をやったって、それはちっとも構うことではない。

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