国立劇場の真山青果二本立てが、入りが薄いとかいう噂も聞いたが、どうして、なかなか結構である。とりわけ、『将軍江戸を去る』が近頃出色だ。またかと思うほどよく出るので、あまり食欲をそそられないのももっともだが、この狂言に対する固定観念を洗い落とすよい機会と思って、ご覧になることをお勧めする。
出色は、例の「上野大慈院」の慶喜と山岡の応酬だ。ちょっと考えると、染五郎は山岡には線が細いのではないか、といったことを思いがちだが、今度の染五郎と吉右衛門の応酬を見ていて、なるほど、と思った。近くは吉右衛門と仁左衛門とか、遠くは寿海と八代目三津五郎とか、この場はとかく、大物同士の互角の渡り合い、いわば横綱同士の対戦のように思いがちだが、それは配役がそう思わせるのであって、戯曲として考える限り、むしろ今度の吉右衛門・染五郎の方が、本当の姿なのではあるまいか。山岡は少壮の身である。少壮の身ながら一身を賭して、慶喜に諫言しようとする。だがただの諫言ではなく、敢えて慶喜の逆鱗に触れ、慶喜を煽ることで、慶喜に翻然と悟らせようとする。その一身を賭した懸命さが、慶喜の琴線に届くのだ。
図らずも先月、『荒川の佐吉』で一身を賭した佐吉が成川郷右衛門を倒すのを見たばかりだが、そこに、両者に共通する青果の哲学があるわけだ。もっとも相手は成川と違って天下の将軍慶喜だが、自分よりはるかに巨大なものにぶつかってゆく捨て身が事をなさしめる、という意味では変わることはない。慶喜は、蟄居謹慎の身となった事のゆくたては、正確に認識している。だが「勤皇」という二字の故に胸中に鬱壊がわだかまっている。山岡はそこを突く・・・という経緯が、今度の吉右衛門・染五郎の応酬ほど、すっきりと伝わってきたことは、これまで幾度見たとも知れぬこの芝居で、あまりなかったのではないか。山岡の説く勤皇と尊王の相違など、とかく理屈のための理屈のように聞こえて、正直、この狂言にすこし食傷を感じていたこともあった。今度は、それがない。
もうひとり、ここで感服したのが東蔵の高橋伊勢守で、重鎮のつとめる役でありながらとかく不得要領に終わりがちなのを、東蔵は、この戯曲の中でこの役が占める役割を、はじめてじつに明晰に見せてくれたといって過言でない。伊勢守は慶喜と山岡の間に、さりげなく布石を打っているのだ。もちろん戯曲にそう書いてあるのだが、それがこれほどくっきりと見えたことは、これまであっただろうか?
久しぶりに「薩摩屋敷」の勝と西郷の会談が出る。ここでは、説得する勝の方が口数が少なく、説得される方の西郷が多弁なのが、「大慈院」との対照が利いている。歌昇は最初出てきたときは、西郷らしく作ろうとする扮装がちと気になったが、素直に衒いなくつとめているのに好感が持てた。この場もとかく、英雄、英雄を知る、といった事大主義から、やたらに豪傑笑いをしてみたり、妙に物々しくなりがちなのだが、その幣のないのがいい。
歌六は当代での海舟役者であろう。微笑をふくみながら、西郷の言に耳を傾けている風情が実にいい。
歴史劇というと、とかく、その人らしく、ということに、役者も見物もとらわれがちになる。この『江戸を去る』のような芝居だと、おなじみの人物たちだけに、」そちらが優先しがちになる。そういう通念からいうなら、山岡はもっと野生的な豪傑肌だろうし、伊勢守だって槍の泥舟である。やさおとこの染五郎や、根が女方の東蔵は剣客や槍の達人というイメージにはやや距離がある。しかし、というより、むしろそれだからこそ、というべきか。彼らはそうした出来合いのイメージよりも、脚本の求めるところを的確に演じて、効果を上げたのだ。
折から日生劇場では幸四郎が『カエサル』をやっていて、図らずもローマ史をベンキョウすることになった。塩野七生『ローマ人の物語』からカエサルに関わる部分を取り出して戯曲化したものだが、思うに脚本は、カエサル伝としてのローマ史の筋骨と、主な登場人物のキャラクターとを、塩野氏の著書に負っているのであろうと推察する。史劇というものは、シェイクスピアだってそうだが、歴史の筋(HISTORYのSTORY、つまり歴史とは本来「物語」なのだ)を要領よくかいつまんで運び、その間にいかに面白いキャラクターを登場させ人間模様を展開させるかに尽きるわけだが、さてここに、キケロというローマ屈指の文人が登場するのだが、渡辺いっけい扮するキケロはおよそ物を書くような人間には見えない。もっともキケロは、現実にはけっこう不器用でぶざまな姿をさらすのだが、渡辺はそっちの方は、持ち前のひょうきんさでそれなりに見せる。もっとも配役を考えた時点で、演出者にはこういう結果になるであろうことは織り込み済みなのだろうが。
『江戸を去る』では「黒門前」で天野八郎を由次郎がやっていて(この人としては三年分ぐらいの量のセリフをしゃべる役だ)ちょいとおもしろいキャラクターを見せている。つまりこれも、彰義隊副頭取にしては弱そうだが、山岡に揶揄されるように「上州あたりで饂飩ばかり食っていると知恵はその辺でとまりそうな」草莽の人物らしくは見えるわけだ。