随談第382回 大相撲技量審査場所って何だ?

またしても大きな地震があって、まだまだ落ち着かせてくれないようだ。そうでなくとも、いま他にしなければならない仕事を抱えていて、こんなことを書いているヒマはないのだが、やっぱりこれは、黙ってはいられない。

相撲協会としては、「想定内」の、その意味ではシナリオに沿っての展開なのだろうが、どうもこれは最悪のシナリオではないだろうか? 技量審査場所なるものの曖昧さもさることながら、根幹は、その前提となる処罰問題だ。

私の意見は、前回書いた「大相撲慈善場所」を読んでいただけばわかるが、事態が進んだいまは、夏場所本場所を慈善場所の趣旨で開催すべし、と修正すれば、意見の内容に変わることはない。要するに、一番実行可能で、且つ、私の理解する大相撲の伝統にも、あるべき姿にも適う方法だと思うからだ。だがどうも、「現在の」相撲協会の考える大相撲の伝統もあるべき姿も、それとは違うらしい。

放駒理事長のかねて言う、本場所再開のためのいわゆる三点セット「調査・処分・再発防止」なるものの実態がこれだった、ということなのだろう。疑惑力士に対して特別調査委員会の取ったスタンス・方法にも釈然としないものがあるが、それはこの際措いて、それを受けての協会の決定がこれなわけだが、一見これは、八百長(疑惑)力士に対して厳正な処置を取ったように見えて、じつは極めて形式的・事大的で、つまりこれは、相撲協会という「国体護持」のための、一種の「相撲協会無謬主義」ではないだろうか?

疑惑力士たちが仮に本当に悪質な八百長をやっていたとして、その連中を厳しく罰すれば、それで相撲協会は「膿を出し切った」ということになるのだろうか? 一部の不埒な連中がやったことでした、今後こういうことがないように努力いたします、と記者会見の場で理事たちが頭を下げれば、それで終りというのだろうか? (夏場所を本場所にしないのは、まだ未解決の部分が残っているからだそうだが、それはこの際、話の筋としては同じことだ。)そうすれば、やがてはNHKも放送をしてくれ、天皇賜杯も頂戴出来、公益法人としても認められることになる、のだろうか? つまり、そういう「シナリオ」なのだろうか?

琴光喜のときにも思ったことだが、はじめから正直に白状しなかったから、というのが厳罰を与えた理由だった。引退届を出せば引退として認め退職金を出し、出さなければ解雇、という今度のやり方にも、同じ論理が働いているに違いない。だが、その厳罰とは何だろう? 正直に言わないことが「膿を出し切ろう」と努力している協会に迷惑をかけたから、なのか? 親の心子知らず、ということなのか? 「親」である協会は正しく、正直でなかった「子」だけが悪かった、ということなのか? つまり、これで「国体を護持」する形式は整ったというわけなのか?

私もそうだが、世間の、それも昔から大相撲を愛し、親しんできた大方の人達は、八百長問題の「膿を出し切る」などということは、在り得ないことだと(直感的に)知っている。だから、「膿を出し切る」まで、という言い方には、形式主義か、でなければ事大的な権威主義を感じてしまう。いまここで名前を挙げるのは不穏当だが、あの力士があの場所辛うじて勝ち越しができたのは・・・といった類いのことは、相撲ファンなら誰だってたちどころに幾つも数え上げることが出来る筈だ。だがそれで、相撲が嫌いになったという人はほとんどいない。むしろ、そうやって(すんでのところで)勝ち越しを決めた○○山や××川が、別の場所でいい相撲を取って活躍してくれれば、拍手喝采を惜しまない。

何度も言ったように、栃若も柏鵬も、その他誰の時代だって、あまたの名勝負、忘れがたい一戦は、「膿を出し切った」が故にあったのではない、同じ場所、すぐその前の一番で△△錦が千秋楽に8勝目を上げて角番を辛うじて脱出した、などということはゴマンとあった筈だ。それを許容してきたのが、みんなが愛してきた大相撲なのだ。そうではないだろうか?(あのサッカーだって、ついこないだの慈善試合で三浦カズが決めたシュートを、ああいう風にみんなで計らったのだろう、と言った人もいた。しかしその人だって、決して、だからケシカランと言ったわけではない。)

どうしてもっと、相撲取りらしく、おおらかに出来ないのだろう。それにしても、今度の技量審査場所は、見てもいいですよ、というだけであって興行ではないのだそうだ。それなのに、土俵入りだの弓取り式だのもやるらしい。ああいうものは、見る人があって、はじめて意味を持ち、成り立つことだろう。歌舞伎の見得を、誰も見ていないところでするようなもので、よほどのナルシストでなければやっていられるものではあるまい。ま、実際には無料だからというので大勢見に来るのだろうが、それもまたチャリティというのだろうか? やはり金を取って興行すべきなのだ。普段よりは安くして、その上で、既に多くの声が上っているように、収益は被災地へのチャリティにすればいいのだ。そうしたからといって、相撲協会もなかなかやるじゃないか、と思いこそすれ、誰が批判をするだろう? それから、NHKも、本場所と同じように、放送すべきだ。

         ***

別の話だが、ついでに書いておきたい。白鵬以下の力士たちが被災者にチャンコの焚き出しをしたというニュースをテレビで見た。もちろん結構なことだが、見ていると、白鵬は襷掛けでなかなかよかったが、魁皇と琴欧州がぞろりと袖をたらしたまま、チャンコの入った容器を被災者に渡しているのを見て、アリャリャと思った。こういうときは、あんなぞろりとしたナリではなく、浴衣に襷掛けとか、もっとキリキリシャンとした格好でなければ! みっともないし、そもそも被災者に失礼ではないだろうか?

これも実は「別の話」ではないのだと思う。外出の際は和服を着用すべしという礼節のためのキマリが、妙な形式主義に陥った結果でなければいいが。相撲が本来の闊達さやおおらかさや素朴さを失ったことの現われという意味で、ふたつのことは決して無縁ではない。

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