随談第386回 『秀子の応援団長』

この三月、四月は、新文芸座だの神保町シアターだので、高峰秀子特集だの何だの、昭和10年代から30年代頃までの、見る予定にしていた古物映画がいろいろあったのだが、震災の後遺症やら節電が理由の休館やらのために、お目当てをかなり見損なってしまった。いわゆる名画は、またいくらも見る機会はめぐってくるが、昭和27年に高峰秀子がパリから帰った再起第一作の『朝の波紋』とか、同じ27年、原節子と三船敏郎の『東京の恋人』などというのは、いつまた機会がめぐってくるのか、あまり当てにはできない。(痛恨の極みと言ったって大袈裟ではない。)

名画ももちろん結構だが、別に名画というほどでもないが当時としてはごく当り前に作られ、当り前に見ていたようなものの方を、むしろ私は愛好する。極めの付き過ぎた名画は、さまざまな言説がいまもなお絶えずつけ加えられる(という宿命にある)ので、いつまでも(永遠に)「現代的」でありすぎて、作品自体が語ってくれている「当時」という「現在」が却って見えにくくなる。もっと有体に言えば、他人の手垢がびっしりついているのが、ちょっとバッチクて邪魔臭い。そこまで言わないとしても、極め付の名作以外の佳作・フツーの出来の作が玉石混交し合っている中に、思いがけない発見をしてオオと叫び出したくなるオモシロさは、古物ならではの愉しみというべきである。

そうした中からせめても見た幾つかの中で、『秀子の応援団長』は昭和十五年一月だか二月だかの作、高峰秀子十四歳である。同時に見たその翌年の作『秀子の車掌さん』は、監督も成瀬巳喜男だし原作の井伏鱒二の田園牧歌的ムードをよく生かして、こっちの方が映画として上等であることは確かだし、高峰としてもこちらの方が後年を思わせるものがほの見えて、もし「高峰秀子論」をするなら大切だろうが、それはそれとして私は『応援団長』に何故か「感動」した。なにしろ、『わたしの渡世日記』を読んでも、当の高峰自身が忙しくて完成試写も映画館でも見るヒマがなかったと書いている、その程度の作品である。とはいえ、『車掌さん』もそうだが、更に翌年の、こちらは名画の誉れ高い『馬』といい、十四、五、六歳ごろの高峰秀子というものの可愛らしさというものは、いま見ても素晴らしい。(それで思い出したが、やはり今回、せめてもと思って余震の中を見に出かけた昭和三十年の日活『銀座二十四帖』に出てくるやはり十五歳の浅岡ルリ子の可愛らしさというものも、のちにスターになってからが別人としか思えない。あたら「明眸」を分厚い付けまつげの中に埋没させてしまったわけだ。またここに写っている昭和30年の銀座の、とりわけ朝のたたずまいというものも、溜息が出るほどだが、それもまたの話としよう。)

ところでこの『応援団長』での高峰は、成上がりとはいえ金持ちの令嬢という設定で、伯父が「アトラス」なるプロ野球チームの監督で(この役を何とまだ壮年の千田是也がやっていて、戦後のいかにも新劇のボスみたいな千田しか知らない私には、大袈裟にいえば、新劇史を見直してみようかと思わせられるほどの感慨がある)、エースが出征して戦地へ行ってしまったために新エースになった第二投手が散々の出来で連戦連敗、秀子の作詞作曲した応援歌が俄然チームを奮い立たせる、という、つまりアイドル秀子がお目当ての「他愛もない」作なわけだろうが、それにもかかわらず「感動」したのは、14歳の高峰の初々しさと重ね合わせて画面からたちのぼってくる昭和十五年という時代が持っていた「空気」である。もちろん私はまだ生まれていない当時を、じかに知っているわけではない。にも拘らず、時代の空気は、この「凡庸な」映画の画面からも明らかに伝わってくる。往時の後楽園球場のグラウンドやスタンドが映し出されるだけで、私の知る戦後のそれと重ね合わせると千万言に優るものがある。旧き善き「戦前」が辛うじてまだ保たれていた、あるひとつの時代。それは、「戦後」を知る我々だから感じ取るのであって、昭和十五年という「現在」に生きていた人たちは知る由もなかったものだろう。

「アトラス」の対戦相手の各チームの選手のショットが映る。これがみな本物で、巨人の攻撃が満塁で、一塁走者がスタルヒン、二塁が水原、三塁が(後に戦死する)吉原という(「アトラス」からすれば)ピンチに中島治康が打席に入ってニヤリとする。(それにしてもこの打順はどう考えても変テコだ。)別なチームでは(のちに中日の四番打者になる)西沢がまだ投手で投げている。その他、さすがに昭和十五年となるとほんの一瞬の短いショットでは多くは見分けがつかないのが残念だが、野口二郎や阪神の景浦も写っていたような気がする。(ひとつひとつ確かめてみたいものだ。)

散々打ち込まれて悩むエースを灰田勝彦がやっていて、有名な『煌く星座』を劇中で歌う。『銀座カンカン娘』も巡り会わせがよくて再会できたが、戦争を挟んで9年後のこの映画でも、高峰と灰田はいいコンビを組んでいるわけだ。こうした作品に写っている大女優・名優になる前の高峰秀子の何というナツカシサ。それはある種のデ・ジャ・ヴュであって、かつてを知る知らないに拘わらないことだ。『宗方姉妹』『細雪』といった、名作になりそこねた名作、といった風情の戦後の有名作に出てくる高峰も、いま見ると実に興味深いが、その話を始めるにはちと長くなり過ぎる。今日のところはこれ切りとしておこうか。

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