随談第401回 又五郎その後、その他(修正版)

中学以来半世紀余のつき合いのあった友人の急逝など、数日来身辺少々慌しく、もう少し早くに書くつもりが遅なわったが、先週、せめて『寺子屋』の源蔵だけでもと思って、又五郎の様子を見てきた。事故からすでに十日の余、経っていたせいもあるかもしれないが、まず案じたほどの支障はなく勤め、舞台も滞りなく進められているようなのは何よりであった。もっとも、直後二、三日後に見た者の言によると、事態はもっと大変であったらしいから、これはあくまでも、所見日九月十三日の報告と思っていただくべきだろう。

アキレス腱の「断絶」とこの前書いたのはやや勇み足で、「損傷」という方が、目下のところは無事なようだ。(今月号の『演劇界』の吉右衛門・又五郎の対談を見ると、新又五郎は前にも一度、アキレス腱を切っているのだそうだ。アキレス腱を二度も切ったと聞くと、われわれ世代の者は、かつての大横綱羽黒山が、当時の地方巡業での軟弱な土俵が一因で、二度にわたってアキレス腱を切り、晩年の数年間、優勝から遠ざからざるを得なくなったという「古い話」をつい思い出してしまう。四〇歳近くまで現役を続けたこの老雄の最晩年、涙の全勝優勝というのが、私の大相撲観戦歴中ベスト3に数える記念碑となっている。が、いまは閑話休題としよう。)

ギプスをはめているというので、膝が折れないのでは『車引』もさることながら、『寺子屋』の源蔵で正座が出来ないとすればかなり致命的なマイナスになることだと思うので、何よりもそれが気掛かりだった。負傷したのは右足と聞いたが、見ると、両足とも肌色に近い包帯で包んである。片足だけが太くなったのでは却って見苦しくなるのを考慮したのかも知れない。膝は曲がるので、着流し姿の源蔵の立ち居にさほど気になることはない。冒頭の「源蔵戻り」で花道を歩く足取りなど、何も知らない観客なら何の不審も抱かないかも知れない。しかし七三で、ハタと心付き、早足になるとやや無理が出る。何もあそこで早足にならなくとも性根の解釈としては成立する筈だが、又五郎らしい几帳面さなのだろう。

その他、敷居をまたいだり、首実検の前後「びゃくろく」を上り降りしたりするときには、やや不自由になるのは是非もないとすべきだろう。肝心なのは、身替りを立てるのを打ち明ける戸浪との対話や、後段の松王夫婦とのやりとりなど、膝を折って折目正しく振舞わなければならない場面だが、低い合引を使って、正座は無理なりにさほどの支障は感じさせずに処理している。当然ながら、後見はボーナスを貰ってしかるべきであろう。

『車引』は再見はしなかったが、聞くところでは、花道の出入りはなしにして、下手に入り下手から出ることにしたとの由。後は、事故当日でさえ(それも直後である)、ここでも後見が活躍して何とか乗り切ったのだから、凡その想像はつく。それにしても、当日、脂汗を流しながら(とおぼしい中で)、肉体的にやむを得ない姿勢は別として、能うる限りの姿勢を保ち、動きを見せ、音吐朗々、荒事にふさわしい声でセリフを言う、つまり一点一画おろそかにはすまいと努める又五郎の役者魂は天晴れ見事、見上げたものと言うべきである。また吉右衛門の松王丸の雄大なスケールは、『車引』という芝居の、ひいては『菅原伝授手習鑑』という演劇世界のスケールをも劃して見せるかのようであり、それと見合う量感としては、もうひと息のきらいはなくもないとしても、歌六の時平の妖怪的な凄みもよかった。隈を取らず衣裳も変り色の上方式の桜丸を見せた坂田藤十郎は、後で聞くと、初日にはセリフも入らずかなりの不振であったそうだが、私の見た二日目にはきちんと整え、流石と思わせる仕上がりを見せていた。もっとも、「讒言によってご沈落」を立ち身のまま言ったのは、東京式に合わせた折衷型を狙ったのかと思ったのが、後には膝を突いたそうだから、なお流動的であったのだろう。やっていそうで、実は今度が二回目という。大ベテランにも、そうした盲点はあるものなのだ。新歌昇の杉王丸も骨法が体に入っていて凛然たる趣があって、これもヒット。つまり今回の『車引』というものは、当今かなりの高レベルのよき『車引』であったと見て差支えない。

『寺子屋』の源蔵は、新又五郎として懸命さ故の固さが見え、あまりにも竹本につきすぎるのが少し微笑をさそわれるところはある。しかし好感度としては高点を取れるという半面が、そのまま、この場の源蔵の在り様に通じるのが一得でもある。決して悪い源蔵ではない。吉右衛門の松王は、気宇の高さ、肚の強さと深さに於いて、今日これ以上の松王はないであろうし、魁春の千代、芝雀の戸浪、段四郎の春藤玄蕃らもまた、今日求められる最上の布陣であろう。新歌昇の涎くりが、大叔父(になるのかな?)初代錦之助の若いころにそっくりなのが、懐かしくもまたほほえましい。

新又五郎は、『沓手鳥孤城落月』の秀頼でも、一点一画疎かにしない朗誦的なセリフを聞かせる。ここにも、又五郎という役者としてのスタンスが示されている。ただ今回は、芝翫が初日限りで休演して私の見た日からは福助に代ったので、福助の演じ方との間にある種のズレが感じられなくもない。福助もこの代役、懸命に努めているのだが、良し悪しは他日の論として、これからの時代、この劇が変質してゆく予兆も思わせられる。思えばこの劇、曽祖父五代目歌右衛門以来、あまりにも権威主義的にこしらえられ、伝えられてきた半面がある。変化の予兆には、だから、良否それぞれの側面があるであろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください