随談第416回 『澤村田之助むかし語り-回想の昭和歌舞伎-』のこと

年内に滑り込みセーフという格好でようやく出版になった。企画立案の段階からいうと足掛け三年目である。

元はといえば、『演劇界』が現在の体制になる前、2001年から07年の4月号まで足掛け七年にわたって連載した『澤村田之助半自叙伝-世紀を越えて-』である。昭和三十八年から半世紀、ルポだ漫文だインタビューだ聞き書きだ座談会の司会だと、その名の出ない号はなかったろうと思われる程、八面六臂の奮闘をした土岐迪子さんが聞書き形式で記述、途中で体調不良でダウンした後は秋山勝彦氏がバトンタッチしての、ちょっと類のない長期連載だった。神山彰、児玉竜一両氏が発議、誘われて私も一枚加わって発起人のような形になって、以来三年、ようやく出版に漕ぎ付けたというわけ。

長期にわたる聞書きだから、話が前後したり、少しずつヴァリエーションを生じつつ同じ話題が繰り返されたり、急に、こないだ誰それさんが亡くなりましたね、といった風に別な話題が飛び込んで来たり、といったことが幾らもある。そこが連載の面白さでもあるのだが、単行本にするとなればこういうのは適宜整理する必要がある。またこういう仕事は、エイと思い切って集中的にやらないと散漫になる。そんなことも暇取った理由のひとつだが、去年の10月から三ヵ月、一念発起してそれに充てた。といったって、喰うための雑用から表看板にしている仕事まで、諸々こなしながらの作業だが、頭がこんがらかりながらもしかし、なかなか楽しい作業であった。はっきりこれは、役得であった。自分の著書と同じくらい、今では内容はすっぽり頭に入っている。

名子役として重宝されていた少年時代は、いわゆる戦中に当るのだが、当時の楽屋内、「○○屋のおじさん」と呼ぶ往時の名優たちから、子役仲間、脇役端役をつとめる役者たちの生態(といってよかろう)、巡業の様子などなど、記録としての意義はもちろん、読むだに甘酸っぱいような、懐かしさにうっとりする。(古い映像を見るときの、ある種の感動に似ている)。もうひとつユニークなのは、戦後の数年間、すなわち中学高校時代を、役者生活からすっぱり足を洗って全く普通の学生として過ごした時代のことで(田之助氏自身は、『青い山脈』を地で行くような学生生活だったと語っている)、ところがその間に、尾崎士郎や坂口安吾あたりならまだしも、徳田球一だの東富士だのといった名前まで飛び出してくる面白さ、意外性。ここらが、並の俳優本とはひと味違うところだろう。潜伏中の共産党幹部と面と向かい、のちの横綱、イヤサ力道山に誘われてプロレスラーになった当時の大関に、何と相撲部員として裸になって胸を借りたというのだから驚く。

中でも白眉であり且つ貴重なのは、他ではまず見られない往時の写真で、たとえば昭和18年に歌舞伎座で上演された『玉屋』の舞台写真。六代目菊五郎扮するシャボン玉売りのまわりに群がった子供達を見ると、田之助がいる宗十郎がいる先代門之助がいる先代三津五郎がいる、それから萬屋錦之介がいる大川橋蔵がいる。みんな、なんという可愛らしさなのだろう。

タイトルを変えたのは、『世紀を越えて』というのは、新世紀の変り目に当って連載が始まったからで、秋山加代さんの案だと聞いている。(蛇足ながら、秋山さんは小泉信三さんのご令嬢でなかなかの歌舞伎通だった、われわれからすると素敵な老女であった方である。)しかし二十一世紀も、はや十年代に入った今、この本のスタンスを(近頃よく聞く「立ち位置」という言葉を使えばいいのだろうが、どうもこの言葉、なるほど巧い言い方だとは思うものの、なんだかまだ気恥ずかしくて使う気になれない)現在の読者に端的にアピールするには、という観点から「むかし語り」としたのだが、われわれとしては、関心も価値ありと思う意義も、「回想の昭和歌舞伎」というサブタイトルに籠めたつもりである。

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