随談第439回 貼り混ぜ帖(その2)

先月使った「貼り混ぜ帖」というタイトルが便利でもあり何かと好都合なので、今回を(その2)として、これから続けていくことにしよう。

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松本尚久編『落語を聴かなくても人生は生きられる』を読む。ちくま文庫の新刊である。落語関連の本を熱心に渉猟しているわけでもなく、面白そうなのがたまたま目に入ったときに買って読む、行き当たりばったりの読者でしかない私が言うのも妙なようだが、これはちょっと、ざらには行き当たらない本である。白眉と言ってよろしかろう。行き当たりばったりとは言っても、それなりの勘は働かせているつもりである。

「編」という通り、多くの論者の一家言を集めたアンソロジーだが、まずその寄せ集め方、網の張り方が非凡である。網というものは、ただ広く張っていればいいというものではない。次に、並べ方にセンスと読みの深さがある。料理は食わせる順序が肝要であるように、アンソロジーも配列の気の配り方で生きも死にもする。全体を7つの章、といっても、ただ*を置いて仕切り1、2…という風に数字を振って、その都度、編者自身のエッセイをはさみ込む。エッセイと言い条、これがシャープな落語論で、更に全体をくるむように冒頭と末尾に「まえがき」と「あとがき」がついていて、それも単なる前書でも後書でもないから、要するに全9編からなる編者自身の落語論で各論者の文章を包み込むという格好になっている。つまり何のことはない、編者はアンソロジーを編みながら(編むと見せながら)、実は自著をものしているような趣となる。この、仕掛けの心憎さ!

最初の章を志ん朝から始める。小林信彦『志ん朝さんの死、江戸落語の終焉』と長井好弘『志ん朝最後の十日間』で、つまり21世紀第一年がひとつの大きなものの終りだった、というスタンスである。(言うまでもないが、歌舞伎にとってもこの年は歌右衛門の死んだ年である。)小林信彦の文は旧派の落語美学のひとつの典型として、巻頭を飾るにふさわしい。志ん朝は最後の名人だった、と松本自身も言う。20世紀とともに落語は楽園を喪失した、という視点が示される。

次の章に都築道夫『私の落語今昔譚』、池内紀『悋気の火の玉』、戸井田道三『人と人の出会う間』といった落語論の古典が並ぶ。落語とは何か。それが自明であった時代に書かれた落語理解がここにある。それは、最後の名人が死に落語が楽園を喪失したいまも価値を失わないが故に古典となった。

3から6までには、落語の「今」に沿って書かれた文章が並ぶ。(とりわけ5は、ブログやツイッターの採録である。いま中のいま。)小谷野敦『落語を聴かない者は日本文化を語るな』、日比野啓『金馬・正蔵はなぜセコと言われたか』、森卓也『上方落語・桂枝雀』、松本自身の『ある落語家―立川談志』は、いずれも、現代でなければ書かれなかった落語論という意味でそれぞれ面白い。「語り」と「話」と、落語の中に落語発生以来存在するふたつの系統を科学しようとする日比野の仕事は、在来の落語論から出て落語学としての試みといえる。なるほど啓発され同感するところ少なくないが、小谷野ともども、しかし正反対の意味で論がいささか一概に傾くのが、面白くもあり、読んでいてむずがゆくもなる。小谷野は確信犯だろうが、日比野はどこまでそれを自覚しているか?(などと日比野について言うのは、ちと深読みのし過ぎかもしれない。)

枝雀という噺家を私はどうしても面白いと思えなかったのだが、森の文章を読んでその理由を納得できたような気にさせてもらった。つまり有名になってからの枝雀しか知らない私は、森の言う意味での枝雀の神髄に触れることがなかったわけだが、ひとりの落語家をこれほど長期にわたって論じ続けた文章も珍しい。枝雀たるもの、以て瞑すべしといえる。松本の談志論は、死んで世の定説となったかに見える談志論に対する違和感を、解明する手がかりをかなり与えてくれたような気がする。論じやすい落語家、である(と思わせる)ところに、談志の栄光もブラックホールもあるのだろう。即ち、志ん朝に始まり談志に終わる、という構成である。

別格のような感じで、最後を久保田万太郎若き日の『寄席』で締めくくる。書名の所以だが、談志論で締めくくった後にもうひとつ、こういう文章で締めくくるところに編者のエスプリが光っている。談志が知ったら、面白ェ、と喜ぶだろう。

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澤瀉屋に話題を浚われた形の今月(いや、早や先月か)の歌舞伎界だが、地味だが拾い物は国立劇場鑑賞教室の『俊寛』だった。時代物役者の格を示した橋之助もだが、二十歳前の児太郎に千鳥、廣太郎に解説役を、芝喜松・芝のぶという研修生出身の実力者に康頼・成経をさせるという配役の新鮮さが、単によくやったという以上の効果を挙げている。引き締まった好舞台だった。それにしても芝喜松の顎のしゃくれ具合は、師匠芝翫の福助時代を偲ばせ、いまやその古典美は斯界の名物ではあるまいか。

どうかと思ったコクーン歌舞伎の『天日坊』も、明治維新の前年の上演以来だれも見たことのない黙阿弥の知られざる作を、国立劇場式の復活ではなく、宮藤官九郎の作品として再創造したところに意味がある。コクーンでやるならこうあるべきだし、有名作をいじくるより、『天日坊』のような非有名作や、おととし(だっけ?)の『佐倉義民伝』のように、現代での上演がむずかしくなりつつある、あるいは支持されにくくなっている作品を、新たな視点・切り口・料理塩梅で再生してくれた方が、宮藤氏や串田氏にとってはどうか知らないが少なくとも歌舞伎にとっては、ずっと意義がある。それにしても、獅童はこういうものをやると、まさしく水を得た魚である。

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首相官邸前に押し寄せた原発再稼働反対のデモの群集のどよもす声を官邸内で聞いた首相が、「大きな音だね」と言ったという。なるほど、あれは首相の耳には「音」であって「声」ではないわけだ。つまり、意味を持たない「音」なら耳を傾ける必要はないわけだ。これは漫才のネタになり得る。

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と、ここまで書いて、シアタークリエの『ええから加減』を見た。藤山直美と高畑淳子が女漫才師になる。なかなか面白い。芸道人情ものという古い革袋を借りて当世を盛り込むのにスパイスが小気味よく効かせてある。主役脇役それぞれの人物造形とがよくできている上に、絡ませ方が気が利いている。相方に死なれて漫談家になった古い芸人の役をしている役者が誰かに似ていると思ったら、元レッツゴー三匹のレッツゴーじゅんであったり、配役にも妙がある。シアタークリエとして快作と言っていい。

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