>歳のせいか、テレビを通して伝わってくるオリンピックをめぐる狂奔を、うるさいと感じることが多くなってきた。もともと嫌いなものではないから競技そのものの中継放送は結構見るが、風船だのゴムまりみたいなものが並んでいる幼稚園か保育園みたいなセットに「キャゼが吹ーいてる」とかいったテーマ曲が流れ出すと、やれやれとつい溜め息が出そうになる。テレビをつければオリンピック関連の話題が溢れ出してくるという、あの感覚に食傷するのだ。東京オリンピックの時は大学院生だったが、西脇順三郎さんの授業のとき、あゝうるさいなあ、早くオリンピック終わらないかなあ、と言っていたのが妙に思い出される。(西脇さんといえばもうひとつ、重量挙げのバーベルの重さなどというのは詩にならないが金槌の重さなら詩になり得る、と言っていたっけ。)
もっとも、喧噪は喧噪として、その狂奔の様子を少し距離を置いて眺めてみるのは、ちょっと面白くないこともない。取れると思っていた(と言ったって、ナニ、大方はテレビや新聞の言っていることを鵜呑みにする以外にはないのだが)金メダルが思うほど取れず、それがやがて苦難を乗り越えての感動の物語に作り直されてゆく「物語」をメインストーリイにして、さまざまな「感動の物語」が絡まりあって、ジャックと豆の木の豆の蔓のように天に届けとばかりに撚り上げられてゆく。最終日の夜、なんとなくグダーッとしてテレビを眺めていたら、またしても例のセットに例の男女のアナウンサーが出てきて、視聴者の皆さんの選んだ感動のベストテンなる番組が始まった。いつもなら、うへーっとばかりにチャンネルを切り替えてしまうところだが、待てよ、どんなものをどういう風に選ぶのかなと思って眺めてみた。つまり、なでしこジャパンと内村航平と北島康介とナニとナニとナニを、どういう順位に並べるのかな、というところに興味を持ったのだ。つまり、この人たちの作った感動の物語の中から、視聴者がどれをどう選ぶのだろう、という興味である。結果は、なでしこよりも内村、というものだった。北島もいいが、この両者よりはちょっと劣る。フェンシングなどというダークホースがその間に食い込んでくる・・・という具合である。これをどう読み取るか? 金メダルだけがすべてではない、と皆、思いながら、でもやっぱり金メダルでなきゃ、ということなのか。もし航平クンが下馬評通りはじめからスイスイと金メダルを取りまくっていたら、どういう評価になっていたろうか? などと考えだすと、結構面白い。
なでしこもよかったし(ある程度まともに見たのは最後の二試合だけだったが、大儀見という選手の、私はちょっとした贔屓になった。それまで全然知らなかった選手である(という程度にしか、私はサッカーに大した興味を持っていない)。ただ新聞に載る写真やテレビの画面に映るのを見て、いい表情をしている子だなあ、と思っただけの話に過ぎない)、女子バレーもフェンシングも(といっても、正直なところ、私の動体視力では到底、勝負は見極められない)アーチェリーも、間際になって転がり込んできた重量級のレスリングやボクシングも、その他その他、皆がよかったというほどのものはどれも結構だったが、しかし実を言うと、私は、オリンピックは所詮、陸上、それもトラック競技に尽きると思っている。要するに、どう転ぼうとオリンピックとは世界大運動会なのであって、運動会の華は何と言っても駆けっこ、つまり徒競走であり、その精華が紅白リレーに昔から決まっているのだ。競走こそ、人間が最初に考えたスポルトであろう。ボルトに限らず、世界の第一線の選手たちの走る姿こそ、まさに人間の身体の作り出す美の極限であって、あれに比べればいかなる身体芸術も及ばない。最も原初的でありながら最も極限に近い故である。日本人選手が出ていようがいまいが、誰が勝とうが負けようが、そんなことはどうでもいい。短距離は短距離、中・長距離は中・長距離、それぞれに、ただうっとりと眺めているだけで満足なのだ。
だが残念なことに、オリンピック全体が種目が増えたのと、日本人選手が活躍する種目が他にたくさんあるためだろうが、ボルトの出る短距離の他はテレビがちっとも放送してくれない。テレビの前にへばりついて、放送予定を隈なくチェックすれば一回ぐらいはどこかで放送しているのだろうが、生憎それほどの閑人ではない。結局、陸上の種目はほとんど見ることが出来なかった。以前だったら、まあ普通程度に見ていれば、日本選手が出ていなくたって、1万㍍でも八百㍍でも見ることが出来たものだが。ただひとつ、女子の100㍍というのを見ることが出来たが、これはボルト以上に美しかった。山県選手の100㍍予選も素敵だった。400㍍リレーの日本にも、前回みたいなわけには行かなかったが、かなりの程度、満足した。水泳も、陸上競技の美しさから見ると少々かったるいが、速さ比べという点ではこれに準じる。400㍍メドレー・リレーというのは、男女とも、確かによかった。前回の陸上の四百㍍リレーにちょっと似た、ほろりとさせるものがあった。
北島という選手のことは、われわれは、肉屋のにいちゃんがなかなかやるじゃないかと無邪気に驚き喜んだ八年前から、絶頂期の四年前を経て、普通ならもうあそこでやめていたであろうところを、実はみんな薄々、もう難しいんじゃないかと察しつつ、航平康介と大騒ぎしながら迎えた今回まで、八年の内に少年から壮年を経て老いを感じる年配まで、ひとりの選手を通して人生の縮図を眺めてきたようにも見える。戦い敗れた後のインタビューなど聞いていても、衰えを知って人間は大人になるのだ、という長いドラマを見ているような感もあって、なかなかいいものだった。
たぶんこんなことを言っても、賛同してくれる人はたぶん寥寥たるものだろうが、球技というのは、試合に時間がかかるのが、オリンピックという名の大運動会にはどうもあまり似つかわしくない気がする。サッカーなど、開会式の前から始めないと取組をこなせない。入学式の始まる前から補習授業をやっているみたいで、あまりいい感じがしない。野球がオリンピック種目からはずされたのも、その意味ではもっともという気がする。私は野球好きだが、オリンピック種目からはずされたことは別に残念とも思わない。女子のソフトボールがはずされたのは可哀そうだと思うが、それはまだマイナーな存在だからであって、意味が違う。サッカーも、女子はいわば女子のソフトボールに近い存在だからあってもいいと思うが、男子のは、世界選手権の予備軍のリーグみたいなものだろう。つまり、オリンピックはマイナーリーグということになる。