随談第499回 今月の舞台から

歌舞伎座の『義経千本桜』は大顔合せならではの大歌舞伎である。知盛を吉右衛門、権太を仁左衛門、忠信を菊五郎という配役は、今日能う限りのものと言って憚らない。

吉右衛門の知盛は、これまで私は、必ずしも芸質に会ったものとは言い切れないものを感じていた。剛直に押してゆくという芸風ではないからだ。昭和57年の暮だったかに、当時まだ30代だった團十郎(まだ海老蔵時代だ)の知盛に感じ入って以来、この役は團十郎だという思いがあった。今度の吉右衛門を、團十郎と比べてどうのというのではない。しかし、銀平のうちにせよ知盛になってからにせよ、音遣いに間然するところのないセリフは圧巻というほかはない。銀平の世話調子は、達者な演者であるほど、ともすると黙阿弥風に傾きやすい。あれだけ立派だった先の松緑にして、そのきらいなしとしなかった。だがこのたびの銀平のセリフは、見事に丸本時代物狂言の世話の声であり、調子である。知盛も、とかくダレがちな三悪道のせりふも聞きごたえがある。入水の量感も充分。比類なき知盛と言って差支えないのではあるまいか。

仁左衛門の権太が、「木の実」で、サウスポーで石を投げたのでオヤと思ったら、右肩を痛めているため11月以降休演という発表があった。そういえば桶を抱える花道の有名な形も何だかもこもこして変だと思っていた。三津五郎に続いてのこの報には、いかなる天魔の魅入りしかなどと軽口を叩いてはいられない。今の歌舞伎には、冗談を言っていられるだけのゆとりがないことが、誰の目にも見えてきている。

しかしこの権太はよかった。何より、生動感に溢れている。基本的には延若のやり方を踏襲しているかに思えるが、首を布に包んだり、褒美の陣羽織を羽織ったり頭からかぶったりは、おそらく仁左衛門自身の工夫だろう。手負いになって善太の一文笛を息も絶え絶えに吹く呼吸に、えも言えない悲痛美があって、しかもそれが全篇を象徴するかのようである。

菊五郎の忠信は、「吉野山」でスッポンからせり上がった一瞬にすべてがある。あの一瞬で、勝負あった、である。絶対の仁とはこのことであり、そこに菊五郎という人の値打ちがある。

と、こういう三人を置いておいて、梅玉の義経の程の良さというものは、伊達に役者はやってはおりませんと暗に語っているかのようだ。この人はいまや、名大関なんだなあ、とつくづく思う。「名大関」というものは、単に横綱のワンランク下の位というものではなく、並みの大関とは別の特別の「格」なのである。吉・仁・菊と三枚揃ったところに梅玉を置くと、なんとも絶妙の均衡が生まれる。名大関たる所以である。

芝雀の典侍の局を見ながら、いまこの芸の旬の季節にあるときに、雀右衛門襲名ということが考えられていい筈だと思った。これほど、何をさせても高いレベルで安定した実力を見せる人は他にはない。プロ野球なら、毎シーズン常に3割をキープして打撃十傑に顔を連ねている好打者のごとき存在であろう。

序幕の「鳥居前」を花形連だけで固めたのは、ひとつのアイデアとしてよかった。もっとも、お蔭で静の役など、「吉野山」「川連館」と三場面で三転することになったが、これは半無精などというものではなく、大顔合せのときにこういう配役が出来る融通無碍も歌舞伎の手の内と考えていいのである。その一人梅枝は、「鳥居前」では女形ということに意識が先んじたのか、妙に神妙になりすぎて生気がない。もう一役の小金吾で本領発揮、凛とした中に憂愁の風情があって、並みの小金吾たちとはひと味、いや、ふた味違う。

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幸四郎が国立劇場で熊谷を「陣門・組打」から「陣屋」まで通したが、幸四郎の時代物として、昔の劇評家風の言い方をするなら、結構頂ける、と思った。「陣屋」より「組打」の方がいいのは、(ご自身はどう思っているかは別として)「理」よりも浪漫の人なのだ。何故かあまりやろうとしないしあまり言われないが、私が密かにこの人の傑作だと思っているのは『毛剃』の九右衛門で、長崎弁と異国訛りがちゃんぽんになったようなセリフがこの人の口跡にぴったりだし、異国風俗などのちょっとバタ臭い風情が、誰よりも似つかわしかった。国立あたりで『博多小女郎浪枕』として通して出すといいと思う。間違いなく、当代随一であるはずだ。あまり他に仕出かした人がいないだけに、成功すれば後世に残る仕事になる。祖父七代目もよかったというから、「家の芸」にすべき仕甲斐ともなるだろう。

先月の『不知火検校』は原作へのアレンジの仕方に疑問があってもう一つ腑に落ちなかったが(自負していたほど絶賛の声が高まらなかったのでご機嫌がよくなかったとか、風の便りに聞いたが真相は知らない。でもこういう役者気質は、ユーモアがあって好感が持てる)、悪僧ぶりはなかなかのものだった。私はこの人の敵役をもっと見てみたいと思っているから、不知火検校のようなものに関心を寄せてくれることは有難いことである。

と、さてそこでだが、三津五郎の休演で、歌舞伎座の十二月の『忠臣蔵』の師直役が海老蔵になった由だが、私は、実は密かに、幸四郎の師直が見たいと思っていた。大星と二役は大変だろうが、この際、大奮発してくれてもいいとさえ、勝手ながら思っていた。十一月の方も、仁左衛門の休演で「四段目」の大星が吉右衛門に変ったために、播磨屋の師直が見られなくなってしまったのが残念である。師直で兄弟競演という夢は、私はまだ捨て切れない。

海老蔵の師直にも興味はあるが、しかし(これは正論として言うのだが)いまの海老蔵には、師直よりもまず、大星を先にさせるべきである。七段目はともかく、四段目ならなおさらだ。海老蔵の大星に幸四郎の師直なら、見たいではないか。

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衒いでも勿体をつけて言うのでもなく、永いこと歌舞伎を見ていると、嫌いな役者というものがなくなる。長い間には、皆だれしも、何かいいところを持っていることが分ってくるし、もちろん情もうつる。普段小さな役をやっている役者がときにいい役にめぐまれれば、声援のひとつも密かに掛けながら舞台を見守ることも珍しくない。

今月の「熊谷陣屋」で友右衛門が義経をやっている。オヤ、と正直なところ思ったが、考えてみれば三津五郎休演の煽りで巡ってきた大役なわけだ。ここで仕出かしてくれれば、役の上だけのことでなく、役者としてひとまわり大きな役者に脱皮できる機会ともなろう。期待して見たが、まあ、めでたさも中ぐらいといったところか。先月の『不知火検校』でつとめた、富の市に計られて犯される魁春のやった旗本の女房の夫の役など、友右衛門のよさが出ていて、ちょっとしたものだった。却って新作物などの方が、性格俳優的な特性を発揮しやすいのかも知れない。

友右衛門に限らない。高麗蔵の藤の方にせよ、松江の堤軍次にせよ、笑也の玉織姫にせよ、歌舞伎座でなら、秀調の川連法眼の妻飛鳥にせよ、その他その他、皆、一定のところまで来ていながら、なかなか殻を破ってそれ以上に浮上してこない。こうした役は邪魔にならないことが肝要だから、と言ってしまえばそれまでだが、どうもそればかりが原因ではないような気もする。

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三越劇場の新派が面白かった。失礼ながら想定外の拾い物である。尤も、想定外とは即ちこちらの認識不足の裏返しであり、拾い物とは読みの不充分さの半面でもある。月之助・春猿・笑三郎トリオの実力を甘く見ていたともいえる。即ち、ゴメンナサイ、である。

また一面それは、『婦系図』という芝居が良くできた芝居であることを、今更ながら再認識させられたことでもある。脚本の巧さ、ほとんど「型」ともいうべき演出、繰り返し上演されてきたが故の(誰が演じようともはや揺るがぬまでに練り上がった)完成度の高さは、同じ新派名作といっても、先ごろの『金色夜叉』などとは比較にならない。

とりわけ「めの惣」がよかった。余所事浄瑠璃ならぬ余所事長唄の『勧進帳』を使って芝居が進行する巧さは言い古されたようなものだが、それに祭の囃子を織り交ぜる具合が何ともうまくできている。下座、いや劇場音楽を演出に生かす上での模範のようなものだ。義経に見立てられた妙子が「海津の浦に着きにけり」で座布団に座るところからはじまって、劇の進行の寸法・長唄の詞章と劇の状況の関わりといったことが重層的に表わされる。もっともそれは、妙子の瀬戸摩純の好演があってこそ立ち現われてくる効果ともいえる。

お蔦の春猿も小芳の笑三郎も、過去にこの役々をやった誰彼と比べてどうのということでなく、ドラマとしての感動を生み出している。他の場ならまだしも、「めの惣」の小芳とお蔦をこれだけやれたというのは、ただ者ではない。

それにしても月之助も合せてのこの三人、今更のようだが思えば不思議な役者である。彼らがいなければ今の新派にこれだけの『婦系図』ができたろうか。脇役をつとめる新派の俳優たち(それは、皆、大したものだ。いま、これだけのプロフェッショナル集団が他にあるだろうか?)とうまく反りを合わせつつ、独自の色合いを出している。序幕の飯田町の隠れ世帯の春猿が、見慣れた新派の芝居の色合いとしてはてらてらするのが気になりながら、ふと、昔風の新派の芝居の絵看板を思い出させたりもする。そこらの微妙な兼ね合いがふしぎな魅力となっている。

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新国立劇場で『エドワード二世』を見る。シェイクスピアの先達としてのクリストファー・マーロウの作は、むかし英文学史の授業で聞いて以来、名のみ知りながら実際の上演を見るのは初めてだが、なかなか面白かった。シェイクスピアの史劇が、歴史をさっさっさっと、要所要所をかいつまんで押さえながら足早に運んでゆく手法といい、マーロウの丸取りであったことがよくわかる。違いはただテイストにあって、シェイクスピアに比べるとタッチがきつく、味は辛口、というより味もそっけもないまでにハード・ボイルドであるという、その分、見終わって劇場を出る母と娘が「よかったわねえ」と芸術鑑賞の余韻に顔を上気させながら帰路に着く、というような光景にはなりにくいかもしれない。

今度の森新太郎演出が、ギャヴィストンの扱いに典型的にあらわれるようにかなり過度に喜劇的なアクセントを濃い味でつけているのは、明快なメリハリをつける上では成功だったともいえるが、半面、このやり方だと、わかりやすい代わりに含みというものがなくなるから、人物像が良くも悪くも単純になるきらいがある。がまあ、本邦初演(か?)としてはこれでよかったろう。それと、現代服でシェイクスピアやマーロウをやるのはいまでは常套となっているが、このやり方にも、そろそろ反省があって然るべきではあるまいか?

それにしても、シェイクスピアにせよマーロウにせよ、内面描写だの心理描写だのという、近代個人主義の生み出した、ウジウジした人間観には無縁であるところが、今日の目から見ると実に爽快である。外面と行為だけを描きながら、人物の全体を捉え、見る者に突きつける。三島由紀夫ではないが、「書くべきことは古典の中に既にみんな書いてある」のだなあと、こういうものを見ると改めて思う。歌舞伎だってそうだろう。内面をうじうじほじくり返すのが新しい、という考えから、我れ人共に、そろそろ脱却したいものである。

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シアターXで三宅大輔作『月夜寒』というのを見た。川和孝氏が続けている「日本近・現代秀作短編劇一〇〇本シリーズ」という、一九九四年からほぼ年に二回、一時間足らずの短編を二本ずつ上演して今回が第三七回、もう一本の大島萬世の『貰ひ風呂』が七五本目、『月夜寒』が七六本目という、おそるべき息の長い仕事の一環である。

三宅大輔といえば、読売巨人軍の初代の監督であり、私などの少年時代には野球評論家として「ベースボールマガジン」などに子供には何やら難しそうな文章をしょっ中書いていたから、その名はかねて聞きつらん、という人物で、その人が歌舞伎批評家三宅三郎や女流劇作家三宅悠紀子の実の兄だと知ったのは後の事、帝劇創設に関わった実業家三宅豹三の子と知ったのは更に後の事になる。六代目菊五郎が戦前の早慶戦華やかなりし頃に慶応びいきだったことから親しくなり、大輔作の脚本が一度ならず、歌舞伎座の本興行で六代目が演じて上演された、という辺りまでは知っていたが、実際に作品を見たのは今度が初めてである。

『レ・ミゼラブル』発端のミュリエル主教にジャンバル・ジャンが感化され、悔い改めるに至る挿話を換骨奪胎した書換え狂言なわけだが、古色は免れないにせよ、きちんと劇作の骨法備わり、じっくり見ていれば今でも鑑賞に堪える。同じ六代目菊五郎所演作でありながら、小山内薫のやはり西洋劇の書換え狂言である『息子』などは、作者の名声のお蔭でたまには上演されるが、こちらは今度埃が払われるまでは埋もれていたわけだ。しかし私には、少なくとも『息子』より劣るものとは思われなかった。つまり三宅大輔は、私が何の根拠もなく独り決めに思い込んでいたような、お道楽で脚本を書いたアマチュア作家ではなく、きちんと劇作を志し、実作を書きためていた、れっきとした劇作家のひとりだったのだ。

以前、東京ドームの中にある野球博物館で、慶応時代の三宅大輔使用のバットというのを見たことがある。グリップのところに、何と呼ぶのか、小さな突起がついている。あれは何のためについていたのだろう? おそらくあれは、「ベースボール」がいまの「野球」に進化する、ひとつ前の時代の遺物なのに違いない。

          

帝劇で『エニシング・ゴーズ』を見たが、テーマといい音楽といい、近頃何やら難しくなったミュージカルが、そうなる前のアメリカン・イノセンスを衒いもなく見せていた時代の気分の何分のかにせよ、味わうことができた。同業者諸氏の口々には、本邦初演のときの大地真央に比べたら・・・といった意見が大方のようだったが、まあ、それはそうにしても、ミュージカルというものは本来こういうものなのだ、という良き昔の何がしかに触れることが出来ただけでも、近頃喜ばしいことである。

アメリカ人というのは、やはりこういうイノセントなものを作らせると堂に入っている。もっともこの中にだって、ルカとヨハネという、どう見ても東洋人蔑視という批判はまぬがれ難そうな人物が登場しているわけで、危うい火種は蒔かれているのだが。

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