随談第524回 今月の舞台から・團十郎のいない團菊祭と染五郎汗の十二役

新しい歌舞伎座ではじめての、というよりも、團十郎がいなくなって初めての、という形容辞をつけた方が本当はふさわしい團菊祭である。團十郎がいて、菊五郎がいる――そういうことを、われわれは余りにも当然のこととして思っていた。そのことを、改めてしみじみと思った、というのが今回の團菊祭を見ての一番の感慨である。

團十郎が欠けた分、舞台に穴が開いた・・・といった話ではない。そこに当り前のようにいたものが、いるべきものがいないということ。喪失感は、ラディカルな形でよりも、むしろしみじみとした思いとして、深く感じられた。もちろんこれまでだって、團菊そろわない團菊祭は時にあったが、そういう話ではこれはない。

菊五郎の孤独というものを、私は今度の團菊祭を見ながら絶えず思っていた。目の前で海老蔵が目をぎろぎろさせながら弁慶を演じるのを、しかしこれはこれで本人は本人なりにちゃんと考えてやっていることなのだな、などと得心したり、なるほど子供があんなに小さいのだから幡隨長兵衛という男は本当は海老蔵ぐらいの若い男だったのだなと頷いたり、菊之助の富樫や弥生や獅子を見ながらどうして彼はこんなに隙のない芝居をしようとするのだろう、などと考えたりしながらも、私は常に、その奥に菊五郎の存在を思い遣っていた。やがて菊五郎自身が舞台に現われて水野を演じ、魚屋宗五郎を演じる。海老蔵や菊之助を見た目には、まさに大人の芸であり、揺るぐことのない安定感が私を包み込んでくれる。この安堵感! これぞ、歌舞伎であるという満足感。

吉右衛門と二人で『身替座禅』を演じ『勧進帳』を演じたのは早くも先々月になるが、あの時にも同じものを感じた。しかしあの時は、一方に吉右衛門がいたから、何と言うか、もう少し張り詰めたというか、理解し合った者同士で演じる喜びの中にも、一種、昂揚感とでもいうべきオーラが前に出ていたが、今度は、いま言った安堵や満足の奥に、菊五郎の孤独を思わずにいられなかった。團十郎がいない。そのことを、菊五郎は舞台の上で、改めて思い、噛みしめていたのではないだろうか。それは、むしろ宗五郎以上に、水野に於いて印象的だった。水野という男の孤独と、菊五郎の孤独とは、理由も性質もまるで違うものであるはずだが、まわりに大勢人がいながら実は孤独であるという一点で重なり合うものが、見ている私にそう思わせたのに違いない。

もちろんこんなことは、客席から眺めている私の心の中で起ったよしなしごとであって、当の菊五郎が何を思いながら水野や宗五郎を勤めていたか、私の知るところではない。しかし間違いなく言えるのは、このところの菊五郎の舞台の、何とも言えぬ豊かさであり気力の充実である。不遜な言い方になるかも知れないが、それは私に、菊五郎というものへの認識を改めることを迫るものであった、と、正確に言おうとすれば、いうことになる。

團十郎効果といったら非礼に当るだろうが、團十郎の死が、菊五郎の心境に与えたものが、こうした形で顕われたのであるように、私には思えてならない。

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少しすっきりし過ぎたきらいはあるが、悪くない團菊祭ではあった。親たちの時代なら、海老蔵でも菊之助でももう一役二役、持ったり付き合ったりして、てんこ盛りにしたところだろうが、血気の筈の若者であっても腹八分でやめておき、スリムな体型を維持する冷静さを失わないのが現代というものかも知れない。

海老蔵は弁慶よりもむしろ長兵衛で、男伊達として人に立てられる者の骨柄を実感させたのを面白いと思った。弁慶はつい二ヵ月前に吉右衛門のを見ている。それはまさしく、当代の歌舞伎における弁慶というものを、あらゆる意味において具現するものだった。長兵衛も、いまや吉右衛門のイメージが圧倒的である。だがそうした圧倒的ともいえる吉右衛門のイメージの下にありながら、海老蔵の弁慶は、長兵衛は、決して自分の光を失うことはない。海老蔵は海老蔵の弁慶、長兵衛として、そこに生きて光を放っている。そこに海老蔵の海老蔵たる所以がある。

弁慶は、さっきも言ったように、しきりに引目を引いて目をぎらつかせるが、この前みたいに無意味に目を剥くのではなく、それなりに理に適っている。目を剥くことの是非ではない。一事が万事、すべて海老蔵なりに考え、合理性があり、何故そこでそうするのかということを、海老蔵なりに考え尽くした上で演じている。そこが海老蔵の海老蔵たるところ、というべきであろう。海老蔵はあれで、なかなか「考える人」なのだ。

その考えたところが、うまくはまる場合とはまらない場合があるのは当然だが、少なくとも今度の弁慶は、なるほど、そういうことなのかと私は得心した。これが2014年のいま、海老蔵の演じる弁慶なのだという意味で。

長兵衛は、序幕の山村座はいまの海老蔵ではどうにもならない。いくら腰を低く、慇懃に振る舞ったところで、腹の中の顕示意識が見え見えである。が、まあ、それも含めての話だが、長兵衛内の、長兵衛が実は若きパパであることの実感に海老蔵ならではの真実味があって、それから水野邸へかけて、こういう、焼けばブルーだのグリーンだのパープルだの、さまざまな色の煙が立ちのぼりそうな、生木のような長兵衛の方が、むしろ本来の長兵衛であるのかもしれない、などと思わせられたりする。黙阿弥の書いた長兵衛としてどうかという話ではない。「異能の役者」たる所以がそこにある。

菊之助というものを、どう考えればいいのだろう? 普通の形での劇評としてなら、今度の富樫にせよ。『鏡獅子』の弥生にせよ獅子にせよ、まず文句なしにほめて差支えないだろう。清新の気溢れる富樫、清楚にして凛然たる『鏡獅子』と書いてしまえば、もうそれで足りる。その限りで少しの嘘もない。だが、富樫にせよ、弥生にせよ獅子にせよ、お前は充分に満足したか? もし私の中のメフィストテレスにそう問われたなら、私というへっぽこファウストは、充分に満足した、時よ止まれと答えることができるだろうか? 

充分の中の不足、と言おうか。満足の中の不満足、と言おうか。おそらくこの吹っ切れなさは、菊之助が何を考え、何をしようとして演じているのかを、私が捉え切れていないからに違いない。「非の打ちどころない」という言葉を字義通りに取ると、菊之助の「現在」を表すことになるかも知れない。

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左團次が、弁慶ではないが一期の思い出のような『毛抜』をやっている。30年の余も昔の襲名の時にやり、その後、かれこれ20年ばかり前にやったことがあったが、それ以来だろう。元々、左團次という名前の手前と、大まかでマッチョな仁や芸風にふさわしいという処から襲名の演目に選んだのだったろうが、爾来30有余年、器用さや含みというものがない芸風は相変わらずながら、そこはそれ、何とも言えないとぼけたヒューモアが漂ってこの狂言に似つかわしいムードに通じたところが年の功というべきである。

松禄が『矢の根』の五郎というのは、こういう時の松禄の現在でのポジションというものだろうが、この人に甲の声が出るようになれば、松禄の荒事というのもひとつの存在になれるだろう。田之助が十郎で出て、これが新しい歌舞伎座初出演。舞台の上にいる所要時間こそ短いが、紫の似合う風情と言い憂いの利いたセリフと言い、さすがに本格の芸を見せる。

(これでまだ歌舞伎座に出ていないのは〇之助だけだ、という声をロビーで聞いたが・・・)

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明治座で染五郎が10役+2役=12役という奮闘公演。とにかく先ず、その意気やよく、『伊達の十役』の冒頭、例の十役のパネルを掛け並べた前で、やや気負った早口で十人の人物を解説する裃姿でする口上が、私が女性だったらカワイイと表現したくなるような好もしさで、言うならこの姿が、今回の『伊達の十役』全体を、更には今度の明治座公演全体をシンボライズしているかのようだ。

十役では与右衛門が何と言っても本役である。あれでやつしなりにもう少し色気と陰影が深くなったら、和事風の二枚目として江戸歌舞伎の伝統に連なることになるであろう。はじめはちょっとデカイなあと思った累が、殺しのくだりになって与右衛門とめまぐるしく早変わりを繰り返しているうちに、与右衛門のムードがうまく累にも相乗効果したかのように、しっくりしてきて、この場が全篇で一番の出来、即ち与右衛門が、今回の十役の核となった。

勝元はもちろんいい。(これが駄目なら染五郎はないようなものだが。)仁木も努力してつとめているから悪い出来ではないが、染五郎は染五郎であって海老蔵ではないのだから、ひと睨みしてワッと浚ってしまうような仁木ではないのは是非もないことで、従って恥じたりがっかりしたりする必要はない。(宙乗りはなかなかよく頑張った。)同じく仁になくとも、努力によって早変わりの一役としてなら充分にアクセント役として勤まったのが道哲であり、全幕中の長丁場で早変わりで逃げるわけに行かない政岡を敢闘賞ものの成績で乗り切ったのが、今度の『伊達の十役』をともかくも成功の部に押し上げる根拠となった。

ひと頃、桜姫だの何だの、女形に色気を見せた時期があって、色気不足が致命傷かと言ったり書いたりしたものだが、それ専門でやるのは無理でも、こうして十役の一つ二つとしてする上でなら、女形体験は決して無駄ではなかったことになる。若い時には何でも経験しておくものである。

もっとも、以上は十役から染五郎の仁を探りながら見た結果で、別な観点から、たとえばフィギュアスケートの採点みたいに、ア、いまのトリプルナントカはちょっと回転不足でしたね、審判が微妙なところをどう採点するでしょうか、などという具合にやったら話はまた違ってくるだろう。もしかすると、どの役も多少の増減はあってもみな百点満点の七十点台に納まってしまいそうな気もする。それを、うまく取り収めたと見るか、もっと振幅がないとツマラナイと見るか。私としては、そういう風に物差しで測定するように見るよりも、染五郎が十役をどういう風に演じるかに興味があったというわけだ。

もう二役、『釣女』と『艪清の夢』も初役だから、染五郎としては汗の十役どころか十二役だったわけだが、この『艪清の夢』がちょっとした拾い物である。もともと上方にあった狂言を亡き宗十郎が復活したものだが、こういう芝居こういう役は体に和事味がないと出来ない相談で、これをこれだけ出来るというのは、なかなか頼もしいと言うべきである。宗十郎路線の後継者とまで言っては、まだ早計だとしても。

「御殿」の場は、秀太郎が栄御前、歌六が八汐と揃って、ちょっとしたものだったが、とくに秀太郎は、このところ世話狂言のおばさん役でじゃらじゃら、じゃらじゃら、どこまでがセリフでどこからが捨て台詞かわからないような芝居ばかりが続いたが、こういうお家狂言でちょっと皮肉な肚のある役だと、やっぱり大した地力である。

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文楽の住大夫の引退興行で、国立小劇場が大変な入りだが、ロビーの一画に贈り物の花が飾られている以外、格別なことは一切していない。口上もなし、普通に一段を語り終えると、盆が回って静かに消えてゆく。やれ『鮓屋』だ『寺子屋』だといった大曲でなく、

『恋女房染分手綱』の「沓掛村」というややマイナーな出し物を引退の演目に選んだいきさつについて、事情通の裏話も耳にしたが、こういう味な作を味わい深く語ってお仕舞いにするというのも、なかなか洒落ていて悪くない。「滋味」という言葉にふさわしい語り口だった。思い出深いものになるに違いない。

それにしても今回は、この『沓掛村』もだが、『本蔵下屋敷』だの『丗三間堂』だの、マイナー作品集みたいな演目が揃ったのは、偶然なのかどうか知らないが、これはこれで面白い。『丗三間堂』はマイナーといっても有名作・人気作だが、愚作の見本みたいに言われる『本蔵下屋敷』などというのも、たしかに感心した作ではないが、それでも、夜の部の切りに出ている『鳴響安宅新関』などが、曲もなく歌舞伎の『勧進帳』をなぞっただけのようなのに比べると、『仮名手本』の二段目・九段目の裏話としての綾、詞章の凝り方、伴内をもじったと思しい伴左衛門というチャリの悪侍のバカバカしさ、文楽以外の何ものでもない作品になっている。明治出来の「忠臣蔵外伝」の匂いの芬々とする、忠義忠義で凝り固めたような内容は閉口するが、おそらくこの作の作者は、知性は大したことはないが、文藻といい、作者として大変な教養の持主であったに違いない。

(かの橋本大阪府知事が視察に来て生まれて初めて文楽を見たのが、たしか『鳴響安宅新関』だったのではなかったかしらん。よりによってどうしてこんなものを見せたのか知らないが、私だって、もし生まれて初めてみた文楽がこれだったら、文楽ナンテツマラナイと思ったかもしれない。でもそれにしては、時々上演されるところを見ると、結構人気があるのだろうか?)

夜の部で咲大夫が『女殺油地獄』の「油店の段」を語る。この作も、世評と違って実は私はあまり有難くないのだが、咲大夫の語りはそんなことを忘れさせる見事なものだった。母親と父親の、煩雑ともいえる気の配りようやらおもんぱかりやらの一々が、言葉が立って、耳に、胸に届いてくる。なるほど、こういう風に語られれば、やはり名作には違いない。

(但し殺しの場で、競技中に転倒したスピードスケートの選手よろしく、ツーッとお吉と与兵衛の人形を滑らせるのを何度もやるのは、考え物ではあるまいか。せめて、一、二度に留めておかないと、あの大騒ぎに何故子供が目を覚まして起きてこないのかと、変痴気論みたいなことを言いたくなってしまう。十歳というあの姉娘、なかなか利発でオマセではないか。)

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前進座が恒例の国立劇場公演で国太郎の『お染の七役』を出している。祖父や親の代からの歌舞伎の出身といえば国太郎、圭史、矢之輔、芳三郎ぐらいのもので、かなりのベテランといえども座の養成所出身者という世代だが、とにかく一生懸命、「歌舞伎をやっている」のが、ほほえましくもあり、時に感心もする。これはこれで、以前とはまたちょっと違った意味で「前進座歌舞伎」と言っていいのではあるまいか。

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