随談第536回 歳末あれこれ

随分永らく掛け流しのままにしてしまった。まあ、それ相応の理由があってのこととはいえ、とんだ新記録?を作ってしまった。ネタにしようと思ったこともいろいろあったのだが、タイミングが遅れると自ずから感興も薄れ、結局出しそびれることにもなる。借金返済と御礼とブログは、やはり出し遅れないことが肝要である。

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まずはやはり、今月の舞台からということになる。何と言っても国立劇場の『伊賀越』である。今年のベストワンというだけでなく、よくぞ今の時点で「岡崎」を、しかもこういうレベルで出してくれたということの方がもっと大きい。

成功の理由の第一は、眼目の政右衛門が赤子の首を切って土間に放り出すという件を吉右衛門が逃げずに真っ向から堂々と演じ切った点にある。先代でさえ、首を放り出さずに脇に置いたとか、昭和45年の時の二代目鴈治郎が、こつんと音のしないように小道具へ注文をつけたとかいう話が残っているが、言うなら余計な賢しらだったことが、今度を見れば明らかだ。眼目の、眼に一滴の涙云々という山田幸兵衛の歌六のセリフが見事だった。仇討物という枠をはるかに超えて、人間関係そのものが本質的に持つ非情さ、不条理が浮き彫りにされ、人間ドラマの普遍性が文字通り立ち上がった。青臭い言い方をするようだが、これが青臭いリクツとしてでなく、実体あるものとして立ちあがってきたのには驚かされた。

即ち成功の理由の第二は、山田幸兵衛の歌六が堂々と吉右衛門とがっぷり四つ相撲相撲を取り、見事に渡り合ったことである。今回の殊勲の第一を挙げるなら、吉右衛門もさることながら、歌六を挙げるべきであろう。

第三に、岡崎に集ってくる人物たちが、作者の趣向を越えて運命の糸につながれてドラマを織りなしているという、古典劇ならではの運命感となって感じられたことである。「情」とか「心理」とかいう、今日人(こんにちじん)の理解しやすいものでなく、人間の存在そのもののもつ「運命」が手応えを以て実在するかのようだった。(又しても青臭い言葉遣いになって恐縮だが、解ってもらうためにはこういう言い方になるのはやむを得ない。)

第四に、その、岡崎のこの場に集ってくる人物たちがすべて、適役であったことである。芝雀のお谷は「饅頭娘」の件が出ないのはさぞやりにくかったであろうがよく任に堪えた。(序幕の「行家館」に登場させたのは上演脚本としてせめてもの配慮であろう。少なくとも、彼女の置かれている立場・人物関係は明確になった。但し細かいことだが、股五郎の行家殺しが行われたのを上手の部屋にいる(筈の?)お谷が気が付かないように見えるのは、見ていてひっかかる。これは演出上の処理で何とかなる筈である。)東蔵はこの秋、ずっと国立劇場にまるで専属俳優のごとく居座って『引窓』のお幸をし栄御前をし、いままた幸兵衛女房おつやを立派につとめて、いまや脇の女形としての要衝を独りで守る人となった。又五郎も、誉田大内記が仁違いなのはやむを得ないが助平は好演だったし、錦之助の股五郎が男前の良さもなかなかの敵役振りであった。存在感があったのは役者が挙がった証拠である。さてそこへ、志津馬に菊之助というのは、音羽屋播磨屋両家に絆を結んだあの結婚がもたらした天の恵みというべきで、これといい、時分の花を開花させる寸前の莟の如き米吉のお袖といい、それぞれ事情は別だがいまこのときならではの配役の妙という意味では、天の配剤というべきであろう。これが、もう一年前だったら,志津馬に菊之助という配役はなかったろうし、米吉のお袖はこれほどの効果を上げられなかったであろう。(米吉はここまで来れば、もうひと頑張りで『矢口渡』のお舟ができるところまで来たと言ってよい。)すなわち吉右衛門以下すべての配役が、いまこのときにこの狂言と出会えたのがベスト・タイミングであったというのは、まさしく天の配剤というべきであろう。

第五に、「岡崎」に関する限り、今度の上演台本で原作に戻したという三点、すなわち上記の赤子の首の扱い、お谷がわが子の死を見とどけること、お袖が有髪の尼となること、以上がすべて効果を挙げたことである。すなわち、彼女等も単なるわき役でなく、ドラマを構成する一人一人として、自分の運命を知り、受け容れる主体的な人間としての場面を観客の前で持ったために、劇全体が「運命劇」として一層全き形で成立することになったのである。

と、かねてから折あるごとに「岡崎」上演を叫んできた私としても、めでたく「本懐」というところだが、さてこうなると更に欲が出て、歌舞伎座でも上演しようというところまで行くかどうか?

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つい『伊賀越』が長講釈になってしまったから、後は簡略に行こう。歌舞伎座は「玉三郎とその仲間たち」といった顔ぶれで、「大歌舞伎」とは称したものの、これは玉三郎が座頭なのか、それとも海老蔵その他の「花形歌舞伎」に玉三郎が上置きで出たのか、と某氏から問われて、ウームと返事に詰まったのは事実である。

まあそれはいいとして、昼の部は大きな器にほんのぽっちり、菜箸でつまんだように料理が盛りつけられているという、肥満だの糖尿病だのを患っている向きにはお薦めのようなボリュームだから、よほど絶妙なシェフの味付けがないと苦情も出かねない。眼目の『幻武蔵』の幕が開幕から50分後に下りてきたとき、「エ? これでお終い?」と思わず隣席の某氏に囁いてしまった。いつ芝居が始まるのか、何が何だかわからないうちに終ってしまった、というのが忌憚のないところ。玉三郎の小刑部明神と獅童の宮本武蔵の難しげな対話は、正直、よく理解できなかった。せめて舞踊仕立てにでもすればもうちょっとは何とかはなったのでは?とだけ言っておこう。

新振付で見せる『二人椀久』も、海老蔵の椀久が抜身をぶら下げたようでどうもしっくりせず、不発に終わった感じ。途中、脱いだ裲襠を、普通は松の枝に掛けるところを、根方に置いたつもりだろうが、そのまま見えなくなってしまうからゴミでも捨てたように見えるのは、一考なくては叶わぬとところだろう。

と、先頭打者愛之助の『義賢最期』がクリーンヒットで出塁したものの(梅枝の小万が曾祖父三代目時蔵の若き日もかくもやと思うよう。もし株だったら絶対、買いである)、後続続かず、せめて夜の部も併せて一本、と行きたいところだが、さて? その『北山桜』も、歌舞伎十八番の三役にプラス2の五役をつとめるという趣向は、景清の四役をひと流れの狂言に仕組んで『壽三升景清』を生み出した着想に通じる面白さはあるものの、なまじ「毛抜」と「鳴神」という確固たるものがあるだけに動きが取れない悩みがある。「毛抜」をいろいろいじくってみたものの、丸本物でもない『毛抜』に「大序」もどきの口上人形をつけるなどは、水と油の思いつきの域を出ないのはくたびれもうけだ。一方「鳴神」の方は玉三郎が絶間姫をつき合ってくれるためイジクルわけに行かず、それが却って救いとなったのは皮肉といおうか。但し、玉三郎の名誉のために言っておくと、この「鳴神」で演じた雲の絶間姫は、さすがと言わせるだけの見事なものであった。玉三郎の真骨頂を久々に見た思いである。敗色濃厚となってから出た快打一番の大ホームランというところ。

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立命館大学の赤間亮教授から予期せぬお座敷がかかって、小人数ながら、学生と一般の方々をこき混ぜた聴衆を相手に『忠臣蔵』の話をしに、暮の一日、京都まで出かけるという思わぬ旅をした。以前に出した『仮名手本忠臣蔵』という著書を、赤間教授のゼミ生たちが読んで、暮から正月にかけて学内で催す「いろは忠臣蔵」というキャンペーンの一環としてのミニ講演に白羽の矢を立ててくれたのだという。実はあの本の基になったのは、当時の『演劇界』にこちらから企画を持ち込んで一年間連載したもので、「鑑賞案内」の欄に表向きそれらしい体裁を取りつつ、私としては、人があまり言わない隙間を狙った「忠臣蔵論」をした、ちょっぴりユニークな「野心作」のつもりであったのだが、書いた欄が欄だったせいか、ちょっと変り型の鑑賞案内というぐらいにしか読んでもらえなかったような気がして、ちと無念にも心外にも思っていたのだったから、ささやか企画ではあっても、私にとっては嬉しい仕事ではあったわけである。

寒風吹きすさぶ、抜けるような碧空の日だったが、時間の合間にせめて等持院を久しぶりに見ることが出来たのもまさに余禄というものだったが、帰宅して翌日のテレビを見ると金閣寺に大雪が降っている。一日違いで大変な目にあう処だった。

せっかくの京都行きなので、お互い、死ぬ前に一度飲みたいねと年賀状に書いたのが五年ほど前、大学時代の同期で、その男のドイツ留学中に訪ねて行って丸ひと月、欧州旅行を共にした友人がいて、帰国後独逸語学者として京大教授になって、元々関東者にも拘らずそのまま彼の地に土着した男と35年ぶりに逢ったり、どうせならと南座を見たり、月並みな表現ながら、ちょいと乙な忙中閑の三日間を持つことが出来たのは幸せであった。

それにしても南座で『七段目』や『鳥辺山心中』を見るのは、いまさらながら何とも言えない感慨がある。表に出ればつい百メートルかそこらの距離に実物があるというこの臨場感は、京都ならではだ。舞台は勘九郎と七之助の『七段目』の平右衛門とおかるの意欲充実ぶりが抜きん出ている感じだった。

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他にもいろいろ、言うべき舞台はあったのだが、いまさら証文の出し遅れ、年賀状も書かなければならないし、まず本年はこれ切りとさせていただくことにしたい。来年もよろしくご愛読ください。

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