随談第545回 私家版BC級映画名鑑-名画になり損ねた名画たち-第一回(改訂版)

(謹言)前々回の543回に、表記のタイトルで新連載の第一回分を載せたが、その後作品を改めて見る機会があって、少々訂正の必要があることを知った。ついでに、前回の前文で一回1200字程度と書いたが、もう少し遊びがないと面白くないので、少々字数にゆとりを持たせ2000字程度とすることにしたい。という次第で、第一回分を改訂、仕切り直ししたものがこれである。

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映画の中のプロ野球その1『一刀斎は背番号6』(昭和34年大映、木村恵吾監督)

剣豪伊藤一刀斎正嫡第十七世と称する仙人のような髭を伸ばし朴歯の下駄をはいた人物が、ペナントレース開幕を飾る西鉄=大毎戦が行われる後楽園球場に現われ、前年の覇者西鉄ライオンズのエース稲尾の投じた一球を左翼観覧席上段に本塁打してしまう。じつはこれは試合前に一般参加で行われたアトラクションで、もし両チームのエースが手加減せずに投げた球を本塁打したら賞金5万円という余興だったが、納得できない稲尾は試合後もう一度あの人物と対戦したいと希望、今度はオリオンズのエース小野も加わって、二人の投じた球を一刀斎はまたも難なくスタンドに放り込む。早速スカウトが殺到、大毎オリオンズに入団した一刀斎はたちまちプロ球界のヒーローとなる。

昭和34年5月1日封切りの大映作品だから、当時の大毎オリオンズの選手が総出演、荒巻淳、小野正一、田宮謙二郎、山内和弘、葛城隆雄、榎本喜八etc、に加え、相手方の西鉄からは監督の三原をはじめ中西、豊田に稲尾が出演、更に特別出演として、「小西節」と呼ばれた名人芸の話術で鳴らした解説者の小西徳郎、名審判二出川延明に原作小説の作者五味康祐が出演するという、往時を知る者にはそれだけでも「歴史的価値」があるが、もうひとつ、当時の後楽園球場のスタンドが何度も映し出されるのも、今なおプロ野球は後楽園という思いが強い私などには貴重な映像と言わねばならない。(後楽園球場を舞台にした映画には、他にも『野良犬』『川上哲治物語』『四万人の目撃者』等々、いろいろあるが、この作もそのリストに優に加えられる資格がある。)

主人公の一刀斎役は若き日の菅原謙二で、新派の重鎮となってからも、ちょっと口の重い感じのゆったりしたセリフがなかなかいい味だったが、柔道もので売り出した当時、武骨で朴訥な好青年という役どころは絶好の適役というべきで、闇夜の手裏剣も避ける修行をしたそれがし、白昼、まして間合いを計って投げる球を打ち返すなどたやすき業でござる、などというセリフがよく似合う。奈良の山中で修行に明け暮れ、もはや海内に手合わせをする相手は合気道の達人某のみと立会いを求めて上京するが相手は不在、やむなく止宿した旅館のひとり娘の案内で都内を捜し歩くうち、ふとしたことから後楽園球場に紛れ込んだのが、野球界に幻の強打者出現という事態となったという筋書で、旅館の娘が叶順子、芝大門裏に住まう目指す相手の合気道家の娘が仁木多鶴子、どちらもいまとなっては知る人ぞ知る女優だが、当時の大映にあっては若尾文子に続く新進だった。叶順子は『細雪』でこいさん役をつとめている。向かいの美容室のグラマーガールで、さしもの一刀斎も悩殺される娘に日劇ミュージックホールから当時映画界に転身したばかりの春川ますみが出ているのも面白い。(私などが言うまでもないが『トラック野郎』で愛川欣也扮するやもめのジョナサンの女房の役で当世の方々にも知られた彼女の若き日である。)

叶順子の両親が菅井一郎と浦辺粂子で、彼等の経営する旅館の様子が、当時は都内にもこの手の和風旅館がいくらもあったことを思い出させる貴重な資料として面白い。いまもそのまま残っている大門の向こうに前年完成したばかりの東京タワーが見えるが、つまりこの映画に実写されている東京の市街は、かの『三丁目の夕日』に理想化されて再現されているものの実物だということになる。だが気のせいか、この東京タワーはかなり貧弱に見える。そもそも一刀斎の尋ねる相手の合気道家は、芝公園の森を切り崩して東京タワーの如き愚かしいものを建てたことに腹を立て、信州の山に籠ってしまったことになっている。

結局、一刀斎はやがて目指す相手の合気道家が急死したと知ると、未練もなくオリオンズを退団、老母に孝養を尽くすべく帰郷するのだが、野球選手として最後の仕事が、来日した米大リーグ選抜軍との試合で、2対零で抑えられていた全パシフィック軍が南海の野村(もちろん、あの人である)が内野ゴロの敵失で出塁、田宮の安打で走者1,2塁となったところで代打で登場、さすがの一刀斎もメジャー随一の投手を相手に二球続けて空振りするが、ここでタイムをかけて「お願いがござる」と言い出す。目隠しをしていただきたい、というのだ。ダッグアウトに戻って目隠しをしてもらい再度打席に立つと、邪念を払った一刀斎は次の一球を快打一番、歓声の中、叶順子と仁木多鶴子のアップのショットを映してエンドマークとなる終りも鮮やかである。

原作小説は五味康祐が剣の奥義を追及する武芸者を描いた『喪神』という小説で(直木賞ではなく)芥川賞を取ってデビュー、「剣豪ブーム」を招来した人気の出盛りのさなかの作品で、剣豪小説の映画化なら『柳生武芸帳』とか『薄桜記』などを挙げるのが常識だろうから、この作はその余滴が生んだ珍種というべきだろう。『薄桜記』は雷蔵映画として不滅の人気を獲得したが、雷蔵ついでに言えば柴田錬三郎原作による『眠狂四郎』シリーズこそ「剣豪ブーム」最高のヒット作であり、雷蔵は、剣豪ブームの映画化が生んだ代表スターということになる。

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