随談第551回 私家版・BC級映画名鑑 第4回 映画の中のプロ野球(その4)『四万人の目撃者』『お茶漬の味』『野良犬』

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『一刀斎は背番号6』や『川上哲治物語・背番号16』に映像として留められている後楽園球場のスタンドの様子のことに触れたが(『背番号16』には一度ずつだが神宮球場と甲子園も出てくる)、野球そのものがテーマでない作品の中にプロ野球の場面が出てくるのも、昭和20年代から30年前後の世相の反映であり得たからで、学生野球やラグビーの場面は青春のシンボルのお定まりとして登場はしても、戦後という時世を映す役には立たなかった。プロ野球そのものが、社会の縮図たり得たのである。

昭和35年制作の堀内真直監督の松竹映画『四万人の目撃者』は野球映画ではなく、有馬頼義の同名の推理小説の映画化で佐田啓二と伊藤雄之助が刑事になる推理物だが、満員の後楽園球場で試合の真っ只中に事件が起きる。目撃者が四万人というのは、後楽園球場がぎっしり観客で埋まった満場注視の中で、中日ドラゴンズの強打者西沢道夫が三塁打を放って滑り込んだところで事件が起こるからである。西沢本人が出演し、マスコットバットを放り出して打席へ入るショットは俳優がやったのでは到底出せない迫力がある。

小津安二郎の作品にも後楽園球場が出てくる。失敗作と見做されているので論じる人は多くないが、昭和27年封切りの『お茶漬の味』で、商社の幹部社員だが地方出で味噌汁をご飯にかけて美味い美味いと食べるような夫を疎ましく思い、有閑の友人グループと遊び歩いている妻という夫婦を、佐分利信と木暮実千代が演じている。失敗作にこそ「らしさ」がよく現われるという意味で、数ある小津作品の中でも私はこの作品を愛好するものだが、その遊び仲間の淡島千景や姪の津島恵子等と後楽園球場へナイターを見に行くという場面がある。ちょうど、「3番レフト三宅」が凡退したらしく続いて「4番センター別当」というアナウンスと共に、毎日オリオンズの別当薫が打席に入ったところで、ほんのワンシーン、スタンスの広い独特の優美なフォームでバットを構える別当の姿がロングで捉えられる。プロ野球をナイターで見るというのが、昭和27年、この年の4月に講和条約が発効して占領状態から脱却、ようやく戦後ではなくなる第一歩を踏み出した、時代の先駆け的なシンボルなわけだ。

神宮球場にはその前から照明設備があり、三年前の昭和24年にサンフランシスコ・シールズが来日した折、神宮で夜間試合(と当時は言った)をしたことがあるが、黄色っぽい灯りの、あまり明るいものではなかった。後楽園のはカクテル光線というそれまでとは段違いに明るい照明で、「ナイター」という新語と共に、プロ野球ならではのイメージで新名物となっていたのだった。試合開始が近づいて夕暮れてくると、(確か、「点灯致します」といったアナウンスがあったと思う)照明が一基、一基つくごとに拍手が起ったものだった。つまり照明が点灯されるのも、「見せ物」の内だったのである。

(『お茶漬の味』の画面にはナイターの他にも、パチンコ屋、競輪、ラーメン屋、羽田飛行場から出発するプロペラが四発の大型旅客機と野天の送迎台、特急の展望車、前年開場したばかりの歌舞伎座など、終戦から七年という時代の諸相が映し出されている。だが今はそれらに深入りしている隙はないから、「お茶漬の味の中の昭和27年」とでも題して、いずれ項を改めて語ることにしよう。)

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ところで後楽園球場が映画の中でこうした使われ方をしたおそらく第一号が黒澤明の『野良犬』だろう。BC級どころか昭和24年度の「キネ旬ベストテン」3位に選ばれ今なお名作の誉れ高い作だが、ここでは昭和24年という時代を切り取るために選ばれた後楽園球場のプロ野球というところに的を絞っての話である。

兵隊帰りの若手刑事の三船敏郎が、ベテラン刑事の志村喬の協力を得て、山本礼三郎演じる拳銃の闇ブローカーが野球狂だということから、巨人・南海戦の行なわれている後楽園球場の中で逮捕するという場面である。満員の後楽園球場のスタンドでの二人の刑事の動きとグラウンドでの試合開始前の練習や試合の模様がめまぐるしく交錯するが、球場の場面は全部で約12分、おそらくこれほど球場と試合の模様が詳しく、躍動的に描写された映画はないと思われる。  (ついでに言うと、映画の中では拳銃のブローカーのことを「ピストル屋」という言い方をしているが、ピストルのことをパチンコとも言うので、ピストル屋をパチンコ屋と間違えるという場面もある。『お茶漬の味』に先立つこと三年で、パチンコ屋がほんの端役でだが登場しているわけだ。黒澤は『お茶漬の味』と同年の『生きる』でも、余命のないことを知った主人公が刹那の憂さを晴らすひとつとしてパチンコを使っている。)

昭和24年だからまだ一リーグ時代で、当初脚本は巨人・阪神戦の予定だったらしい。それが何故、巨人・南海戦に変更になったのかは知らないが、この年の巨人・南海戦というのは一種因縁試合と化していて、前年までの南海のエース別所を巨人が強引に引き抜いたしこりが残っていた(別所はシーズン開幕当初、たしか100日間だったか、出場停止処分を受けていた)ところへ、開幕間もない四月、試合中のトラブルから巨人の監督三原が南海の捕手筒井を殴って出場停止処分となった(ポカリ事件と呼ばれた)上に、5対2とリードされた9回裏、川上が逆転満塁本塁打を放つという離れ技を演じたり(その年の暮れ、買ってもらった「野球いろはカルタ」の「い」は「一打よく川上満塁ホームラン」というのだった)、波乱含みであったから、そういうことも踏まえての変更であったとすれば、その第9戦という映画の設定は、「野球ファンならこの試合、見逃すはずはない」だから犯人は必ず見に来ている筈だという志村喬刑事のセリフは、現実に照らしても充分説得力を持つことになる。

グラウンドの情景では、まず試合前の練習風景が、いま見ると珍しくも懐かしい。現在では専ら打撃練習だが、当時は、2列に向かい合ってトスバッティングとか、いまでは見かけなくなったいろいろなやり方をしたものだった。(そういう際の藤村やスタルヒンの観客を意識してのショーマンシップぶりがなつかしい。近年ではイチローの背面キャッチがわずかにそれに匹敵したが、それももう昔話になってしまった。)カメラは一塁側、すなわち巨人側から撮っていて、背番号から16川上哲治、23青田昇、3千葉茂、17藤本英雄(日本球界初の完全試合を達成した中上英雄は当時藤本姓だった)、21川崎徳次、25平山菊二、19多田文久三、7山川喜作、1白石勝巳(後の広島カープ監督)などの姿が読み取れる。試合が始まると、巨人の投手は川崎で、腕をぐるぐる回してから振りかぶるという今では見かけなくなった投球フォームが既に時代を語っている。南海の投手はアンダースローの武末悉昌、顔ははっきり見えないが捕手は筒井、サードは監督兼任の山本(鶴岡)一人、これは俊敏な身のこなしからもわかるがショートは木塚忠助であろう(そのコマネズミのようなすばしこさは正しくチュウスケだった)。巨人のレフトは大飛球をフェンスに手を掛けジャンプして捕球、敵の本塁打をフイにする名人芸で「塀際の魔術師」と呼ばれた平山で、まさにその魔術師ぶりを見せるショットがロングで捉えられているのには感激せざるを得ない。(これを映像に残してくれただけでも、黒澤明は私にとって名監督の名に値する!)その他、三塁を蹴って本塁に突入する走者が、今日の走塁では考えられないような大回りをして来ることだとか(当時、日本の野球が本場アメリカに比べ一番劣るのが走塁だと言われていた)、バットを強振したり滑り込んだり激しい動きをすると、何かというと帽子が脱げることが多かったのも当時の野球の一風景で、あればかりは昔はよかったとは嘘にも言えないお寒い風景だったが、映画の中でもわずか12分間に三度も、帽子の脱げる光景が写っている。(デザインの問題もあるだろうが、おそらくそれ以上に材質が悪かったのだろう。走塁の際、帽子を鷲づかみにして走る選手もよくいたが、阪神の藤村の場合などは如何に猛虎タイガースという猛々しい感じが、ひとつの名物たり得ていた。)

場内アナウンスのウグイス嬢(という今では随分と古風な呼び方も、この当時の、つまり戦後の女性の社会進出のひとつの反映として生まれたものであろう)の、「○○さま、迷子のお子様が放送席の屋根の上にいらっしゃいます」という放送があり場内笑いの渦の中、父親らしき男が出てきて子供を抱きかかえて引っ込むという微笑ましいショットがあり(場内放送の席はグラウンドに面してダッグアウトの並びにあった)、それをヒントに、犯人を場内放送で呼んでおびき出そうという作戦を思いつくというシナリオは秀逸で、それが功を奏して見事に逮捕に成功するのだが、ちょうどその時に「ジャイアンツ、ラッキーセブンでございます」という場内アナウンスと共に観客が立ち上がり伸びをするショットが写ると、それにまぎれて犯人も二人の刑事も行動に移る。これは当時、七回の表と裏、それぞれのチームのファンが立ち上がり、アーアと背筋を伸ばしてひと息入れるという慣習があったのである。7th inning stretchというのだそうだが、そんな言葉は当時はもちろん知らなかった。思うにこれも進駐軍のアドバイスによるものだったのだろう。(スタンドの椅子も木製のベンチに古新聞を尻に敷いて坐るだけのもので、一人一席という仕切りなどないから、詰めて坐れば定員などあってないようなものだった。『お茶漬の味』でもまだこの式で、現在のような一人掛けの椅子になったのはかなり後になってからのことだった筈だ。)

もう一つ、アイスキャンデーを売り歩く売り子に手配写真を持たせ、犯人の居場所をあらかじめ突きとめておくというのも、うまく考えた妙案と言うべきで、果して犯人が二度、キャンデー売りを呼び止めると、売り子が隠し持った手配写真と照合するショットがある(つまり犯人は二回、キャンディーを買ったわけだ)。一回目の売り子の通報で犯人の席を特定し、二回目の通報で行動に移ったという設定なわけだが、本当を言えば、超満員の大観衆(「何人ぐらい入るんだろう」「5万人と聞いています」という志村刑事と三船刑事の会話があるが、『四万人の目撃者』に比べると1万人、多いことになる)の間を、顔が割れているとはいえそう簡単に探し出せるものかどうか疑問も残るが、この設定自体の面白さで、少なくとも「芝居の嘘」として成立すると言っていいだろう。)

ところで二回目の通報者は大学の学帽をかぶったアルバイトの学生で、「すみません売切れです」と下手な言い訳をして通報するのだが、当時の学生はみな帽子をかぶっていた。刑事たちももちろん、犯人も、中折れなり鳥打帽をかぶっている。小学生に至るまで、男の無帽が普通になったのは、昭和30年代になってからであろう。何よりも戦後という時代を語っているのは、アイスキャンデーなる割り箸の片方を芯にした粗末な代物で(一本10円と、はじめに犯人から声を掛けられた女性の売り子が答えている)、街中でも至る所、自転車の荷台に木箱に入れたのを積んで辻々を走り回って売るのを呼び止めては買ったものだった。同じアルバイトでも、納豆売りは小・中学生、アイスキャンデー売りは大学生なり、ともかく大人が多かった。

この『野良犬』にせよ、同じ頃に作られた『静かなる決闘』など、私は黒澤映画では大家になってからの物々しい大作より、むしろ初期のものの方が好きだが、この約12分の野球場の場面を見ても、当時の黒澤監督の瑞々しい冴えがよくわかる。

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