随談第665回 五月は長し

長い5月だった。明治座を見たのが初日の三日、歌舞伎座が六日、鶴澤津賀寿が人間国宝になったのを祝う会があったのが七日の日曜、そのあとに前進座の公演や文楽を見に国立劇場へ行く日が続くなど、まあ初めの二週間はいつもとさして変わらない足取りで日が過ぎていったのが、にわかに慌ただしく時が過ぎ、そのことが却って、振り返って日の経つのを長かったと感じさせる。理由はもちろん、例の一件である。しかし「あのこと」は、ここには書くまい。ここには、いつもと変わらぬ閑文字を連ねることにしよう。

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例によって訃報から。

中西太。その打者としての凄さは今更ここに書くまでもない。多くのことが言われ、書かれている。しかしいま思っても、昭和31年からの3年間で、それまでの常勝巨人で回っていたようなプロ野球を、大河の流れを変えるように変えてしまったのは、90年に及ぶプロ野球史でも屈指の大事件であったことは確かだろう。しかしその打った本塁打数の案外な数字は当時のボールが重かったことを如実に語るもので、記録というものの一面のむなしさを思わずにいられない。

池田敬子という名前を見たのは何十年ぶりだろう。女子の体操競技というものを一般人に知らしめた功労者と言うべきか。器具や用具も、今のような機能的でスマートなものでなく、学校の体育の授業で使っていた跳び箱だの何だのと大差ない野暮ったいものだった。選手の、とくに女子選手の体格スタイルも今とはずいぶん違っていた。尤もその分、池田選手は、今の選手とは比較ならない貫禄があったわけだが。

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栃ノ心が引退した。引退の弁を語る顔がじつによかった。相撲界のいろいろな事情で客の入りが悪く、昼頃から出かけても当日売りが楽に買えた10年前後の昔、東京場所には毎場所二、三日は見に行っていたひと頃がある。そんな頃、三段目の終わりごろから取組みを見ていると、ひと際立派な力士が控えに座っているので見ると栃ノ心だった。怪我で幕下の下位まで落ちていたのだった。以前、新入幕の頃、山ノ上ホテルの麓で姿を見たことがあった。のっぺりした感じであまり感心もしなかったが、その頃とは見違えるように気合の入った充実したいい風格だった。ひと目でファンになった。それからの快進撃で、十両へ、更には幕の内へと番付を戻し、次の大関候補は栃ノ心という声も上がったが、その通りだと私も思った。ちょうど逸ノ城や照ノ富士が上がってきたころである。実際に大関になったのは、その間に照ノ富士が大関になり、稀勢の里との一番で膝を痛めて陥落し、その稀勢の里が替わって大関になるといった諸々があってからで、期待したよりは大分後のことだったが、強引な取り口だがまさしく怪力無双といった土俵ぶりには風格があった。

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いまだに腕時計はねじ巻式、寒暖計は水銀柱が上がったり下がったりするのを目盛りで読む式のを使っている。水銀柱も20度を超える高さまで上るようになると、その量感から暑さが実感されるようになる。数字で24.5などと出るとのでは実感が違う。残念ながら、昔の寒暖計は、水銀柱をはさんで目盛りがFとCとになっていて、つまり華氏と摂氏と両方が測れたものだが、残念ながらいま愛用しているのは摂氏のしか目盛りがない。しかも誰かが旅先の土産物屋で買ってきたものらしい代物だからどこまで正確なのかも保証し難いのだが、一応、摂氏50度から氷点下20度まで測れるのだかられっきとしたものと考えていいに違いない。少なくとも、天気予報で予報官と女子アナが掛け合いでじゃれ合いながら、じゃあ何か羽織るものが必要ですね、だの、午後は半袖でいいでしょう、などというのより、わが愛用の寒暖計の目盛りの方が、暑さ寒さ、涼しさ温かさの微妙な程の良さが実感出来る。

腕時計も毎日一定の時刻に秒針を合わせるのが自ずからなる日課となっているが、最近途惑うのは、NHKのテレビで以前のように時報をきちんと放送しなくなったことである。以前は、正何時という時刻になると、ピンピンピンポーンと、ラジオ時代以来の方式で時報を鳴らしたものだが、最近は、シャシャシャッカーンといった感じの曖昧な音が鳴る。以前の方式だと、はじめのピンピンピンは陸上競技の「用意」に相当し、つぎのポーンが号砲一発に相当するものと自ずから分かったが、今のやり方だと、はじめのシャカシャカなのか、後のシャッカーンなのか判断がつけにくい。まあ、大体合わせればいいのだろうという感じで当てにならない感じが否めない。

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今月は芝居の話題はなし。大変な世の中になったものと思うしかない。

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