トトロの家
このブログを始めてまだ間もない頃のことだが、トトロの家のことを書いたことがある。尤もその家がいわゆる「トトロの家」ということになったのは話の順序から言うと更に後の、火を出して焼失してしまってからのことになる。
昭和の初期のものとすぐわかる、赤いスレート瓦を載せたその「洋館」は、20年前、今の練馬の家に越してくる前に住んでいた杉並の阿佐ヶ谷の家から歩いて二、三分という近所だったから、戦前から戦後をつなぐ東京の郊外のひとつの風景を偲ばせる懐かしいものとして、今もその残像を瞼に、また記憶に残している。その洋館が、過失か何かで火を出して焼失したのはかれこれ既に10年の余の以前のことだが、北原白秋が晩年、阿佐ヶ谷に住んでいたと聞くがもしかしたらあの家ではあるまいか、とかねて思っていた私は、そのことをこのブログに書いたのだった。と、それを読んですぐに調べてくれた人があって、それによると、白秋の住んでいたのは確かに我が家からほど近くではあるがこの赤瓦の洋館とは反対方向へ、もうちょっと離れたところだったらしい。
その後、私と入れ替わって阿佐ヶ谷の家に住まっていた兄が亡くなった時、久しぶりに訪ねると、跡地は公園になっていた。つまりそれが、トトロの家を記念して作られた「Aさんの庭」なる公園である。宮崎駿氏がトトロの家をイメージしていたという縁から、杉並区に働きかけてのことであったらしい。「トトロの家」のことは今では多くの人の知るところだろうが、かつてその持ち主だったという女性が亡くなったという記事がこのほど新聞に大きく出た。大変なご高齢で、元々、戦前の良き時代に養父であった方が建てたものだったという。東京23区の西端に位置する中央線沿線は、関東大震災で旧市内が壊滅的な状況になって以後、急速に開発が進んだと言われるが、折からのモダニズムの風潮と相俟って、文化人好みのハイカラな住まいとして、ああしたたたずまいの家はそちこちに見かけたものだった。小学校時代の同級生にI君という、お父さんが絵描きさんだという子がいたが、そのI君の家も、やはり赤い屋根の、同じような作りの家だったのを思い出す。
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訃報欄に山本豊三という名前を見つけた。81歳とか。なるほど、と思うのだが、その業績として10数行ほどの記事に書いてあることは一切、知らないことだった。スターとしては、成程それらのことで身の丈に合った名を残したということなのだろう。が、私の記憶にある山本豊三は、それらの業績を積んだのより前の姿である。昭和30年7月、とはっきり覚えているのは私の性癖から来ることで、その月に何か格別なことがあったからではない。この月の末、新東宝映画『下郎の首』というのが封切られ、かなりの話題を呼んだ。伊藤大輔監督が戦前に作った作を自らリメイクした、往年の「傾向映画」の力作だった。たしかに力作だが、肩に力の入った重苦しい、しかし紛れもなく「良心的な」作だった。当時は、独立プロダクション制作の「良心的な」映画がいろいろ作られ、識者から高く評価されることがしばしばあったのも、日本が独立を回復し、しかしまだ「もはや戦後ではな
くならないという、戦後史の一つの時期だったのだ。銀座の松坂屋の裏手に銀座コニーと劇場という、初めは洋画専門だったのが新東宝と大映の作品をもっぱら上映するようになった映画館があって、何故か(は、中学生だった私の知ったことでなかったが)そこの優待券を毎月何枚か融通してもらえるというコネクションがあったので、生意気にも銀座まで映画を見に行くということを時々していたのである。(ちょうど一月後に、五所平之助監督、美空ひばり主演の『たけくらべ』を見たのもこの銀座コニー劇場で、これも、いわゆる「ひばり映画」とは全く違う、肩に力の入った重苦しいばかりの力作だった。今の白鸚氏が、あちらもまだ中学生で、先々代市川染五郎として出演していたのを覚えている。ヒロインみどりの相手役の真如ではなく別の役だったが、思えばこれが、映像でとはいえ、既に少年スターとして名高かった染五郎を見た最初である。)と、例によって脱線が長くなったが、その『下郎の首』にあちらもまだ中学生だった山本豊三が、田崎潤演じる下郎を供に仇討ちの旅を続ける年若の主人の役としてデビューをするのが、ひとつの話題となっていたのだ。当時、この人の祖父の山本礼三郎と言えば、戦前からの映画界の大物俳優として著名な存在だったから、そのデビューが映画界として話題を呼んだのだった。真面目で育ちの良い、いかにも好感の持てる少年だったのをはっきり覚えている。同じ時代の空気を吸っていたという、ただそれだけで抱く親近感が、この文章を書かせたとも言える。
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菊之助が『千本桜』の三役を演じる国立劇場は、菊之助らしい真摯さでなかなかのものだったが、入りの薄いのにちょっと驚いた。三座競演となった今月は、平成中村座が一番活気があったのは腑に落ちるが、菊之助が三役をつとめる『千本桜』の案外な不入りは、AプロBプロCプロと、全部見るには三回も足を運ばねばならないというのが祟ったのかもしれない。もったいないことである。
評は新聞に書いたから繰り返しになるが、本役の忠信、が最も安定感があるのは当然だろうが、知盛も権太も、相当のレベルで落ちこぼれなく充分仕こなしていたのは天晴れと言うべきだろう。権太は、イガミぶりを見せる場面ほど「いい男」になるのが面白かったが、それでいながら「役違い」とは感じさせないのが偉い。
さりながら、(これも新聞に書いたが)今回菊之助以上に刮目すべきは梅枝の維盛で、「たちまち変わる御装い」で身ごなしひとつで、弥助から維盛へ、別の世界が現れるかのようだった。曾祖父三代目時蔵のこの場面について伝え聞くところがあるのを彷彿させたが、風貌雰囲気は、むしろ三代目左團次を思い出させるものがあった。
A、B、C各プロごとに、冒頭に映像付きの菊之助自らナレーションをつとめる解説がつくのが「珠に瑕」との評があったのはもっとも至極ながら、おそらくこれは、本来二年半前の春、三月公演という啓蒙的な公演について用意されたものなのだろう。
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来月はいよいよ團十郎白猿襲名ですね。今回のタイトルを「夜明け前?」としたが、ハテ如何なりますか。