随談第650回 最後のラ・マンチャ

オミクロン株に変容して以来、コロナ感染の噂は俄かにあちこちで耳にするようになったが、この月の演劇界も、文楽は早々と全面休演してしまったが、あちこちで出演者に陽性反応が出て休演、再開、また休演と、間を縫ってのジグザグ公演を余儀なくされている。東宝ではこの二月、『笑う男』を帝劇で、「ファイナル公演」と角書き?のついた白鸚一世一代の『ラ・マンチャの男』を日生劇場で興行を行なったが、当初、同日の昼と夜に報道関係者に予定されていた観劇招待日が休演となって数日後、帝劇を昼の部に招待、夜の日生の方は満席なのでロビーで映像をご覧になることになりますというので、ウームと一瞬迷ったが劇場にいながら生の舞台を見られないのも皮肉な話とやめにしたら、また二、三日後、今度は席を作りましたという知らせを貰ったので早速出かけた。とにかくこれが、白鸚として最後の『ラ・マンチャの男』である。その心境や、思い遣らざるべしである。

出かけてみると、なるほど、私の席は最前列のいわゆる「かぶりつき」。『ラ・マンチャ』の舞台設営特有の、人物が地下?の扉を開けて登場し、退場するさまが手を伸ばせば届きそうな目の前で展開する。普通だったら平舞台であるべきところがその上に張り出した形になっているから、白鸚のセルバンテス/ドン・キホーテがよろけたはずみに足を踏み外しやしないかとひやひやする。他人ごとではない。こんなところに私事を持ち出して恐縮だが、私なども昨今は、股関節が固くなった(つまり体全体を支える蝶番が錆びついた)ためとやらで、駅のプラットホームなどで、エスカレーターやら何やらで幅が狭くなっている個所など、うっかりよろめいて線路へ転落しやしないかとひやひやする有様だから、白鸚氏の演技とは別に、同世代人として他人ごとと思って見ていられないのである。だが、白鸚は見事、あの法廷へと上り下りする長い階段でもいささかの不安を感じさせなかった。鍛えてもいるだろうがそれ以上に、気力であろう。

いや、足元の話をしている時ではない。舞台ぶりも気迫充実、今度ほど気魂のこもったラ・マンチャは見なかったと言って過言ではない。実はこれまで、私は『ラ・マンチャ』よりむしろ『アマデウス』の方が、白鸚の仁にも芸風にも似つかわしいと思っていたのだが、今度の舞台を見て認識を改めた。というか、この作の良さを、今回の白鸚の舞台ぶりによって、改めて知ったというべきか。「狂気とは何だ。現実のみを追って夢を持たぬのも狂気かも知れぬ。夢におぼれて現実を見ないのも狂気かも知れぬ」という有名なセリフも、今度ばかりは強く心に沁みて聞いた。

だが仄聞するところによれば、この翌日の舞台はまたしても休演となったという。まあ、あれだけの人数の出演者が舞台上に、舞台裏に楽屋にひしめいているのだから、ソーシャルディスタンスどころの話ではない。ファイナル公演がこうしてコロナと「折り合いをつけた」形になったのは残念と言う他はないが、こればかりはセルバンテスでも如何ともしがたかろうというものだ。

        *

それにつけても思い出す。当時市川染五郎だった白鸚がブロードウェイで『ラ・マンチャ』を演じたのは1970年、昭和45年5月のことだが、この月歌舞伎座では十七代目勘三郎が一世一代の大奮発で「三代目歌六50回忌追善」という興行を行なっていた。長兄の初代吉右衛門ゆかりの役者と言えば八代目幸四郎、二代目吉右衛門(既に吉右衛門になっていた)に先代又五郎等々という一家一門、次兄の三代目時蔵ゆかりと言えば当代の時蔵やら歌六やら又五郎やらがまだ梅枝だったり米吉だったり光輝だったり、どころか萬屋錦之介も出演して一幕受け持ったり、6代目菊五郎とつながる縁で梅幸が出るのは不思議はないが、何と文政年間以来の縁というので十三代目仁左衛門に片岡孝夫等々等、出演者すべて親類縁者ばかりというのが十七代目が鼻高々という一座だった。「口上」の挨拶で、誰それとはかくかくしかじかというつながりで、と客席に向かって説明する十七代目の満足顔というものはなかった。「これに居りまする八代目幸四郎は、隣に座っておりまする吉右衛門の父でありますがまた同時にこの両名は義理の兄弟でもござりまして・・・」等々という辺りがミソ中のミソで、十七代目の得意顔、後の初代白鸚の複雑微妙な苦笑を見比べるのも面白かったが、その中で、「まだこのほかに染五郎がいるのでございますが、彼は(という言い方を確かしたと覚えている)なかなか勇気のある男でいまはラ・マンチャの方に行っております」と言ったのが忘れ難い。十三代目仁左衛門が、文政年間以来の縁という片岡家と三代目歌六の一族との関係を懇切に説明したのも、いかにも「大松島」らしい律義さだったが、最期に、隣に平伏している若き日の十五代目を顧みながら「このめでたい席に倅(せがれ)片岡孝夫を召し連れまして馳せ参じましてござりまする」と締めくくった声音は今も耳に残っている。

あれもこれも、もう五十年の余の昔である。さっきテレビのニュースで、今日は浅間山荘事件からちょうど50年目に当たりますと言っていたが、そうか、あれよりもさらに2年むかしのことなのだった。

“随談第650回 最後のラ・マンチャ” への1件の返信

  1. ご覧になられたのですね。羨ましい限りです。
    わたくしはラストと言う事もあり、またコロナ禍でどうなるか不透明でもあったので2公演取りましたが、残念ながらいずれも中止になりました。
    松嶋屋さんの方も同様の対応したのですが対象的な結果に相成りました。 

    かぶりつき。
    かつて青山劇場で体験したことがあります。想像するに日生劇場より更に立体的だったのではないでしゃうか?
    その青山劇場も取り壊されもせずそのままです。あの劇場前な岡本太郎の像がまるでキホーテが挑んだ水車のように見えます。

    そうそう、是非、アマデウスは(も、と言うべきか)やって欲しいです。

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