随談第647回 歳末PR

今年も早や師走を迎え、コロナ歴第二年も暮れなむとしている。ヤクルト・スワローズが制覇したり照ノ富士が全勝で連覇したり、贔屓ごころを満たしてくれた良きこともあったが、もうそろそろ下火かと思うと次々と新手の変異ウィルスが這い出して、マスクはこのまま21世紀風俗として定着してしまいそうな気配である。マスクという代物は、元来、西洋伝来のもので(宗十郎頭巾とか御高祖頭巾とか、お忍びやら防寒やらの目的で面を覆う優美な風俗はあったが、防菌という即物的且つ不粋なものではない)、100年前にスペイン風邪が猛威を振るった時がきっかけだったと言うが、西洋ではあくまで医療従事者の必要品に留まって一般人の間には定着しなかった模様だが、日本では(もしかすると西洋伝来というハイカラなものだとあこがれたのかもしれない)マスク好きという人種が誕生した。子供心に覚えているのは、正面から見ると正方形、横から見ると烏天狗みたいに真ん中がとんがっている黒いマスクをしている男性をよく見かけたものだった。おまけに黒いインバネスなど羽織っていると何とも陰気臭くて子供心にも恐ろし気で、気が滅入りそうだったのを思い出す。この戦前風の風俗は戦後しばらくまで存続したが時世の変化とともにやがて廃れ、代わって、インフルエンザだ花粉症だと理由をつけて、マスク愛好者が一定数、常に存在し続けてきたのが今日まで底流となってきたわけだろう。その間のひと頃、ゲバ学生という、いまや古語となった人達が武威を揮った時節があって(大学紛争華やかなりし昭和40年代だから、かれこれ何と半世紀の昔である!)、ヘルメットに手拭いで顔を覆った風俗が跋扈したのも一種のマスク文化史を担う一コマだったが、布製の白のマスクというオーソドクシイが改めて確立したのはコロナ禍下(発音しにくい!)に置いてと言える。やれやれ、というほかない。

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このひと月の間に聞えた訃報と言えば瀬戸内寂聴師もさることながら、それに比べるべくもない小さな記事で川柳川柳の死を知ったときは、いささかの感慨を抱いた。何と言ったって、かの古典派の泰斗三遊亭円生一門の最古参の弟子である。師のお気に入りの愛弟子だったかの先代円楽が、かかる不肖の兄弟子を持ったために自身が師の名跡を継ぐのに邪魔になると、本当に思っていたかどうかはともかく、傍目ではそう勝手に憶測していた。師から冷眼視されていたのは事実らしく、そういう師弟関係に立ち至った弟子の側の何とも言い難い思いというものは、私も、住んだ世界は違ったが身に沁みて体験した覚えがあるから実によくわかる。私の場合は結局自分の方から師弟の縁を返上してしまったが、川柳氏は、ソンブレロハットにギターを抱えて、かの名人の弟子にあるまじき高座を続けていた・・・。がまあ、そんなことより、数年前、国立演芸場の高座で久しぶりに見た(聴いた)川柳師の高座に、感銘というのとも違うが、ある種の感慨を抱いたのは事実で、いい歳の取り方をしたのだな、と、つくづく感じられて身に沁みるものを覚えたのだった。同じ日の高座に、かつて同じ円生一門の後輩で、秀才と自他ともに任じていたと思われる某師が出演していたが、川柳の方が間違いなく立派だった。(それよりさらに数年前、時の総理だった福田首相にそっくり、というのを売りにしていた当時の高座を見たことがあるが、幸か不幸か、福田政権が短命に終わったためにこのいささか辛辣なギャグもまた短命に終わったのも、川柳にふさわしい。)謹んで冥福を祈りたい。(野暮を承知で蛇足を加えておくと、川柳川柳と書いてカワヤナギ・センリュウと読みます。)

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シアターXの劇団若獅子の公演で「王将」を見た。立派な舞台だった。主宰の笠原章としては文字通り乾坤一番の舞台であったに違いない。前回書いた新派の「太夫さん」に続いて、北条秀司の傑作を見る巡り合わせだったわけだが、敢えて同じことを繰り返すが、こういうのが、かつて私たちが親しんだ「芝居」なのである。正直に言うまでもなく、劇団若獅子を、かつての新国劇とそのまま比較するわけには行かない。だが、(笠原自身としても既に数回演じ重ね、自らの芸をも深めたのももちろんだが)今度の舞台には、そうした諸々の条件を一旦止揚してしまうだけの、見事な感動があった。 一部と二部を一挙上演だから、出演者もおのずと多くなる。協力してくれる助演の俳優たちに渡す出演料の捻出から何から、一切を担い、年に一度の公演にすべてを託しているのだろう。それにつけても、これだけの舞台が、たったの5日間8公演しか上演の機会がないとは!

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前回にもちょっと書いたように、電子書籍というものを出すことになった。そういうものの存在すらろくに知らなかった私である、一切合切、好意から提案し、すべての作業を引き受けてくれた存在があってのことである。内容は、前回も書いたように、一年前、このブログに「抄」という形で載せた『眼中の役者たち』の決定版である。ごちゃごちゃいうより、「まえがき」の全文をPRコピーとして以下に載せることにするので、お読み願いたい。売り上げはすべて、協力者である吉田亜矢さんに献呈する心算なので、一冊でも多くの方に買っていたければと心から願っている。

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 眼中の歌舞伎役者-わが人生の歌舞伎-     上村以和於

  まえがき  

 わが目で見た、いまも眼中に生き続けている役者たち一人一人のことを書いておきたい。そう痛切に思うようになった。旧歌舞伎座の三階席の一見物人として始まった私の歌舞伎見聞歴もそろそろ終幕に近づいているが、幸運に恵まれて、新聞という社会に向かって開かれている場に劇評という形で歌舞伎についての文章を書くことを業とするようになってからでも、相応の歳月が経っている。

 新聞に歌舞伎評を書くとき、私は常に、歌舞伎を見る習慣を日常に持たない読者の存在を意識の一隅に置いてきた。その中には、紙面の片隅に載っている私の書いた劇評を目でひと舐めするだけの読者もあるだろう。歌舞伎自体に関心があるわけではないが、社会を彩るさまざまなピースのひとつとして目を通す。そういう読者にも、自分の書く歌舞伎評が読まれていると考えることは、私には愉快なことであった。歌舞伎の愛好者だけのために書いているのではないという思いが、三十年近い歳月、新聞評を書き続ける心の張りとなっていたことは疑いない。

 だがその一方で、劇評という形では掬い切れないものが、長い歳月のあいだに私の中に澱となって溜まっている。それは、永年見続けてきた役者たちへの思いであり、その俤や舞台ぶりの記憶である。世評高い著名の俳優の舞台だけが思い出ではない。世評や通評と、私の思いが必ずしも一致しない例も、決して少なくない。心惹かれる芸を持ちながら世間での知名度がそれに見合っているとは思われない役者もある。社会の側から歌舞伎へ開かれている窓がもうちょっと大きかったなら、彼らの名はそれだけ広く知られたかもしれないという無念の思いは、私の心の底に澱となって堆積している。また一方、非名優の非名演にも忘れ難い思い出があり、それはときに心の癒しですらある。それらは、私自身の人生のさまざまな記憶と結びついて、生きてきた証しとすらなってくれている。それらをひっくるめて書いておきたい、そういう思いである。

 すべては追憶の中にある。私がこの世を去るとき、それらの一切合切は、この世から消滅してしまう。また同時に、そうした舞台の記憶を書くことは私自身の人生を書くことに通じる。言うなら、わが人生の歌舞伎である。

 ここに書き連ねたのは、大きな役を演じる大立者から脇の小さな役に甘んじていた役者まですべて私の目にある人々ばかりだが、切りをつけるために私がその死を舞台を通じて見送った人たちに限ることとした。但し今も健在の澤村田之助、片岡我當、市川猿翁、澤村藤十郎、市川段四郎といった人たちは、私の眼中に残る舞台の記憶はここに記した同時代の諸優と共にした舞台にあるので、一緒に語りたいという思いから併せて載せることにさせてもらうことにした。どうか、諒としていただければ幸いである。

 ほぼ生年順に、長くて一人当たり、むかし風の言い方で原稿用紙三枚ないし四、五枚を目途とした。自ずから長短・深浅は生じたが、それは親疎や評価と比例するものではない。名鑑などによく見るような評伝式の客観的記述ではなく、あくまで私の眼鏡を通して見た、曰く「わが眼中の役者」たちである。Ⅰとして大名題クラス、Ⅱとして、つとめる役こそ小さいがそれぞれに「わが眼中」に忘れ難い存在を留めている人びととしたが、必ずしもそうと一概には決めかねるケースもあることもまた、諒としていただきたい。ひとつだけ、読者諸氏にご忠告申し上げておくと、仮にA優のことを読もうと思ったならA優の項だけ読んでも不十分で、B優やC優、時にはY優やZ優の項でもA優のこと語っているかもしれないから、拾い読みではなく、順に漏れなく読み進めることをお勧めしたい。

 これだけのことに三年の余も要してしまったのは、途中でパソコンの故障で書きかけの原稿がすべてフイになり、ゼロから書き直すなどのことも一度ならず、危うく流産の憂き目に会う寸前まで行ったこともあったからである。ようやく書き上げたものの、この種の文章はなかなか本になりにくい。まして、このご時世である。せめてその一端だけでもと、ほぼ四分の一のエッセンスとなる部分に切り詰めたのが、先に私のホームページに発表した『眼中の役者たち(抄)』だった。幸いに評判を得て、勧めてくれる声があったのを力に、全編を電子本として上梓することとなった。私にとっては初めての電子本だが、ここまで漕ぎつけられたのは一から十まで、かねてから私のホームページを管轄してくれている吉田亜矢さんのお陰で、彼女の力がなければ、こうして陽の目を見るのはあり得ないことだった。

 もうひとつお願いしたいことがある。1994年4月から日本経済新聞に書き続けた歌舞伎劇評が、この3月で満27年となった。それもいずれ、一本にまとめられればと思っているが、彼れを姉、此れを妹とする姉妹編として併せてお読みいただけるなら、幸いこれにまさるものはない。もっとも、姉よりも妹の方が、こういう形で先に誕生することになったのは、これもまた、ままならぬ浮世のならいというものであろう。

   2021年10月

“随談第647回 歳末PR” への1件の返信

  1. 『王将』わたくしも拝見しました。
    今年五月の《長塚版》の再演も心に残りましたが、さすがに笠原さんでした。
    一幕第四場の最後、お題目を唱えるところ(途中から更に大きな声で唱えるあたりは)胸に迫るものがありました。
    大垣駅の場などカットもありましたが、二幕でうまくまとめ上げましたね。

    12月22日の笠原さんと神山彰さんの『新国劇とその時代』(浅草見番)は、是非拝聴したいところでしたが、この日は歌舞伎座を通しで観る為、ままなりません。とても残念です。

    文中には『一部、二部』とございますが、実際には『一部から三部までを二幕で上演』が正しいかと存じます。

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