随談第646回 新派公演『太夫さん』

10月の各座で最も感慨深く見たのは新橋演舞場の新派だった。国立の梅玉の『伊勢音頭』の貢もよかったが、梅玉のことはこの前『須磨の写絵』の行平の時に書いたから今回は措くことにして、新派公演で『太夫さん』を見ながらつくづく思ったのは、こういうのが、我々がかつて親しんできた芝居だったのだということである。セリフのやり取りをじっくり聴きながら、大局から微細な綾までを味わい、且つ辿りつつ、大役脇役端役に至るまで、役者一人一人の芸を愉しむという、敢えて繰り返すがこういうのが、かつて私たちが親しんできた「お芝居」というものだったのだ。大声でわめきながら舞台上を駆け回る昨今の「演劇」と、こうも変わってきたものかと、改めて思いを致さざるを得ない。

第一幕の設定が昭和23年、開幕早々、島原の遊郭にインターナショナルの歌声が響き渡り、花魁たちがストライキを策動しているという、ショッキングにして滑稽、且つ往時の廓の雰囲気を濃縮して醸し出すというのからして、いきなり観客を掴んでしまう導入の手際の卓抜さは、『東海道四谷怪談』の序幕「浅草額堂から裏田圃」における鶴屋南北に匹敵し、しかもこちらは、中・高齢の観客にとっては目に耳に、人によっては身にも覚えのある、体験はないとしても実感としての記憶の中にある(つまり「現代劇としての実感を持つ)近過去、中年以下の観客にとっても現代にひと流れにつながる(「半時代劇としての関心を引き出される)近過去だから、その親密度は南北劇の比ではない。けだし、北条秀司最高の傑作であろう。

これを書いた当時のことは作者自身が『演劇太平記』につぶさに書いているが、相当の苦心苦労、且つ島原に長逗留してのお愉しみの産物であったらしい。北条秀司という人は、岡本綺堂の門から出てまず新国劇から出発し、やがて新派、更には歌舞伎にも数々の佳作・秀作を物したが、マッチョな感覚からして一番ウマの合う新国劇に数々の佳作・名作を書いたのはもちろんとして(即ち、かの『王将』その他である)、それにまさる傑作を新派に書いたところが面白い。『京舞』にしても『太夫さん』にしても、花柳章太郎という名女形がいたからでもあるが、それを初代水谷八重子から『京舞』は当代八重子、『太夫さん』は波乃久里子へと受け継がれ今なおこれだけの水準を保っているところ、それ自体が無形文化財のようなものだ。まだ初代健在の頃、たまたま見に行った日に八重子が病気休演で、老巧な脇の女形として知られていた成田菊雄がお栄の役をつとめたのを見たことがある…などと言っても、ああ、とわかってもらえる人があるだろうか? 「太夫」と書いて「こったい」と読ませる、などということも、今こうした形で見ることができてこそであって、この芝居がなかったら、ただの雑知識に過ぎなくなってしまうであろう。(さてこののちは? というところだが、見終わった今しばらくは、それよりも、こういうものがあったのだという感慨の方が大きくわが胸を浸している。)

久里子演ずる宝永楼の女将おえいと、田村亮演じる輪違屋の善吉が微妙な仲の昔がたりに身を任せていると、近くを通っている山陰本線の汽笛が聞こえてくる。SLなどという言葉などまだなかったころの夜更けに聞こえてくる汽車の汽笛の物悲しくも懐かしいような感覚というものも、生きてなお伝えるのはこの芝居だけであろう。

それにつけても田村亮は、いい俳優になったものだ。若い頃は、セリフがレロレロして何とも頼りがなかったものだったが。大夫さんこときみ子役は、今回は藤山直美だが、この役、初演はかの京塚昌子であったのだ。京塚昌子と聞いて、テレビのホームドラマのお母さん役者、と知る人さえ、いま何歳から上だろう? すべては、命あればこその記憶という他はない。

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白鵬の引退とか、小三治の死去とか、書くことはいろいろあるのだが、今回はこれ切りとさせていただく。いずれ何かの折に話題に出すこともあるだろうから、それでお許しいただきたい。

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前回お約束した来月の新聞評の掲載予定ですが、国立の『熊谷陣屋』評が18日(金)掲載予定です。

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最後にPRをひとつ。近々、電子本というものを生まれて初めて出します。発案から実際の作業管轄その他、すべてはおんぶにだっこの形ですが、わが「まなこ」で見、わが「まなこ」のなかにいまなお生き続けている役者たちの記憶を、一人づつの小エッセイとして書いたもので、題して『眼中の歌舞伎役者たち』。詳細は次回以降になりますが、形が見えてきたところで先ずは予告のお知らせという次第。

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