随談第644回 休載の弁

先月末、ちょうどこのブログを書く時期に、わがPCのメール送受信の機能に原因不明のトラブル発生、余儀なく休載ということになった。だからこの第644回は二カ月ぶりということになる。ワープロとしての機能は無事だったから、8月10日締切りの『演劇界』の10月号特集に載せる原稿を仕上げ、メールでは送れないからFAXでと思ったら、これも何故か「送信できませんでした」という機械音に冷酷にも送信拒否され、ならばと、速達郵便という最も古典的にして最も確実な手段で原稿を送ってから、近所のYAMADA電機に二泊三日で検査入院させて、どうやら無事、退院してきたのが終戦記念日の二日前だった。一介のフリーランスの老いぼれ物書きから大手銀行のATMのトラブルと、事の大小を問わず、通信からマネーの流通その他その他、コンピューターという神サマに世の中のありとあらゆる手段をこんなにおんぶにだっこをさせてしまって大丈夫なのかという疑念を、私は今もって拭えずにいる。

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7月の又五郎の『千本桜』狐忠信のことは新聞評にも『演劇界』の劇評にも書いたからよしとすると、他の旧聞に属することをいまさら出し遅れの証文よろしく書く気にもならないからすべて割愛させていただく。(照ノ富士の横綱ぶりについては、間もなく始まる九月場所で書けばよい。)

オリムピックが終わり、静かになったと思ったら、パラリンが始まってまたぞろテレビから「かーぜーがふけーばー」という歌声が流れ出すと、食傷もいいところでげんなりする。オリンピックも競技そのものは嫌いではないからそれなりに見たし、見れば面白くもあるし、パラリンピックなどは選手たちの信じがたい働きには驚嘆驚愕以外の何物でもないが、実況アナウンサーの絶叫と解説者の饒舌、それにもまして司会者やコメンテーターたちのハイテンションのお喋りにはうんざりする。社会の状況下、盛り上げたいという善意とお役目大事の職業意識のなせる表れなのだろうが、過ぎたるは及ばざるがごとし、逆効果ということも、たまには考えてもらいたい。

また、これも毎度のことながら、報道は日本選手の活躍ばかりを追いかけるので、ヘビー級の重量挙げのような日本は出場しないが興味深い種目は、よほど放送予告を舐めるように探さない限り見ることが出来ないのも、いつもながら寂しいことである。オリンピックを見る愉しみの一つは、世界には普段滅多に見る機会のないこんな選手がいるのだということを知ることでもある。当節の日本のマスコミのオリンピックの報道は、外国旅行をしながら日本料理の店ばかり漁っているようなものだ。

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人生には人それぞれにイニシエーションの時期というものがあるから、私にとっては、一番思い出深いオリンピックと言うと、前回の東京大会より、小学6年生の時にラジオで聞いたヘルシンキ大会ということになる。地球の裏側から聞こえてくる和田信賢とか志村正順とかいった高名なアナウンサーの声が、ザーザーゴーゴーという雑音の合間を縫うように聞こえてくる。この雑音はじつは音波の関係で起こるのであろうが、高くなったり低くなったりするのがまるで波涛のように聞こえるので、本当に波の音が聞えてくるのだと思っていた人が(大人でも)いたものだった。この大会では、大方の日本人にとっては、全盛期をとうに過ぎた水泳の古橋選手が400mの決勝に辛うじて進んだものの一番端っこの第8コースという「屈辱」で、果たして結果も8着、つまりビリだったというのが忘れ難い記憶となったのだったが、この大会の大ヒーローはチェコの陸上長距離選手のザトペックで、五千㍍と一万㍍に優勝した余勢をかって、それまで走ったことのないマラソンにも出場して金メダルを取ってしまったというのだから、東京大会の時のアベベの上を行ったことになる。当時盛んに出版されていた講談本の『赤穂義士銘々伝』を呼んでいたら、中山安兵衛が伯父の敵討ちに深川の裏長屋から高田馬場へと駆けつけるくだりで、「安兵衛はザトペックのように駆けましたが間に合いません」という一節があったのをいまもありありと覚えている。ザトペックの走り方が喘ぎ喘ぎ走る蒸気機関車のようだというので「人間機関車」と異名が付き、それから数年後、阪神タイガースの投手として売り出した村山が、ダイナミックな投球フォームがザトペックを連想させるというので「ザトペック投法」と仇名されたが、ヘルシンキ大会が昭和27年、村山が関大から阪神に入ったのが昭和34年だからその間7年ものタイムラグがあったことになる。以て、ザトペックの超人ぶりとその走法の印象が、当時の日本人の脳裏にいかに強く、且つ長期間にわたって刻まれていたかが分かるというものだろう。(ヘルシンキ大会のあった昭和27年1952年はサンフランシスコ講和条約発効の年、村山がプロ入り早々大活躍を始めた昭和34年1959年は日米安保騒動の前年である。当時の日本人にとっての7年の歳月は、現代人にとっての7年とは比較にならないほど長かったはずである。)

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パラリンから画面を切り替えると第2チャンネルで甲子園の高校野球をやっている。何となく懐かしいような気持になる。しばらく眺めているうちに、次々に登場する選手たちの名前に目が止った。姓名の「名」の方である。男の子のネーミングが想像以上に様変わりしていることに、今更ながら驚く。女の子の命名法が、時に日本語の破壊ではないかと心配になるほど様変わりしていることは前から知っていたが、こうして見ていると、男の子の命名法も負けていない。何と読めばいいのか、判じ物のようなネーミング(と当て字)の多様なのに感じ入るほかはない。以前なら同級に一人や二人は必ずいた「清クン」だの「正男クン」だのという名前の選手は、私の見ていたかぎりでは一人も出てこなかった。

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このひと月、二タ月の間に目に留まった訃報。順不同で、伊藤京子、サトウサンペイ、中島弘子、千葉真一、笑福亭仁鶴、坂上弘、山内静夫、ジェリー藤尾等々等。中島弘子さんと山内静夫さんは私よりも大分年長の方だが(伊藤京子さんもそうか)、ほとんどは、若干の年上に過ぎず、社会的に知名の人となったのは、私がある程度成人してからの人がほとんどである。つまり、大概の方々の売り出しの頃を知っていことになる。感慨なきを得ない。

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